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【新説?】部落学序説 吉田向学【珍説?】

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 18:15:45 ID:MugUCF2v0
今までの「賤民史観」を完全否定し、近世警察官であった「穢多・非人」を、
独自の視点「非常民」の学としての部落学を構築する。

部落学序説
ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/cat4754864/index.html


ある同和対策事業批判
tp://eigaku.cocolog-nifty.com/jigyo/2006/04/post_fd9b.html

被差別部落の地名とタブー
ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/taboo/2006/10/post_f468.html

2 :第1章 部落学固有の研究対象:2008/09/23(火) 21:49:40 ID:MugUCF2v0
1節 部落学固有の研究対象

水平社宣言は二重構造で、「特殊部落民」としての宣言と、「穢多」としての宣言。
「穢多」概念も二重(多重)定義であり、その都度、都合良く解釈されてきた。


ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/post_f38a.html

3 :第1章 部落学固有の研究対象:2008/09/24(水) 20:43:52 ID:w/xmIRwT0
2節 穢多村の原風景

「水田・塩田」から、「皮田(近世穢多村の原風景)」を推察する。
「皮田」には、@豊富な川の水、A良質の塩、B上等の菜種油、が必要不可欠。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/post_6e4b.html


3節 穢多の実像

「穢多」は本来別の漢語表現であり、それは「衛手(えた)」と推察する。
「衛手」は司法・警察職として、古代より時代を超えてその職務を担っていった。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/post_e714.html

4 :第1章 部落学固有の研究対象:2008/09/24(水) 20:51:54 ID:w/xmIRwT0
4節 穢多の在所

1.「地域概念としての部落」の崩壊−野口説への批判
「穢多村」・「穢多」を定義せず、「部落」・「部落民」という概念で拡大解釈した結果、
問題が複雑化し混乱して収拾がつかなくなっている。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/post_9d92.html


2.「周防国図」・「長門国図」に見る穢多の在所
中世・近世の「穢多村」は地理的な要衝にあり、その警備を担当していた。
「穢多村は自然災害に弱い場所」と言うのは、近隣の村を含めた拡大解釈によるもの。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/post_7b04.html


3.「高佐郷の歌」に見る穢多の在所
長州藩時代、「高佐郷」は街道の要衝で、村の一部に穢多の在所があった。
高佐郷の歌には「自分たちが穢多であること(要衝を守る警察)」を誇っている。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/post_462e.html

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/24(水) 20:57:44 ID:pXX1fGdVO
>>2
清原一隆
阪本清一郎
水平社宣言

6 :1:2008/09/25(木) 20:36:07 ID:3cC/J8xd0
>>6
水平社宣言は、2種類の資料から構成されていると、吉田氏は主張しています。
西光万吉(本名清原一隆)と栃木重吉の2者による執筆。

7 :第1章 部落学固有の研究対象:2008/09/25(木) 20:39:57 ID:3cC/J8xd0
5節 非常の民としての穢多

1.「非常の民」としての穢多
筆者と「賤民史観」の学者の共通点。それは、「穢多」は古代〜近世警察の末裔。
そして、近代警察・現代警察に継承されていること。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/__b962.html


2.御用の節は御忠勤尽くし奉る身分・・・
既存の「渋染一揆」の考察は、「賤民史観」によるもの。
近世警察の「穢多」は、普通の百姓一揆の仕方では無い方法で訴えた。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/__65d9.html


3.命題「穢多は非常民である」
「穢多(非常民)」と「農・工・商(常民)」は、差別・被差別の関係では無い。
むしろ、穢多は「非常民(警察)」として「常民(農・工・商)」を支配する側であった。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/__9d6b.html

8 :第1章 部落学固有の研究対象:2008/09/25(木) 20:43:14 ID:3cC/J8xd0
6節 賎民概念を破棄する理由

「賤民」=「いやしい身分の人」だと、歴史学者は誤って定義してきた。
その結果、関係概念に過ぎなかった「尊卑・貴賤」を、本質概念・実体概念で解釈した。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/post_34b7.html

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 21:55:00 ID:n49q3rG7O
なっなんだよこのスレ、バカデミックすぎる。

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/26(金) 08:52:02 ID:U8xU+3Q00
吉田向学のオナニースレ
ブログみたけどどーでもいいエッセィ風のものばかり
文化人をきどってるが凡庸、というか退屈杉

部落問題だけに絞ってもっと簡潔にまとめられないのか?
この脳内オナニーバカは(嘲笑)

11 :第1章 部落学固有の研究対象:2008/09/26(金) 21:37:11 ID:BVsD93Q30
7節 士農工商穢多非人図式を破棄する理由

1.賤民史観と士農工商穢多非人
歴史学者や教育者は、「賤民史観」によって「江戸時代の身分制度」を作った。
更に、「穢多役・非人役」を「役務」とせず、「最下層の身分」と定義した。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/post_bc58.html


2.明治に始まる「穢多非人」の賎民化
「士・農・工・商・穢多・非人」という図式は、近代日本の国家が創出した。
近世警察・司法の解体の実効のしるしとして、明治政府は「穢多・非人」を排除した。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/post_62a0.html


3.「士農工商穢多非人」不要論
歴史学者等は、権力や政治の要請に応えて、歴史の真実を歪曲し捏造する危険がある。
「部落史」の分野においては、「賤民史観」は暗黙の前提として、精神的に拘束している。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/post_ff02.html

12 :第2章 部落学固有の研究方法:2008/09/26(金) 21:39:56 ID:BVsD93Q30
1節 部落学固有の研究方法

1.部落学の定義
「民俗学」は「常民」に対する学。「部落学」はその対極にある「非常民」に対する学であり、
歴史学、社会学・地理学、宗教学、民俗学の個別科学研究を総合して、構築する必要がある。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/post_6483.html


2.部落学と歴史学
今までの「部落学」は「歴史学」を過剰に評価するあまり、「賤民史観」を受容してきた。
「賤民史観」は差別的な歴史思想である為、歴史資料の持っている意味を洗い流す必要がある。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/__8e07.html


3.部落学と宗教学
「穢多」と神道・仏教・キリスト教の関係について、再考察が必要である。
特に、「穢多」は幕府と諸藩のキリシタン禁圧政策に従い、「宗教警察」でもあったと仮定する。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/__2c3b.html

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/26(金) 22:39:29 ID:9mjUBacTO
常民?
非常民?

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/27(土) 09:16:27 ID:rUZWn01J0
154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/26(金) 22:29:16 ID:X1WLGfz6O
モンブランと白山神社って同じなの?
白山神社ってどんなの。おせーて。

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/26(金) 22:38:49 ID:Pk/H5gK20
>>154
http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/post_ea78.html

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/26(金) 22:56:15 ID:X1WLGfz6O
>>155
ありがとう。これ読んだら分かる。携帯でも見れるから嬉しいぞ。

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/27(土) 09:13:51 ID:rUZWn01J0
>>154
スレ立てしたもののレスのつかない吉田向学のまぬけな自作自演w
ここみてーな過疎スレで30分弱で3レスもつくわけ、ねーだろ
死んで前世のエタヒニン時代からやり直せバカwwwwww(嘲笑)



15 :1:2008/09/27(土) 10:57:59 ID:0W3rrX1o0
>>13
簡単に言うと
常民=一般人(支配される側)
非常民=役人(支配する側)

16 :第2章 部落学固有の研究方法:2008/09/27(土) 21:39:01 ID:0W3rrX1o0
2節 村のシステム

1.村と百姓と穢多
「穢多(警察)」のいない村は「庄屋・村役人」が治安維持を図っていた。「穢多」のいる村でも、
「百姓」と「穢多」が接する機会は殆ど無い。犯罪が起きた時、「非常時」のみ接する。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/__531d.html


2.村境と芝境、気枯れと穢れ
「武士・穢多」の管轄区分は芝境であり、「百姓」の日常生活に直結していたのは村境。
民俗学でいう「気枯れ」と歴史学でいう「穢れ」は、同じ「ケガレ」の常・非常の区分に過ぎない。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/__222a.html

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/28(日) 01:52:34 ID:RUNlVnQc0
158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/27(土) 09:13:51 ID:rUZWn01J0
>>154
スレ立てしたもののレスのつかない吉田向学のまぬけな自作自演w
ここみてーな過疎スレで30分弱で3レスもつくわけ、ねーだろ
死んで前世のエタヒニン時代からやり直せバカwwwwww(嘲笑)


160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/27(土) 12:22:02 ID:geqjNHCdO
>>158
>>154が自演かどうかは知らないけど、このスレだって
30分弱で3レスつくことぐらいはある


162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/27(土) 14:22:50 ID:EUFE3ZQ/O
まちがった
>>158
クウキヨメ


18 :第2章 部落学固有の研究方法:2008/09/28(日) 12:44:06 ID:dFlEa5Tb0
3節 新けがれ論

1.「穢れ」をめぐる歴史学と民俗学の相克
歴史学者の「賤民史観」・「賤民思想」によって、民俗学の「気枯れ」の意味は無視され、
歴史学の「ケガレ=穢れ=不浄」が強調されてきた。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/post_5325.html


2.「穢れ」の語源論・意味論の限界
「賤民史観」が、実体がないのにさもあるかのように部落問題を「観念」しているのは、
「差別(真)」と「被差別(真)」の関係ではなく、「差別(真)」と「被差別(偽)」の関係である。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/__6d48.html


3.新「けがれ」論
「日常」の世界は、「ケ」→「ケガレ(気枯れ)」→「ハレ(祭祀等)」→「ケ」・・・という循環。
「非日常(法的逸脱)」の世界は、「ケ」→「ケガレ(穢れ)」→「キヨメ(お仕置き)」→「ケ」・・・という循環。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/__5419.html

19 :油掛地蔵@岩井川郷 ◆OGX1Dip9qw :2008/09/28(日) 23:32:54 ID:+EUWixRv0
新たな視点からの考察として、読み応えがあった。
「非人」を「人に非ず」と漢文読みするなら、「穢多」は「多くを穢す」だよなぁ。

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/29(月) 06:31:53 ID:mQPUCs300

エタの吉田向学によると
エタは支配階級だった! wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww


脳内妄想観念論を糞ブログでまきちらすだけでなく、
こんな糞スレまで立ち上げるなんざ、
吉田向学って馬鹿を通り越して奇痴害だろ(嘲笑)


とっとと死ねよ、クズ


21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/29(月) 06:47:29 ID:mQPUCs300

 ___  見えませ〜ん
‖    |     ∨
‖現実 ∧_∧   .ヘ∧
‖ \ ( ・∀・) <゚A●>
|| ̄ ̄⊂   )  (   と)
凵    し`J   U U


 ___  読めませ〜ん
‖    |     ∨
‖空気 ∧_∧   .ヘ∧
‖ \ ( ・∀・) <゚A●>
|| ̄ ̄⊂   )  (   と)
凵    し`J   U U


 ___  知りませ〜ん
‖    |     ∨
‖常識 ∧_∧   .ヘ∧
‖ \ ( ・∀・) <゚A●>
|| ̄ ̄⊂   )  (   と)
凵    し`J   U U


 ___  ありませ〜ん
‖    |     ∨
‖未来 ∧_∧   .ヘ∧
‖ \ ( ・∀・) <゚A●>
|| ̄ ̄⊂   )   (  と)
凵    し`J   U U

22 :1:2008/09/29(月) 21:09:08 ID:quq1k/2J0
>>19
実は、私の住んでいる地方はB地区問題が無いんですよ。非常に淋しいですwww
文献等を調べると、一応それらしい記述があるんですが、「部落学序説」は参考になりました。
番人役と関係がありますので、K察史を調べたり、地元の強酸党の地方議会質問も調べていますw

23 :第2章 部落学固有の研究方法:2008/09/29(月) 21:12:16 ID:quq1k/2J0
4節 長州藩青田伝説にみる賎民史観と穢れ

1.百姓の目から見た長州藩青田伝説
百姓は藩の独占品(皮革等)の動向をみることで、その年の米の収穫を予想する事が出来た。
また、丸尾崎の竜神伝説(迷信)も合わせたものが青田伝説である。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/__65cd.html


2.布引敏雄(歴史学者)と長州藩青田伝説
歴史学者によって、天保一揆と青田伝説についての文章は、「賤民史観」構築の材料として、
著しく改竄・恣意的解釈がされてきた。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/__c494.html


3.丸岡忠雄とふるさと
皇国史観「右」と唯物史観「左」のイデオロギー的な史観によって、
旧穢多についての実証主義的研究が大きく疎外されてしまった。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/__fb9b.html

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/29(月) 22:06:25 ID:KUgUfI6z0
>>22
相変わらず自作自演が好きだな吉田エタ(爆)
病気だろ
てか奇痴害だろ

25 :第2章 部落学固有の研究方法:2008/09/30(火) 21:34:53 ID:rmIvZ8QG0
4節 長州藩青田伝説にみる賎民史観と穢れ(続き)

4.村崎義正(運動家)と長州藩青田伝説
村崎(被差別部落出身)の部落史の記述は、「賤民史観」に色濃く染め抜かれている。
これでもかこれでもかと、卑賎感をふりまく手法で書かれた文章である。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/__507c.html


5.西田秀秋(教育者)と長州藩青田伝説
西田は、同和教育に熱心になる余り、「穢多」を持ち上げると同時に、「百姓」を持ち下げている。
幕藩体制下の「穢多」と明治以降の「部落民」をごちゃ混ぜにして、その小説を展開しいる。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/__a8e7.html

26 :第3章 穢多の定義:2008/10/01(水) 20:13:23 ID:m/+noSRm0
1節 穢多の定義

1項 本当の挨拶
『部落学序説』は従来の「直線方式」ではなく、情報処理の新しい教育方法である「スパイラル方式」。
部落差別の完全解消のためには、研究者を容易に近づけない権力の秘密を明らかにする以外に方法はない。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/post_4e24.html


2項 近世幕藩体制下の身分とは何か
桃山学院大学の寺木伸明の、穢多の「身分」を「役負担」と「職業」に分けて考察する事は正しい。
明治政府は、不平等条約を撤廃するため「穢多は野に放った宗教警察である」というイメージを強くしていった。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/post_b609.html


3項 穢多という身分
穢多・茶筅・宮番等が手に持っている「六尺棒」と「槍」は共に、近世幕藩体制下にある非常民必須のアイテム。
近世警察官たる「穢多」の象徴であり、職務を執行するために、他者と自分とを守る道具であった。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/post_fc91.html


4項 伝承に見る穢多の身分
「穢多」は、司法・警察に関わる「非常民」。第二次長州征伐に際しては、穢多を構成要員とする「維新団」、
茶筅を構成要員とする「山代茶筅隊」があり、敵の兵を生きたまま捕獲する「警察」であった。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/post_eab0.html

27 :第3章 穢多の定義:2008/10/02(木) 20:22:39 ID:BYq/gKJs0
1節 穢多の定義(続き)

5項 垣の内に関する考察

1.垣の内に関する布引説への批判
垣の内は、「部落の囲りを垣根で囲うことは、即、差別を意味したのである」と言う。
しかし、布引説の推定や推測の指導理念は、歴史学上の差別思想である「賤民史観」である。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/__cb02.html


2.新井白石と垣の内
白石の『折りたく柴の記』には、武士の居所を垣根で囲う記述(垣の内)がある。
布引が指摘するような、「部落の囲りを垣根で囲うことは、即、差別を意味した」というような断定は出来ない。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/__107e.html


3.山口県部落史研究の良心
ネット上の情報で、沖縄に穢多・非人と同じ役務があった事を知った。しかし、論文を書くための史料や、
資料は提供してくれない。「研究」と名前がつくものを執筆する人は、論文や書籍を丁寧に読破していく必要がある。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/__adf1.html

28 :第3章 穢多の定義:2008/10/03(金) 20:52:49 ID:RRqC0/Ru0
1節 穢多の定義(続き)

5項 垣の内に関する考察(続き)

4.喜田川守貞の見た垣の内
『近世風俗志』によると、穢多の在所は、布引が指摘しているような差別された場所ではない。
また、穢多の役務も警察そのものであり、職務を遂行する上での様々な厳しい「法」があった。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/__33bf.html


5.穢多の在所は穢多が何であるかを規定できない
明治以降「旧穢多村」「特殊部落」「被差別部落」と、三次に渡って「部落民」の居住地が再定義された。
またその都度、「部落民」の外延も再定義され、現在では第4次の再定義の段階に入ろうとしている。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/__c595.html

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/03(金) 23:10:57 ID:2rjfTtb70
あ!

30 :第3章 穢多の定義:2008/10/04(土) 21:47:31 ID:Sxr0RWJH0
2節 穢多の役務

1項 白山神社と穢多
「屠」の字義は、「子を生む場合の生子門の裂傷」「母親が傷を負い、命を生み出す様」を伝えている言葉である。
検断・穢多・非人は犯罪者を「屠する」役務がある為、東日本では安産(屠)の神である白山神社を信仰した。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/post_ea78.html


2項 死刑執行人の今と昔
穢多は警察官であり、刑務官でもあった。死刑執行を命じられた下級武士等には、逃亡した者もいた。
歴史学者や教育者は、刑務官と言う職務を「人の嫌がる仕事を強制された」というイメージで振りまいた。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/post_337c.html

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/05(日) 08:15:29 ID:H+ADdiZR0

トンデモサイトの宣伝にスレ立てて
自作自演でバカみたいに書き込んでいて惨めにならないの?

吉田って真性の奇痴害でしょwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww




32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/06(月) 00:10:47 ID:aHNHZiBYO
この説の真偽はさておき、とにかく文章がわかりにくい、つまならい。至極、残念無念チン。

33 :吉田無学:2008/10/06(月) 21:18:56 ID:iaAv5fWF0
>>32
>この説の真偽はさておき、
私の県では、部落問題が全くありませんので、非常に参考になってます。
今までの御用学者を批判しているので、なかなか面白い説です。

>とにかく文章がわかりにくい、つまならい。
簡潔明瞭に直線的に論じるのでは無く、渦巻き状にまわりくど〜く語っていますからね・・・
エピソードも挿入するので、更に拍車が掛かる文章ですね・・・

34 :第3章 穢多の定義:2008/10/06(月) 21:22:13 ID:iaAv5fWF0
2節 穢多の役務(続き)

3項 幕末を生き抜いた穢多の群像

1.『河田佳蔵獄中日記』に記録された穢多群像
今までどの歴史研究家も、『河田佳蔵獄中日記』の中に記されている徳山藩の穢多に関する記述には触れない。
武士の身分から書かれた文章であり、この史料の「穢多」に関する記述は、信憑性が非常に高い。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/__11cb.html


2.徳山藩浜崎獄舎の穢多(屠者)
徳山藩の穢多は、「穢多役」だけでなく「非人役」をも兼ねていた為、河田は「屠人」と呼んでいる。
河田は「穢多」から様々な差し入れを受け、また配慮があった為、『河田佳蔵獄中日記』は後世に残った。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/__5ff1.html


3.徳山藩穢多による死刑執行
「俗論派」は、苦しめながら「正義派」を処刑する事を命令したが、「穢多」は拒み、なるべく苦しめずに執行した。
後に「俗論派」は「正義派」によって、犯罪として糾弾を受けが、「穢多」については言及が無かった。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/__3e34.html

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/06(月) 21:33:14 ID:MNMf07/30
読み飛ばしてる奴が大半だろうが俺は勉強させてもらっている
これからもこのスレ頑張ってほしい

36 :吉田無学:2008/10/07(火) 21:07:09 ID:uR4VdzOg0
>>35
ありがとうございます。やっと序説の15%位です・・・
御意見や御指摘がありましたら、宜しく御願い致します。

37 :第3章 穢多の定義:2008/10/07(火) 21:09:16 ID:uR4VdzOg0
2節 穢多の役務(続き)

3項 幕末を生き抜いた穢多の群像(続き)

4.穢多に関する6つの命題
@穢多は非常民である。
A「部落学」についての定義(長文のため省略)。
B「けがれ」は、二重定義された概念である。
C穢多の身分は、役務と家職によって構成される。
D穢多の在所によって、穢多を規定することはできない。
E穢多の役務の目的は、法の執行である。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/__0567.html


5.維新団と上関茶筅隊
高杉晋作は、「穢多(茶筅・宮番)」を徴兵し、「維新団」「山代茶筅隊」「一心隊」を結成させた。
しかし、歴史学者は「賤民史観と愚民論」により、事実に著しく反した「部落民軍隊の歴史」を作り上げた。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/__474f.html

38 :第3章 穢多の定義:2008/10/08(水) 21:03:21 ID:KvRm434n0
2節 穢多の役務(続き)

4項 穢多の役務と家職

1.筆者・吉田向学と部落差別
筆者は、キリスト系団体の同和問題担当委員を2期8年務めたが、様々なしがらみがあった。
『部落学序説』は決して、「有閑階級」である宗教者の戯言ではない。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/__b542.html


2.武士と穢多の同質性
幕藩体制下の武士階級は、「穢多・非人」に対する規制と勝るとも劣らない規制がかけられていた。
また、殆どは下級武士であり、生活も「穢多」と同じ位で、内職をしなければならなかった。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/__1ef9.html


3.穢多の役務と家職
役務は、近世幕藩体制下の司法・警察の職務遂行。家職は、皮革(死牛馬処理)の権利。
その役務に対応する「家業(給付)」が無ければ、それを拒絶しても、罪にはならなかった。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/__f2ee.html

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/09(木) 00:23:42 ID:INVzI/phO
>>33
いや…エピソードあった方がまだわかりやすいですよ…

40 :吉田無学:2008/10/09(木) 20:57:15 ID:beBJOBmE0
>>39
結論を簡潔明瞭かつ簡単に知りたい方や、私みたいに「二行でまとめる作業」にはキツイですw
「部落学序説を一回だけ読んで、部落問題を理解する」と言う意味では、非常に良い文章だと思います。

41 :第3章 穢多の定義:2008/10/09(木) 22:03:23 ID:beBJOBmE0
3節 穢多の外延

1項 ある差別事件・・・
行政・政党・運動団体・教育機関等は、真の部落差別解消に役立っていない。
むしろ差別を助長し、「同和対策事業」「同和教育」等の名目で、巨額な税金を浪費しただけである。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/post_0414.html


2項 穢多とは誰か

1.「穢多」・「茶筅」・「宮番」・「猿引」・「非人」
穢多・茶筅・宮番等の表現は、「アドホック(間に合わせの言葉)」として使用されていると思われる。
言葉の語源論的解釈を放棄して、近世幕藩体制下の様々なシステムを考慮する必要がある。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/__cfac.html


2.「穏亡」・・・殺人事件を捜査する近世の私服刑事
柳瀬勁介は、加賀・備中・能登では「えた」を「おんぼ」というと指摘している。「穏亡」が登場するのは、
不審な死体が発見された場合で、「穏亡」は「隠れ捕亡(殺人事件専門)」ではないかと推定出来る。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/___3a39.html

42 :第3章 穢多の定義:2008/10/09(木) 22:05:43 ID:beBJOBmE0
3節 穢多の外延(続き)

2項 穢多とは誰か(続き)

3.「庄屋」の目から見た「穢多」
明治4年に、「非常・民」の役を解かれたのは「穢多」の他、与力・同心や「村役人(庄屋等)」もそうであった。
新政府に再雇用されなかった者の多くは没落し、穢多村は住民構成の変化があったと推測せざるを得ない。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/__47cd.html


4.「かわた」と「穢多」は同一概念
長州藩の「穢多」と広島藩の「かわた」は、幕末期において、極めて類似した所作をしている。
両方とも語源的な意味合いは無く、「非常・民(司法・警察)」を指す単なる記号であると断定出来る。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/___941f.html


5.「はちや」に関する考察
島根県・鳥取県には「鉢屋」と言う言葉があるが、「穢多」・「皮田」と同じ「非常・民(司法・警察)」である。
「鉢屋」も漢字の持っている「意味」を恣意的に解釈せず、アドホック(間に合わせの言葉)と解釈するべきである。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/__ae60.html

43 :第3章 穢多の定義:2008/10/10(金) 21:15:50 ID:xqOH9cnf0
4節 穢多と宗教

1.「部落学」構築途上における障碍
筆者の「部落学研究」は「独白(ひとりごと)」でしかないが、歴史の真実を伝えなけらばならない。
水平運動に「穢多等」の末裔では無い方もいたが、真の「部落民」の姿を語らなければならない。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/___39ed.html


2.宗教者と部落問題
殆どの宗教者はアリバイ作りの為に、「現場研修会」等に参加しているが、筆者は一宗教者として取り組む。
幕藩体制下の「穢多寺」は、浄土真宗の付録的存在ではなく必須の重要な機関であり、再定義が必要である。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/post_a066.html


3.浄土真宗と穢多
浄土真宗には、「邪宗門」に対する抑圧・排除のシステム(宗教警察)があり、徳川幕府から信任された。
幕府は、全国津々浦々に「穢多(宗教警察)」を配置し、幕府が禁教したキリスト教の取締りを行った。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/__fcb4.html


5節 穢多と習俗
「鯉のぼり」の習慣の元は、「士」の身分が端午の節供に「幟(のぼり)」を立てた事が始まりであった。
「農・工・商」は「鯉のぼり」であり、「穢多」は「士」の身分と同じ様式の「無紋の幟」であった。
 
ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/post_d4dc.html

44 :第3章 穢多の定義:2008/10/10(金) 21:20:05 ID:xqOH9cnf0
6節 穢多とキリシタン

1.歴史的な差別は恐れからくる(阿部謹也)
「常民(一般市民)」の「非常民(軍事・警察)」に対する視点には、「恐怖」と「敬う気持ち」が絡み合っている。
その「恐怖」とは、「治安維持法」や、それよりも過酷で残虐であった徳川幕府の「キリシタン弾圧」である。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/post_77b4.html

2.部落史研究とキリシタン弾圧
「穢多」制度確立の時期は、キリシタン弾圧の頂点たる島原の乱の前後で、既存の研究者の共通見解である。
しかし、キリシタンとその類族が「身分外身分」であり、取り締る側の「穢多」では無い事を指摘していない。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/post_f894.html

3.穢多とキリシタン
真宗が広まった地域ではキリスト教の布教が進まず、それを確認した幕府は真宗と密約を結んだ。
多くの部落史研究者は何故か、「穢多(宗教警察)」が「キリシタン」を厳しく糾弾した歴史を無視している。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/post_b072.html

45 :第3章 穢多の定義:2008/10/11(土) 21:21:14 ID:PZ4dyimh0
6節 穢多とキリシタン(続き)

4.近世宗教警察としての「穢多」
将軍直属の「奉行」は、「寺社奉行」ただひとつであり、その職務の主要な内容に、「キリスト教対策」があった。
また幕藩体制の社会病理現象として、浪人・キリシタン問題があり、「取締り」は、すべての「穢多」に課せられた。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/__ffcc.html


5.幕府とキリシタン弾圧
「穢多」の宗教警察を含む司法・警察機能がより強化されるのが、「元禄・享保年間」(18世紀前半)である。
歴史学者は、その間の「正徳」年間を意図的に外し、「穢多」に対する「管理強化」を「差別強化」とした。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/__fed4.html


6.『西洋紀聞』・長助とはるの物語
幕府はキリシタンの糾弾・処刑を、非公開にする様になった。しかし、「正徳」年間に、宣教師シロウテ事件が起こる。
幕府は、キリシタン弾圧の必要性を再確認し、キリシタン糾弾の機関として「穢多(宗教警察)」制度を、再整備していった。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/post_ae3d.html

46 :第3章 穢多の定義:2008/10/11(土) 21:27:47 ID:PZ4dyimh0
7節 穢多と遊女

1.周防国・室積の遊女の碑
光市室積には遊廓があった。地元のおばあさんの話では、他の遊廓と違って、室積の遊廓は、遊女に子供を産ませて、
その子供にも遊女をさせていた。また遊廓跡の近くは、「穢多」の在所であったと言う。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/__d904.html


2.近世幕藩体制下の遊女
「遊女」の社会的な身分は「百姓」であり、「穢多」は当時の風俗(遊女)を取締まる立場にあった。
しかし、部落史研究者は、この「穢多」と「遊女」を「賤民」という同一概念で把握しようとする。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/__1178.html


3.賎民史観から見た遊女
上杉聡の「賤民史観」によると、明治以降は部落の女性が、娼妓等に売られる事がよくあった。
しかし、それ以前は「遊女」の方が「穢多」よりも身分が上の為、それはありえないと言う。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/__1cb8.html

47 :第3章 穢多の定義:2008/10/11(土) 21:29:41 ID:PZ4dyimh0
7節 穢多と遊女(続き)

4.上杉聡の遊女観
上杉聡は、「娼妓解放令」に関心を持ち、明治4年8月の太政官布告を「賤民解放令」と名付けた。
上杉の主張は、精神的似非同和行為であるが、多くの歴史学者や研究者に受け入れられていった。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/__b0cd.html


5.穢多(非常民)と遊女(常民)
徳山藩では、遊女にするための人身売買が禁止されていた。穢多の娘を遊女にする事を禁止したのは、
「穢多」は遊郭を取締る立場であったからであり、決して「賤民史観」的な身分上の問題では無かった。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/__7eb2.html

48 :第3章 穢多の定義:2008/10/11(土) 21:32:45 ID:PZ4dyimh0
8節 穢多と法的逸脱

1.木綿強制は差別にあらず
「穢多・非人」に「木綿」を強制することは、「服装等に対する厳しい差別」では決してない。
徳山藩の「家中諸法度定」の、「諸士は平素綿服を着用すること・・・」と同じ規律である。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/__5a46.html


2.近世法と穢多
今日、通説という「歪んだ形」で、古き時代の政治・文化の美風は、否定・歪曲・萎縮されてきた。
司法・警察であった同心・目明し・穢多・非人も、部落史の「通説」で、事実とは異なるものになった。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/__98d6.html


3.穢多と法的逸脱
「穢多・非人」に対する御仕置きは、「刑罰」であって決して「差別」ではない。「御仕置き」事例が少ないのは、
「穢多(司法・警察)」が犯罪を犯して入牢された場合、牢名主(犯罪者)による残酷な処遇が待っていたからである。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/__836f.html


4.法の番人としての穢多
最近の部落研究はどちらかいうと、「政治起源説(役務)」から「文化起源説(家職)」に移行していくような傾向がある。
「穢多・非人」が「穢多・非人」であるのは、その「家職(皮革)」というより、その「役務(司法・警察)」にある。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/__a9cf.html

49 :第3章 穢多の定義:2008/10/11(土) 21:35:39 ID:PZ4dyimh0
9節 誤解された渋染一揆

1.「素人考え」による批判
「賤民史観」による百姓一揆にまつわるその姿は、愚民が突発的に発生させた無計画なものばかりである。
しかし、民衆運動の研究家によると、「組織性」と「規律性」の下で実施され、計画的なものであった。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/__c373.html


2.渋染一揆の指導者の実像
柴田一著『渋染一揆論』によると、一揆を指導した弥一と友吉は、学問を教授出来る知識人であった。
しかし、既存の研究家からは、「全く非常識で、部落史というものが全くわかっていないと」酷評された。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/__f1c8.html


3.渋染一揆の時代的背景
既存の研究家は、「渋染・藍染」の「色」の問題を強調する。「荊冠旗」の「色」にも意味があり、その意味は、
キリシタン弾圧に貢献してきた「穢多」が、明治政府に身分外身分、社会外社会に落とされた事だと推測する。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/__fbdf.html


4.渋染一揆(穢多が穢多であるための闘い)
「渋染一揆」は、決して「部落差別に対する抵抗運動」ではない。「渋染・藍染」は、警察官だと一目で解る為、
「穢多」の職務、犯人の探索・捕亡・糾弾に際して、職務遂行の妨げになるので、撤回してほしいと訴えたに過ぎない。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/__1c5c.html

50 :第3章 穢多の定義:2008/10/11(土) 22:10:35 ID:PZ4dyimh0
9節 誤解された渋染一揆(続き)

5.真の人生、真の学問を求めて、部落学序説第1〜3章結び
「真の学問と偽りの学問との相違を、あなたはご存知でしょうか? 真の学問は自らの歴史を認めて受け入いれる・・・」
by ミシェル・フーコー

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/post_d6a1.html



※次レスから「第4章太政官布告批判」になります。
第4章の公開は、かなり批判を浴び、紆余曲折があったそうです。

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/14(火) 00:05:05 ID:qC8aZtbDO
筆者はかなり偏った思想の持ち主のようで。
信憑性に欠けますな。

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/14(火) 00:29:36 ID:P9JHN9jBO
もっこすの妄想より論理的なんじゃないかい。

53 :吉田無学:2008/10/15(水) 21:12:38 ID:d2AtHQGG0
>>51-52
キリスト教徒としての視点ですので、かなり異色ですね。
「宗教警察」と言う発想も、既存の歴史家では思いつかないと思います。

54 :第4章太政官布告批判:2008/10/15(水) 21:13:59 ID:d2AtHQGG0
1節 部落とは何か

1項 「村」と「部落」
「部落」という言葉が「村の一部」等の意味よりも、「被差別部落」の意味だと強調されてきた。
それは「賤民史観」によって色付けされたものであり、汚された色を洗い落とさなければならない。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/10/post_b2a6.html


2項 「村」と「部落」と古老
既存の歴史学者は、「古老」の語る伝承に耳を傾けるが、「作り話(虚構)」として切り捨てている場合が多々ある。
「賤民史観」と「愚民論」で、根拠を提示することなく、「推測」を読者に押しつけている。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/10/__08b3.html

55 :第4章太政官布告批判:2008/10/16(木) 21:07:47 ID:SxdIxVdD0
3項 「村」、近世から近代へ

1.村境の変貌
近世幕藩体制下の「村境」は、二重定義の概念で、「点」でもあり、「線」でもあった。
「村境」を守る「穢多」は、新政府によって排除されたが、「心意的な村境」として残った。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/10/post_5022.html


2.近世の「村」から近代の「部落」へ
近代日本は、古い「むら」を破壊しつつ、明治政府による神道中心の「むら」を構築していった。その中で、
浄土真宗中心の「むら」は、特殊な、例外的な一面をもった「部落」とみなされるようになったと推測する。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/10/post_a4a7.html

56 :第4章太政官布告批判:2008/10/17(金) 21:08:02 ID:GoPo1Esb0
4項 翻訳語「部落」−法制用語

1.「部落」概念の普及は明治20年以降
法制用語、行政用語、学術用語としての「部落」概念の登場は、明治20年以降の事である。明治4年に「部落解放令」
と言うような概念は、存在する可能性すらなく、新しい理念として、明治政府によってつくられたものである。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/10/post_3586.html


2.部落史研究上の禁忌(タブー)
近世幕藩体制下で、「切支丹」や「日蓮宗不受不施派」は、宗教警察である「穢多」に「差別(糾弾)」されてきた。
しかし、既存の御用学者はこの事実を完全に隠蔽し、明治4年の通称「解放令」から筆を起こしている。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/10/post_ed81.html


3.「部落」概念の賎民史観的用法
「部落」という言葉・概念の起源を、著名な部落史研究家から調べるが、明治以降における歴史的な変遷を避けて通ろうとしている。
しかも、歴史学者や教育者が、恣意的に解釈して、「部落」概念に対して限りなく拡大解釈をして、焦点をぼかしていく。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/10/post_d690.html

57 :第4章太政官布告批判:2008/10/20(月) 20:45:36 ID:Bd8MOU860
4項 翻訳語「部落」−法制用語(続き)

4.独語「ゲマインデ」の訳語としての「部落」概念
「ゲマインデ」の訳語「部落」はアドホックである。明治政府の近代化政策によって、「移転が自由」になり、
近世幕藩体制下の「●(点)」としての村境も、「−(線)」としての村境も、すべて破棄されていった。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/10/post_8dd5.html


5.明治天皇制下の基本的共同体としての「部落」
ドイツ語の「ゲマインデ」=市町村+キリスト教会。日本語の「部落」=市町村+神社。明治政府は、
ドイツの地方自治制度に擬し、神道国教化の方針を徹底的に貫こうとしたのではないかと推測する。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/10/post_06c9.html

58 :第4章太政官布告批判:2008/10/22(水) 20:47:15 ID:OjaglWzN0
2節 穢多談議

1.「穢多非人」再考
江戸時代の「番人」である「衞手」を、和語としてではなく漢語として発音すると「エタ」になる。
また、近世幕藩体制下の「穢多」の関係した「屠」には、「殺」の意味は含まれていない。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/10/post_76b6.html


2.明治2年公議所と「国辱」談議
『明治維新と部落解放令(石尾芳久)』に興味深い記述がある。坂本龍馬は、近世幕藩体制下の「賤民」として、「穢多・非人」ではなく、
「キリシタン」をあげている。「公議所」で談議された、「穢多」に関する議題は、岩倉具視の「皇国ノ大恥辱」に関係している。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/10/post_f087.html


3.現代人が失った明治の「国辱」感覚
ある人々の利権を擁護するために、ある人々の利権を剥奪する。現代では「日米地位協定」で、在日米軍の治外法権は「国辱」である。
不平等条約の治外法権よりも更に大きな「国辱」。加藤弘蔵は、それを「非人穢多」であると言い、「穢多非人」とは言っていない。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/10/post_60a7.htm

59 :第4章太政官布告批判:2008/10/23(木) 21:15:31 ID:ozzMG7020
2節 穢多談議(続き)

4.加藤弘蔵「非人穢多御廃止ノ議」
明治2年公議所の議案、「非人穢多御廃止ノ議」の文章中の字句にも、「賤民」ないし「賤民」を想定させる表現は無い。
「賤民」概念の無い時代に、「賤民解放論」とすることは困難であり、あくまでも「非人穢多ノ称被廃止」のみを強調している。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/10/post_0e4f.html


5.雑想
「被差別部落出身者にしか部落差別問題はわからない・・・」というのは、被差別部落の側の抱く、単なる幻想に過ぎない。
被差別部落出身者だからこそ、見えなくなっている、理解することができなくなっている現実も存在する。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/10/post_0040.html


6.明治2年公議所の体質
公議所は、議論する場所であって、裁決する場所ではない。加藤弘蔵が「非人穢多」という表現を使用したのは、「拷問制度」と
「宗教弾圧」に直接か関わりがあったのは、「非人役穢多」であり、不平等条約撤廃の一番の障害であった為である。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/10/post_7cd0.html

60 :第4章太政官布告批判:2008/10/24(金) 21:03:31 ID:tEuBOG0L0
3節 拷問制度とキリシタン弾圧

1項 明治新政府に対する外圧
欧米諸国は、前近代的な「拷問制度」の廃止を求めたが、明治新政府は要求を否定する形での施策を展開した。
諸外国が優秀であると認めた、近世幕藩体制下の「警察」組織を解体し、「拷問制度」は維持・継承を画策した。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/11/post_c975.html


2項 拷問
不平等条約である「治外法権」は、欧米の諸外国が自国民を、日本の「拷問制度」からその身を守るためのもの。
明治新政府は、前近代的な「拷問制度」を破棄しなかった為、「治外法権撤廃」は挫折し、失敗に帰した。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/11/post_67e1.html


3項 草莽と穢多
「草莽」による外国人暗殺は、日本の固有の「法」に基づく処置ではなく、「法」を逸脱した犯罪の様相を呈していた。
「拷問」・「草莽」に対して明治政府は、旧警察制度の解体とその責任の追究・処罰・対策をはじめた。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/11/post_4dea.html

61 :第4章太政官布告批判:2008/10/27(月) 21:15:50 ID:vzLM5UGa0
3節 拷問制度とキリシタン弾圧(続き)

4項 見落とされた史料

1.『京都府下人民告諭大意』の中の番人
この文書は、「明治初年、天皇支配の正統性を説く告諭書」である。この文章に出てくる「番人」とは「穢多・非人」である。
明治新政府は当初、穢多・非人を「非常民」としてそのまま継承させようとし、その政治的な意図を反映しているように思われる。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/11/post_dc27.html


2.被差別部落と天皇制
被差別部落の人々の天皇制に対する「追慕」の念は、太政官布告では無く、『京都府下人民告諭大意』に由来すると思われる。
しかし、明治新政府は、近世幕藩体制下の司法・警察である「番人」を、継承から廃棄へと流れを大きく変えていった。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/11/post_3910.html


3.『京都府下人民告諭大意(第2編)』−王政復古から欧化政策へ
明治新政府は、「武士」を寛大に処遇し、体制の中に取り込んだが、「同心・目明し・穢多・非人」「村役人」に対しては、
太政官布告第61号によって、スケープゴート(身代わりの犠牲)として、「草莽」の名を押しつけ排除していった。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/11/post_07ed.html

62 :第4章太政官布告批判:2008/10/28(火) 21:00:41 ID:Wl9MFXVM0
3節 拷問制度とキリシタン弾圧(続き)

5項 明治新政府による穢多排除の背景
「公議所」書記・大岡玄蔵によって、近世幕藩体制下の司法・警察であった「穢多」制度の解体に向けた議案が提出された。
それは、藩士身分であった「草莽」を限りなく救済し、「穢多」にその責任を転嫁する政策の走りだったと思われる。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/11/post_8ab7.html


6項 殺生与奪の権
「穢多」に「殺生与奪の権(裁判権)」は無く、「穢多頭から裁判権を奪うべきとする議案」は、明治政府による「捏造」と思われる。
明治政府は、キリシタン弾圧問題を「穢多」に責任転嫁したが、この策略はほころび始め、治外法権の撤廃には至らなかった。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/12/post_1f30.html

63 :第4章太政官布告批判:2008/10/29(水) 21:04:39 ID:1EBzYP260
3節 拷問制度とキリシタン弾圧(続き)

7項 キリシタン弾圧問題

1.明治初期の司法制度とキリシタン弾圧
明治新政府の国辱としての「治外法権」の早期撤廃の足枷になった要因は、@拷問制度、Aキリシタン弾圧、であった。
キリシタン弾圧問題は、国内問題ではなく外交問題でもあり、その解明には諸外国の外交文書等の検証が必要である。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/12/post_3448.html


2.キリシタン弾圧、真宗の関与、外交問題へ発展
諸外国からのキリシタン弾圧の批判を、明治新政府は詭弁で切り抜けようとするが失敗し、キリスト教と真宗の軋轢を生む。
明治新政府は役人としての「穢多」をリストラし、スケープゴートにする事によって、部落差別のるつぼに追いやっていった。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/12/post_a0d0.html


8項 キリシタン弾圧問題をめぐる外交の一断面
キリスト教を事実上弾圧する明治新政府が、キリスト教国の欧米列強に対して、不平等条約の改正をさせる事は不可能であった。
明治4年の「太政官布告第61号」は、「穢多」の「賤民身分解放」ではなく、「平民」としての「身分格下げ」であった。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/12/post_dba4.html

64 :第4章太政官布告批判:2008/10/30(木) 20:55:01 ID:O9silzhE0
4節 明治4年太政官布告第61号

1項 太政官布告の研究方法
既存の御用学者は、「明治4年太政官布告第61号」という表現は間違いで、「賤民解放令」等が正しい表現と喧伝する。
しかし、臼井壽光の指摘の様に、「地方文書」の批判・検証に基づく、「地方文書」そのものの正当な解釈も必要となる。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/12/post_1e9b.html


2項 太政官布告の釈義

1.太政官布告(第488号と第489号)
第488号・489号と、二つの条文を出したのには、それなりの理由があったと想定される。しかし、既存の御用学者は、
なぜ二つにしたのか?と言う疑問を持たずに、一つのものと解釈をしたため、諸説入り乱れた混乱状態の説ばかりである。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/12/post_d0c3.html


2.「穢多非人等」
第488号・第489号と、第61号の三つは、総合的に解釈をする必要がある。「穢多非人等」の解釈もあいまいであり、
被差別の対象を拡大してきた。通説・一般説を覆す可能性もあるが、明治政府の官僚の残した記録も検証する必要がある。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/12/post_1e11.html


3.「等」の意味
明治4年3月に出された「斃牛馬等勝手処置の布達」が、実質上の「穢多・非人」身分廃止の布告であり、「身分解放令」である。
同8月の布告は、その確認のための二次的法令で、「穢多非人等ノ称被廃候条」は、「斃牛馬等勝手処置の布達」の事である。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/12/post_c829.html

65 ::第4章太政官布告批判:2008/11/04(火) 20:54:11 ID:466ttuim0
4節 明治4年太政官布告第61号(続き)

2項 太政官布告の釈義(続き)

4.「穢多非人等ノ称被廃候条」
明治政府による、身分制度からの「解放」や「統廃合」は全ての身分に対して行われた。その中で「穢多・非人」は非常に数が多く、
『明治天皇紀』によると、「全国に穢多280,311人・非人23,480人・皮作等の雑種7,997人にして、総計382,888人」と記されている。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/12/post_df72.html


5.「身分職業共平民同様」
太政官布告の「身分・職業」は「役務・家業」の事であるが、現在でも、教育者が間違った歴史認識のもとに、起源説の見直し、
教材内容の見直しを図ろうとしている。それは、「役務(司法・警察)」を黙殺し、「家業(皮革等)」のみに重点を置く事である。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/12/post_3cc8.html


6.「身分・・・平民同様」
近代天皇制国家は、「新」身分制度を新たに構築することで、「旧」身分制度に劣らないより強固な身分制社会を作りあげていった。
しかし実際は、「拷問」・「法制度」温存させるため、司法・警察の本体である「穢多・非人」制度を、影で温存させていった。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/12/post_d4a3.html

66 ::第4章太政官布告批判:2008/11/05(水) 21:03:17 ID:/ZfVM/sR0
4節 明治4年太政官布告第61号(続き)

2項 太政官布告の釈義(続き)

7.「職業・・・平民同様」
「穢多」が監視していた「廿八職」の職人すべてが、「穢多・穢多の類」ではない。東京府の史料によると、「一般の廿八職」と、
「弾直樹支配の廿八職」を別様に扱っている。「検校・勾当」も特権を廃止されたが、御用学者は関心を全く持っていない。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/12/post_800e.html


8.「一般民籍ニ編入・・・」
明治政府は戸籍作成を急いだが、人民から税を徴集するためだけでなく、治安維持の極めて有効な手段として編纂された。
治安維持のため「旧穢多」も、「奸兇」となった「兵士」・「浮浪」・「奸民」の探索・捕亡・糾弾に動員されていった。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/12/post_d813.html


9.「地租其外除蠲ノ仕来・・・」
「士族」身分のほとんどは、「リストラ」に伴う零落と貧困に苛まれていったが、「上見て暮らすな、下見て暮らせ」と自制した。
明治の「士族」対「新平民」は、近世の「浪人」対「穢多非人」の図式で受け止められていた可能性がある。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/12/post_0bf2.html

67 :第4章太政官布告批判:2008/11/06(木) 20:59:32 ID:47WjhHCY0
4節 明治4年太政官布告第61号(続き)

5節 戸籍と国家神道

1項 宗教としての神道
「神道の祈り」は「仏教の念仏」より、「キリスト教の祈り」に近い。しかし、キリスト教と神道では「罪」の許し方が異なり、
キリスト教は「贖罪」を説くが、神道は「贖罪」はともなわず、「罪の忘却」という形で実現される。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/12/post_a1bd.html


2項 「壬申戸籍」に関する一考察

1.壬申戸籍の目的
既存の学者は、「戸籍と宗教」・「戸籍と寺社」の関係を明確にしてこなかった。「壬申戸籍」施行の目的は、@治安対策、
A租税賦課の徹底、B近世のキリスト教禁圧政策の継承、を目的にしたもので、近世と近代の両時代の政治意図が反映されている。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/12/post_12af.html


2.壬申戸籍の記載事項
「族称欄」の身分記載は、必要不可欠であり、刑法典である「新律綱領」と「改定律令」が、身分に応じた刑罰を課した為である。
「司法・警察(穢多)」が一般人の刑罰より重いのは、差別ではなく、職権の乱用があった場合は、厳しく罰すると言う事である。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/12/post_2452.html

68 :第4章太政官布告批判:2008/11/10(月) 20:36:30 ID:kVCY0W/00
5節 戸籍と国家神道(続き)

2項 「壬申戸籍」に関する一考察(続き)

3.壬申戸籍による「穢多非人」の識別
「壬申戸籍」は、近世幕藩体制下の「宗門改帳」の近代における継承でもある。「新平民」記載や記号による識別は、
極めて例外的で、「宗門改帳」の記載事項が転記された箇所(先祖が所属していた寺院名・神社名)を見れば分かる。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/12/post_46ba.html


4.壬申戸籍と神社
宗教記載欄を見ると、身分を示唆する「寺」と、明治になってから新たに組み込まれた「神社」の両方を確認することができる。
明治新政府は、「宗門改め」に代えて、「氏子改め」を採用したが、欧米諸外国から批判され、あまり時を経ないで撤回した。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/01/post_5879.html


3項 『部落学序説』今後の展望
部落史研究家のいう「解放令反対一揆」は、「元穢多非人」に向けられたものではなく、「明治新政府」に向けられていた。
「太政官布告」が地方行政でどのように受け止められ、「元百姓」による「解放令反対一揆」に発展していったかを明らかにする。

ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/01/post_9b51.html

69 :あっくん ◆f8mGMyyZGI :2008/11/12(水) 23:57:25 ID:3gN9A+pH0
弾左衛門
(だんざえもん)
江戸に本拠をおいた〈穢多頭(えたがしら)(長吏頭(ちようりがしら))〉で,関八州と伊豆の全域,および甲斐,駿河,陸奥の一部の被差別部落を統轄するとともに,
触頭(ふれがしら)として全国の被差別部落に号令する権限を幕府からゆだねられていた。歴代この名を襲名し,幕末・維新期の第13代弾左衛門(弾内記(ないき),直樹(なおき))にいたって旧来の地位・権益を失った。
 弾左衛門家の,江戸時代以前における沿革については,ほとんどわかっていない。
《弾左衛門由緒書(ゆいしよがき)》は,遠く治承4年(1180)9月に〈鎌倉長吏藤原弾左衛門〉という者が源頼朝から朱印状を受け,
長吏や非人をはじめとする28種の諸職の上に弾左衛門が立って彼らを統轄する権限を認められたのが始まりであると伝えており,
また足利家から〈関八州長吏頭〉に任命されたとも称するが,いずれも確証がなく,その取扱いには慎重を要する。
 弾左衛門の住所は,当初は江戸城に近い日本橋かいわいに定められたが,やがて浅草に移されて,新町(しんまち)を〈囲い内(かこいうち)〉とし,大規模な屋敷構えを許されて〈弾左衛門役所〉と呼ばれた。
将軍家の威光を背にしながら,江戸はもとよりのこと関東諸地域の被差別部落の掌握に努め,1722年(享保7)には江戸で非人統轄の任に当たっていた〈非人頭〉を配下に組み入れるのに成功。
これにより,弾左衛門の支配圏は大幅に拡張されたとみられる。
以降,主として行刑・皮剥(かわはぎ)(皮革生産)を生業とする人々を中核とした被差別部落の上に屹立(きつりつ)して,
その強大な実権と確固たる管理統制機構とにより幕府の人民支配を根底から支える任務を負い続けた末に,幕末の激動期を迎えた。

70 :あっくん ◆f8mGMyyZGI :2008/11/12(水) 23:59:27 ID:3gN9A+pH0
 幕末・維新期に,一族・配下の命運を双肩にになった第13代弾左衛門は,遠縁で摂津住吉郡の長吏であった利左衛門(りざえもん)の長男として生まれ,小太郎といったが,
若くして病臥の身となっていた第12代(名は譲・周司)の養嗣子に迎えとられて同家を継いだ。その後は歴代と同様に幕府に忠節を尽くし,第2次長州征伐(1866)に際しては,
幕命を奉じて500余名の配下を軍夫として大坂に急派したのみならず,みずからも独断で摂津の被差別部落におもむいて〈鉄砲組百人〉の編成と幕府軍への提供を勧めたりもしたほどであった。
 しかしながら,過酷な身分的差別に対する被差別部落住民の不満は,すでに集中的に高まってきており,幕府・諸藩の意に反する行動に出る人々も目だっていたし,
そのうえ,〈えた・非人〉の人数や実力に着眼して特別の軍隊を編成する藩(長州藩)や,江戸市中の攪乱工作に利用しようとして弾左衛門に誘いをかける藩(薩摩藩)など,倒幕をめざす諸藩の動きもみられたから,
幕府としても弾左衛門の志向に神経を立てざるをえなくなった。弾左衛門はみずからの身分呼称の〈えた〉を〈醜名〉とみて深く恥じており,その除去,すなわち身分の格上げを願ってやまなかったから,
将軍家侍医松本良順をつうじて〈醜名除去〉を請願するにいたった。この件は政情多端のなかで一時紛れはしたが,大政奉還・王政復古(1867)のあとに起こった鳥羽・伏見の戦(1868年1月)の直後,
第15代将軍徳川慶喜の命により,長州征伐での功績を理由にしてようやく実現し,〈えた〉身分から〈平人(へいじん)(平民)〉身分に転じ,
あわせて弾内記(のち直樹)と改名することも許されて〈海陸軍付病院御用〉を申し付けられ,医学所頭取の松本良順の配下に入れられた。内記はすぐに〈譜代手下(ふだいてか)〉65名についても格上げを請願し,認可された。

71 :あっくん ◆f8mGMyyZGI :2008/11/13(木) 00:00:36 ID:QAk6iWRF0
また彼はこの件に関連して幕府に建白書を上呈,そのなかで,積年の差別を〈数百年の流弊(因習による弊害)である〉と断じ,〈天地の間に生をうけた人種(人間)にかわりないにもかかわらず,
人倫の交わりも成り立たぬとは,まことに*かわしい極(きわ)みである〉と述べて,配下にあったすべての〈賤〉,および直接管轄外にあった西日本各地の天領(幕府直轄領)・譜代大名領内の〈賤〉の身分格上げを強く要望した。
だが,これの実現は,維新政府による1871年(明治4)の〈解放令〉をまたねばならなかったのである。
明治に入ってからは名を直樹とし,文明開化の風潮のなかで皮革・洋靴製造工場の設立・経営に一族とともに取り組んで苦闘したが,資本家の積極的な進出に圧倒され,大日本帝国憲法公布の89年に没した。 横井 清

72 :あっくん ◆f8mGMyyZGI :2008/11/13(木) 00:11:53 ID:QAk6iWRF0
餌取
えとり
奈良時代から戦国時代にかけて、鷹狩(たかがり)に使う鷹や猟犬、屯倉(みやけ)の番犬などの餌(えさ)にするため牛馬をほふって肉を採取して上納したり、皮革、肉を商ったりした人々をいう。
律令(りつりょう)制では兵部省主鷹司(ひょうぶしょうしゅようし)の末端に属して任務に従事したが、律令制の解体につれて官を離れ、賤視(せんし)を受けつつも広く民間で活動して、その技術を後世に伝えた。
「恵止利(えとり)」「穢取(えとり)」とも表記されたが、正しくは「餌取」である。なお、江戸時代の被差別民の呼称であった「えた」の語源を、「えとり」に求める説が有力である。〈横井 清〉

73 :あっくん ◆f8mGMyyZGI :2008/11/13(木) 05:07:31 ID:QAk6iWRF0
えた
江戸時代の身分制度において賤民身分として位置づけられた人々に対する身分呼称の一種であり,幕府の身分統制策の強化によって17世紀後半から18世紀にかけて全国にわたり統一的に普及した蔑称である。
1871年(明治4)8月28日,明治新政府は〈太政官布告〉を発して,〈非人(ひにん)〉の呼称とともにこの呼称も廃止した。
しかし,被差別部落への根強い偏見,きびしい差別は残存しつづけたために,現代にいたるもなお被差別部落の出身者に対する蔑称として脈々たる生命を保ち,差別の温存・助長に重要な役割をになっている。
漢字では〈穢多〉と表記されるが,これは江戸幕府・諸藩が公式に適用したために普及したものである。ただ,〈えた〉の語,ならびに〈穢多〉の表記の例は江戸時代以前,中世をつうじて各種の文献にすでにみうけられた。
〈えた〉の語の初見資料としては,鎌倉時代中期の文永〜弘安年間(1264‐88)に成立したとみられる辞書《塵袋(ちりぶくろ)》の記事が名高い。
それによると〈一,キヨメヲエタト云フハ何ナル詞バ(ことば)ゾ 穢多〉とあり,おもに清掃を任務・生業とした人々である〈キヨメ〉が〈エタ〉と称されていたことがわかる。
また,ここでは〈エタ=穢多〉とするのが当時の社会通念であったかのような表現になっていたので,特別の疑問ももたれなかったが,末尾の〈穢多〉の2字は後世の筆による補記かとみられるふしもあるので,
この点についてはなお慎重な検討がのぞましい。〈えた〉が明確に〈穢多〉と表記された初見資料は,鎌倉時代末期の永仁年間(1293‐99)の成立とみられる絵巻物《天狗草紙》の伝三井寺巻第5段の詞書(ことばがき)と
図中の書込み文であり,〈穢多〉〈穢多童〉の表記がみえている。これ以降,中世をつうじて〈えた〉〈えんた〉〈えった〉等の語が各種の文献にしきりにあらわれ,これに〈穢多〉の漢字が充当されるのが一般的になった。

74 :あっくん ◆f8mGMyyZGI :2008/11/13(木) 05:08:32 ID:QAk6iWRF0
この〈えた〉の語そのものは,ごく初期には都とその周辺地域において流布していたと推察され,また〈穢多〉の表記も都の公家や僧侶の社会で考案されたのではないかと思われるが,
両者がしだいに世間に広まっていった歴史的事情をふまえて江戸幕府は新たな賤民身分の確立のために両者を公式に採択・適用し,各種賤民身分の中心部分にすえた人々の呼称としたのであろう。〈えた〉の語源は明確ではない。
前出の《塵袋》では,鷹や猟犬の餌肉の採取・確保に従事した〈餌取(えとり)〉の称が転訛し略称されたと説いているので,これがほぼ定説となってきたが,民俗学・国語学からの異見・批判もあり,なお検討の余地をのこしている。
文献上はじめてその存在が確認される鎌倉時代中・末期に,〈えた〉がすでに屠殺を主たる生業としたために仏教的な不浄の観念でみられていたのはきわめて重要である。
しかし,ずっと以前から一貫して同様にみられていたと断ずるのは早計であり,日本における生業(職業)観の歴史的変遷をたどりなおすなかで客観的に確認さるべき問題である。
ただし,〈えた〉の語に〈穢多〉の漢字が充当されたこと,その表記がしだいに流布していったことは,〈えた〉が従事した仕事の内容・性質を賤視する見方をきわだたせたのみならず,
〈えた〉自身を穢れ多きものとする深刻な偏見を助長し,差別の固定化に少なからず働いたと考えられる。⇒被差別部落                     横井 清

75 :あっくん ◆f8mGMyyZGI :2008/11/13(木) 07:38:12 ID:QAk6iWRF0
http://209.85.175.104/search?q=cache:xXf4UGNl_J4J:blogs.dion.ne.jp/t_fujita/archives/7541402.html+%22%E5%90%9B%E7%AD%89%E6%86%82%E6%85%AE%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%82%8C%22&hl=ja&ct=clnk&cd=1&lr=lang_ja

ここに、弾左衛門に関する、松本良順の日記がありますね。
しかし、不思議ですねw
何で、エタという位を作ったんでしょーね?w

76 :吉田無学:2008/11/17(月) 20:44:06 ID:mqUB0IB70
>あっくん ◆f8mGMyyZGI氏

レスありがとうございます。吉田向学氏は、検非違使制度の名残りと言っております。
日本の為政者は、全てのものを破壊し、新しくする様な「革命」はしませんでした。
利用出来るものは利用し、利用したくないものは新しく構築しています。

吉田向学氏の説を全て肯定しておりませんが、今までの御用学者の説はおかしいと思います。

77 :あっくん ◆f8mGMyyZGI :2008/11/18(火) 08:45:23 ID:s5Ai1kfY0
>日本の為政者は、全てのものを破壊し、新しくする様な「革命」はしませんでした。
>利用出来るものは利用し、利用したくないものは新しく構築しています。

これは僕も同意です。
・日本は狭い島国だから、昔の価値観が簡単に共有出来た。
・為政者は、物的な頂点に立ちたくて、新しい権力者、暴力頂点者になるのだから、社会的序列などはどうでもいい。新しい価値観を作るよりなるだけ古い価値観を利用した方が便利でリーズナブル。
・で、天皇さまは高貴な人、エタは下劣な人間、という社会的序列を継承して明治まできちゃった
と、そんな風に思います。

78 :あっくん ◆f8mGMyyZGI :2008/11/18(火) 08:57:25 ID:s5Ai1kfY0
つまり、天皇さまもエタも百姓も実はみな同じ人間と。
そんなのは誰も知ってるとw
でも、前権力者時代に存在してた『天皇>武士>百姓>エタ』というヒエラルキーを崩す理由はないとw
そんなつまらん事をするより自分は穏便に日本を武力統治したいと、いう気持なのでしょう。

これはマッカーサーもそうだったと思いますw
アメリカが、日本人という土人を統治するのに天皇は利用価値があると、つまらん事で波風を立たせない方が得策と。
そんな理由で天皇制を存続させたのだと思います。

79 :あっくん ◆f8mGMyyZGI :2008/11/19(水) 01:26:31 ID:xaWfln1I0
http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/12/post_a0d0.html
>筆者が所属している教団の同和担当部門のトップは、筆者に、「天皇制問題に触れないなら、運動に参加することを許してもいい。

これ、面白いですね。
現在の日本で天皇制に批判的な態度をとると、自分たちの教団の存続があやうくなる、と考えているのでしょうか?

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/19(水) 08:56:08 ID:sSjeebqbO
よく目にする「エトリ→エタ」説なんだが、どうしたらエトリがエタに変化するのか説明してよ。

81 :吉田無学:2008/11/19(水) 22:22:47 ID:t1ZX+LoJ0
やべ!要訳をサボり杉www

>>あっくん ◆f8mGMyyZGI氏
>これはマッカーサーもそうだったと思いますw
でしょうね。日本は千五百年以上も、日本式立憲君主制で保っていた国ですからね。
織田信長ですら、天皇家を排除せず、寧ろ征夷大将軍任命の準備をしていましたw
マッカーサーは優れた軍人であり、政治的なセンスもあった事の証明になります。

>現在の日本で天皇制に批判的な態度をとると、自分たちの教団の存続があやうくなる、と考えているのでしょうか?
その通りだと思います。
実は、私の死んだ親父がクリスチャンでw普通の方よりはキリスト教の御都合主義を知っていますwww
キリスト教では、「死者は必ず蘇るので、死体は土葬!火葬は厳禁!」となっていますが、日本の風土・慣習に合わせ、
火葬がおkとなっていますwww


>>80
>よく目にする「エトリ→エタ」説なんだが、どうしたらエトリがエタに変化するのか説明してよ。
私は吉田向学氏の説、「検非違使制度の名残り→衛り手(まもりて)→衛手(えた)→穢多」に納得しています。

猿を「エテ公」と言うのは、「去る」では縁起が悪いため「得る」からで、イカの「スルメ→あたりめ」と同じ。
と言われていますが、私のトンデモ説はw
「猿引き」は「穢多(衛手)」でしたので、「エテ公」になったのかな?と推理していますwww

82 :あっくん ◆f8mGMyyZGI :2008/11/20(木) 09:39:19 ID:ib53llZ00
俺の推理、妄想は、
・端末の権力者はエタ。 なぜ、トップの権力者が端末の権力者をエタなどと侮蔑的な言葉で呼んだかはナゾ
・権力者=暴力者、に農民は管理、搾取、されていた
・権力者は選挙で選ばれたのではないw
・管理され、搾取される農民が権力者に反感を持つのは当然のこと
・しかし、農民にとって目に見える権力者はエタ
・エタが農民を管理、監視していた
・だから江戸期の農民の憎しみの矛先はエタに向かった
・しかし、エタは権力者側の人間なので農民にはどうすることも出来ない、されるがまま
ところが、
★明治期になり、エタは権力者ではなくなった
★そこで今までの農民の怨みが過激なエタ差別へと爆発した

83 :あっくん ◆f8mGMyyZGI :2008/11/22(土) 01:14:48 ID:Y7OVTFOn0
つーか、
部落解放同盟系の学者はなぜ明治より前のエタ研究をしないんだっ!
と、吉田向学さんは吠えてるけど、
江戸期のエタは農民をイジメてた末端の役人だったから、その事実を掘り返すと具合が悪いんじゃないの?w

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/22(土) 03:39:19 ID:QRMTszB30
餌取 → 穢取(権利) → 穢多 

は考えられないだろうか?

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/22(土) 03:44:13 ID:QRMTszB30
>>84はもちろん幕府側からの目線で

特定の家職の者達に役を与えたという視点からも自然かと思いますが

86 :あっくん ◆f8mGMyyZGI :2008/11/22(土) 05:17:28 ID:Y7OVTFOn0
>>84
言葉の成り立ちなんて、難しくて、我々シロウトでは水掛け論でしかないと思う。
で、権利ってのは動物をさばく権利でしょ。 本当は百姓だって動物をさばく権利を欲しいわけですよ。
でも、権力者はそれを百姓から取り上げ、端末の役人のエタに与えた。
と俺は妄想してる。

>>85
> 特定の家職の者達に役を与えたという視点からも自然かと思いますが
はい、わかります。
ただ、俺がわからないのは、その役に何故『穢多』という侮蔑的な名前を付けたか?です。
一番下っ端とはいえ、自分達の為に働いてくれる役人じゃないですか。
その人達を侮蔑的な言葉で呼ぶのは、単純に損だと思うんですよね。

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/22(土) 11:26:30 ID:E8KS8DV1O
>>86
皮革利権欲しさに、百姓からエタに転職する場合もあった模様
ソースはググッてみて

「エタ」は 初めから侮蔑の言葉だった訳でもないし「穢多」は当て字だし

88 :あっくん ◆f8mGMyyZGI :2008/11/22(土) 12:54:36 ID:Y7OVTFOn0
>>87
> 皮革利権欲しさに、百姓からエタに転職する場合もあった模様
学校では職業選択の自由はなかった、と教えられた記憶があるのですが、落ちる分には可能だったのでしょうか?

> 「エタ」は 初めから侮蔑の言葉だった訳でもないし「穢多」は当て字だし
↓は百科事典からの写しです。

>>73
> 漢字では〈穢多〉と表記されるが,これは江戸幕府・諸藩が公式に適用したために普及したものである。ただ,〈えた〉の語,ならびに〈穢多〉の表記の例は江戸時代以前,中世をつうじて各種の文献にすでにみうけられた。

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/22(土) 14:37:05 ID:QRMTszB30
>>88

>職業選択の自由はなかった

簡単に認められるものでなく、かような申し出に対して新町役所から奉行所
に伺いをたてたということもある、その後の顛末はよくわからず

中世の文献にみられる穢多という呼称と近世以降の穢多という呼称の意味合いが
必ずしも同質だとは限らないとも考えられる

幕府は彼等の素性を大まかにしか把握しておらず、素性を尋ねることもしばしば
もちろん契約更新という意味合いの方が大きいのは言うまでもないことですが


90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/22(土) 16:31:30 ID:E8KS8DV1O
>>88
> 学校では職業選択の自由はなかった、と教えられた記憶があるのですが、
義務教育?

士農工商エタ非人?

ぼーくらはみんな知っている
知っているから黙るんだ
ぼーくらはみんな知っている
知っているから語れない
茨冠期を日本史に照らしてみれば
透けて見えるよチ○○の陰謀
オ○○だってア○○だって人権叫び
みんなみんな貰っているんだ人権○○〜♪


利権の壁

91 :吉田無学:2008/11/22(土) 21:39:56 ID:UjDZTyTp0
>>あっくん ◆f8mGMyyZGI氏&名無しの方

>>82の意見に私も殆ど同意です。
下級警察・街道守・牢番・山番・水番等での年貢免除は、相当農民にとって羨ましかったと思います。
穢多は農民から表向きは区別され(裏では差別)、穢多に管理されていた河原者が、強烈な差別を受けていたかと。

>>83
>江戸期のエタは農民をイジメてた末端の役人だったから、その事実を掘り返すと具合が悪いんじゃないの?w
具合が悪いどころか、自業自得、同和行政の金返せ!ですよw

>>84-88
言葉は変化しまくりで、難しいですよ。KY→朝日の珊瑚事件→空気読めない→漢字読めないwww

>>88-89
>職業選択の自由
農業が基本でしたから、それ以外の職業の重要が、殆ど無かったと思います。
逆に、戦国時代は足軽や僧兵の重要がありましたw

>>89
>幕府は彼等の素性を大まかにしか把握しておらず、素性を尋ねることもしばしば
>もちろん契約更新という意味合いの方が大きいのは言うまでもないことですが
私の地元の古文書に、穢多の複数の代表が徳川家に対し、皮田の権利を継続する様にお願いした物が残っています。
同対法成立時、その地域は晴れて同和地区指定を受けていますwww

92 :あっくん ◆f8mGMyyZGI :2008/11/23(日) 06:38:14 ID:wEja4EWD0
>>89
> >職業選択の自由はなかった
> 簡単に認められるものでなく、かような申し出に対して新町役所から奉行所
> に伺いをたてたということもある、その後の顛末はよくわからず
どうもです。

> 中世の文献にみられる穢多という呼称と近世以降の穢多という呼称の意味合いが
> 必ずしも同質だとは限らないとも考えられる
そうなんだろーけど、『穢』というのはいつの時代も否定的な漢字でしょ。

> 幕府は彼等の素性を大まかにしか把握しておらず、素性を尋ねることもしばしば
> もちろん契約更新という意味合いの方が大きいのは言うまでもないことですが
今でいえば、警官にバイトを雇う、ゴミ収集に派遣を雇う、みたいな感覚なんですかね?

93 :あっくん ◆f8mGMyyZGI :2008/11/23(日) 06:59:56 ID:wEja4EWD0
>>91
> >江戸期のエタは農民をイジメてた末端の役人だったから、その事実を掘り返すと具合が悪いんじゃないの?w
> 具合が悪いどころか、自業自得、同和行政の金返せ!ですよw

いや、>>82の妄想が正しいなら、
江戸期のエタは役人でもあった。
明治期のエタは役人の部分がなくなってしまった。
江戸期の農民の本来なら将軍さまにぶつけるべき権力者への怨みが、
明治期のエタに集中し、それが極度な差別につながった。
であり、
それに対し、行政がなんらかの介入をするのは正しいと思う。

94 :あっくん ◆f8mGMyyZGI :2008/11/23(日) 07:31:07 ID:wEja4EWD0
少数の権力者が、多数の百姓をヒツジのごとく、管理、搾取していた。
そんなシステムは百姓に理不尽、暴力的にならざるおえない。
具体的に百姓に理不尽、暴力的に振る舞ったのはエタだった。
しかし、それはエタのお仕事であり、エタに非はない。
悪いのは搾取のシステムを構築し、その上にあぐらをかいてた将軍さま。
ところが、
農民には、将軍さまは見えず、実際に自分達に理不尽、暴力的にふるまったのはエタ。
そのうらみつらみが、明治期に、役人でなくなったエタに集中、過酷な差別になった。
というのが俺の妄想。

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/23(日) 08:02:42 ID:mSLtfFka0
少しイメージが違うかな?

年貢を搾取という意味で使うのならばここにあまりエタは関係してこない
逆に田畑を持つエタは年貢を収めるという意味では百姓村の村役人に従う
のがすじである。
現代風に言えば百姓村役人は市町村職員でエタは警察署警察官かな?

日常で何事もなければ百姓もエタも接することなく生活することができこれが普通
何か事件性があるトラブルがあれば両者が接するという程度でしかない、
あとは屍牛馬処理の契約の為に年に一度何らかの契約料を支払う、これが地方によっては
牛年貢とよばれこの契約の為に屍牛馬がでた場合や牛馬に問題が起きた場合にエタは
迅速に対処する必要があり、あとは清めが接点かな。

あとは両者互いにあまり干渉せずに生活していたと思う、理不尽、暴力的に振る舞ったなら
百姓が村役人経由で代官に訴えることができる、事が大事なら代官を通して勘定奉行に訴え
勘定奉行と町奉行での評定と相成る

究極は武家の支配のであり、百姓もエタも勝手に理不尽に振舞うことなどできない。



96 :あっくん ◆f8mGMyyZGI :2008/11/23(日) 08:41:08 ID:wEja4EWD0
>>95
エタの仕事として、百姓の監視、一揆を未然に防ぐ役目、つまり、今のスパイみたいな役割もあったのでは?

つーか、あなたの想像は
・百姓もエタもそれぞれの仕事をこなし、江戸期の農村で仲良く暮らしていた
なわけですか?
だとすると、明治期のエタ差別の根拠がみつからないんだけどw

97 :あっくん ◆f8mGMyyZGI :2008/11/23(日) 08:47:24 ID:wEja4EWD0
そもそも、野菜にウンコをかけて、育ててた日本の百姓が、
牛や馬を殺し、皮を剥ぐ行為を下劣だとは認識してなかったと、思うんですよねw

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/23(日) 12:03:27 ID:LqHvs+Oi0
>仲良く暮らしていた

どこをどう読めばそうなるのか?   ???

必要以上に関わらなかったと読んでほしいのですが無理ですか?


幕府は分断統治をしていた訳です、治安維持として役を与えた者とそうでない者が
多方面にわたり緊密であるのは幕府(大名でもいい)が望むところではない訳です
となると身分という括りで付き合いや通婚に制限が加わる(どちらが上下というわけでなく)
さらに百姓からするとエタの素性が分からないわけですわ、我々とあまり付き合いがなく
通婚もない、その辺から色々な推測をするわけですわ「違う種類の人間じゃなかんべか?」
て具合にね、知りえる所に存在しながらも見えない壁が代々続いたらどうなるだろうか?
しかも百姓は大勢エタは少数、電波ならぬ噂が飛び交うのは必然でしょうw
それが200年以上も続けば「違う種類の人間じゃなかんべか?」の根拠の一つも考えたりも
するでしょうね、それが穢れであったりとか何でもいいでしょうねw

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/23(日) 12:05:15 ID:gLCxkyhR0
注目http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/travel/1186/1224379193/1

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/23(日) 12:19:49 ID:LqHvs+Oi0
江戸時代の差別の具合は地域によってまちまちですわ

それを解放令によって国家が線引きしたのがいかんのですわ
それほど差別されてない者達までが一本の線により差別される側に
位置づけられるということがおこった

文書化して差別を認めたようなものだわな 

こんなことは江戸時代にも公にされたことはなかったのにねw

101 :あっくん ◆f8mGMyyZGI :2008/11/23(日) 12:29:49 ID:wEja4EWD0
>>95
>現代風に言えば百姓村役人は市町村職員でエタは警察署警察官かな?

僕もこれに賛成。
民主主義社会の今でもお回りさんは我々を監視している、風があるじゃないですか。
自転車に乗ってると職務質問をして積極的に介入してくる。
封建社会のお回りさんなら、↓こういうきれい事ではすまないと思うわけです。
百姓に一揆なんておこされたらマジでエタの首が飛ぶんだろーしw

>日常で何事もなければ百姓もエタも接することなく生活することができこれが普通
>何か事件性があるトラブルがあれば両者が接するという程度でしかない、

102 :あっくん ◆f8mGMyyZGI :2008/11/23(日) 12:33:56 ID:wEja4EWD0
>>100
>江戸時代の差別の具合は地域によってまちまちですわ
じゃあ、もっとも差別が激しかった地域では、
百姓が末端役人さまのエタをどういう風に差別したのですか?

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/23(日) 12:43:44 ID:LqHvs+Oi0
>>102

98をもう少しよく読んでくだされ できれば差別と同義なのは何であるかを
じっくり吟味して頂ければ幸いであります

100は差別が希薄だった場所と平均的な場所の対比の方向で考えて下され

文書は流れの中で真意が伝わるものであります


私の表現力がまずいのか理解できない者が拙いのかは一対一では計りかねますので



104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/23(日) 12:52:22 ID:GKJPvhnlO
あっくん読解力なさ過ぎだろw
まあ自分の頭の中で話が出来あがっているんだろう。

105 :あっくん ◆f8mGMyyZGI :2008/11/23(日) 13:02:54 ID:wEja4EWD0
一揆を起こされればエタの首が飛ぶ、百姓に村抜けをされればエタの首が飛ぶ。
そんな状況下でエタは激しく百姓の生活に介入せざるをえない、かつ、百姓に怨まれたわけです。
そういう江戸期の背景があったから、明治期に入り百姓の激しいエタ差別が始まる。
と妄想するわけですw

106 :あっくん ◆f8mGMyyZGI :2008/11/23(日) 13:07:32 ID:wEja4EWD0
>>104
>あっくん読解力なさ過ぎだろw
じゃあ、もっとも差別が激しかった地域では、
百姓が末端役人さまのエタをどういう風に差別したのか、教えて下さい。

>まあ自分の頭の中で話が出来あがっているんだろう。
そうだよ。 封建社会で搾取する側、される側の関係はそんなヤワなもんじゃないと思う。
で、その激しい接点にエタが立たされてたんだと想像してる。

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/23(日) 13:20:15 ID:GKJPvhnlO
>>106
その前に>>98の質問に答えたら?
「>仲良く暮らしていた

どこをどう読めばそうなるのか?」 
という部分ね。

どこをどう読めば「仲良く暮らしていた」という解釈になるの?



108 :あっくん ◆f8mGMyyZGI :2008/11/23(日) 13:31:25 ID:wEja4EWD0
>>107
>一揆を起こされればエタの首が飛ぶ、百姓に村抜けをされればエタの首が飛ぶ。
>そんな状況下でエタは激しく百姓の生活に介入せざるをえない、かつ、百姓に怨まれたわけです。

↑が事実だとするなら、↓を
・百姓もエタもそれぞれの仕事をこなし、江戸期の農村で仲良く暮らしていた
と表現してもおかしくないでしょう。

>>95
>日常で何事もなければ百姓もエタも接することなく生活することができこれが普通
>何か事件性があるトラブルがあれば両者が接するという程度でしかない、

109 :あっくん ◆f8mGMyyZGI :2008/11/23(日) 13:35:55 ID:wEja4EWD0
『山の中で、サルの集団とリスの集団は接することもなく、仲良く暮らしていましたとさ。』
風な言い方をするなら、↓の言い方はまったくおかしくないでしょう。

・百姓もエタもそれぞれの仕事をこなし、江戸期の農村で仲良く暮らしていた

110 :あっくん ◆f8mGMyyZGI :2008/11/23(日) 13:40:39 ID:wEja4EWD0
つまり、搾取する側、される側の接点は↓こんなお目出度い状況ではなかったろうと、想像、妄想するわけです。

>>95
>日常で何事もなければ百姓もエタも接することなく生活することができこれが普通
>何か事件性があるトラブルがあれば両者が接するという程度でしかない、

111 :あっくん ◆f8mGMyyZGI :2008/11/23(日) 14:01:41 ID:wEja4EWD0
例えば、一揆を起こすにあたり百姓は、
日常で何事もないようなそぶりをしてて、一気に一揆を起こすわけだから、
↓みたいな状況だったらエタ失格じゃないの?w

>>95
>日常で何事もなければ百姓もエタも接することなく生活することができこれが普通
>何か事件性があるトラブルがあれば両者が接するという程度でしかない、

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/23(日) 15:11:25 ID:GKJPvhnlO
>>108
「事実とするなら」なんて,何で他人の意見を読むとき
そこに自分の意見を当たり前のように組み込むわけ?
それじゃ相手の言わんとするところを曲解して当然だろう。
国語のテストは0点ねw

113 :吉田無学:2008/11/23(日) 18:35:31 ID:39HK3oJj0
皆様乙です!

>>93
>明治期のエタに集中し、それが極度な差別につながった。
私もそう思います。
>それに対し、行政がなんらかの介入をするのは正しいと思う。
ある程度は仕方がないですが、最近の事件はちょっとね・・・

>>94-95
私は両方の中間のイメージです。
私の地域では年貢は免除でしたが、番・役務等の扶持米が殆ど出ない状況でしたので。

>>98
>しかも百姓は大勢エタは少数、電波ならぬ噂が飛び交うのは必然でしょうw
だから差別が根強いかと思います。関わりがないので、特大電波だったと思います。

>>108-111
その状況が、大雑把に言うと西と東の温度差と思われ。
強いて言えば、藩政よって緊張度がかなり違ったと思います。

114 :あっくん ◆f8mGMyyZGI :2008/11/24(月) 02:58:38 ID:6EINVFVK0
つーか、吉田無学さんは古文書を読めるのなら、明治の初めの文章で、
「なぜ、エタは差別されるのか?」について言及した古文書を探して下さいよ。
つーか、今までの学者の研究でそんなのはまったくないんですかね?

115 :吉田無学:2008/11/24(月) 16:34:22 ID:ZuQyiS4v0
>>114あっくん氏
>古文書を読めるのなら
墨で書いた、ぐちゃぐちゃの古文書は読めませんw
私の住んでる県の歴史書の、活字にしたものを読みました。

>今までの学者の研究でそんなのはまったくないんですかね?
客観的に論じているものはないでしょうね。糾弾会に呼ばれてしまうw

116 :あっくん ◆f8mGMyyZGI :2008/11/25(火) 01:04:11 ID:PbGKj3PU0
>客観的に論じているものはないでしょうね。糾弾会に呼ばれてしまうw
この場合、
1、解放同盟は部落の歴史をひもとく事自体を禁止して糾弾する
2、解放同盟は独自の部落の歴史認識があり、それに反することを書くと糾弾される
どっちでしょうか? 仮に2なら、解放同盟の独自の部落の歴史認識は公開してるのでしょうか?


117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 01:22:05 ID:okTl15q90
>>115
ちょっと伺っても良いですか?
「毛利輝元井上衆罪状」(大日本古文書毛利家文書)や「陰徳記」井上一党誅戮之事(三卿伝写本)は
活字になってますがもう読まれていますか?
読んでどう思いましたか?
私は十年程前に初めて読みまして驚きました。
ちなみに私の所蔵する「山口県地方史研究」はなぜか大阪府桜塚高等学校社会科研究室の印が押されています。


118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 01:29:12 ID:okTl15q90
>>115
間違ってしまいました。毛利元就井上衆罪状でしたね。
吉田氏に私は二度ほどお目にかかったことがあると思うのですが思い当たりませんか?

119 :吉田無学:2008/11/25(火) 19:26:41 ID:LhvOhjgO0
>>116あっくん氏
>1、解放同盟は部落の歴史をひもとく事自体を禁止して糾弾する
これは無いと思いますが、御用学者でしたら金銭的な応援者を追及する事になります。
それによって、研究費や講演料を頂けなくなりますので・・・

>2、解放同盟は独自の部落の歴史認識があり、それに反することを書くと糾弾される
街道の歴史観の証明作業が、御用学者の仕事です。その事を吉田氏は、皮肉を込めて批判しています。
先々週の「たかじん委員会」での灘本昌久氏の、言葉を慎重に選んでの発言は、非常に面白かった。

>解放同盟の独自の部落の歴史認識は公開してるのでしょうか?
街道のHPにありますねw兎に角「我々は差別されてきた!」と謳っています・・・


>>117-118
あの。。。私は本物ではないのです。。。申し訳ありません。。。
現在私の住んでいる県は、部落問題が殆ど無い県です。街道の支部もありませんw
ネットで色々調べたら、吉田向学氏のブログを発見し、人権板での御意見を聞きたく、スレ立てしました。
ちなみに、本物の吉田氏は2ちゃんを見ているみたいですw

●2ちゃんねるからのアクセス件数・・・
ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/nikki/2008/09/post-26dc.html

120 :あっくん ◆f8mGMyyZGI :2008/11/26(水) 05:41:09 ID:87mhcTcZ0
>>119
> >解放同盟の独自の部落の歴史認識は公開してるのでしょうか?
> 街道のHPにありますねw兎に角「我々は差別されてきた!」と謳っています・・・

レス有り難うございます。 それはここですか? http://www.bll.gr.jp/siryo.html

121 :あっくん ◆f8mGMyyZGI :2008/11/26(水) 06:52:18 ID:87mhcTcZ0
http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/cat4807576/index.html
>近世幕藩体制下の司法・警察である「穢多」が、百姓一揆・農民一揆弾圧のため、首謀者の探索・捕亡・糾弾のために「百姓」(民衆)に接するときは、百姓から怒号が飛んだことは十分考えられます。
>それは、近世幕藩体制下の司法・警察である「穢多」だけでなく、今日の警察・機動隊に対して時として投げかけられる言葉と同じです。「犬・畜生・人でなし・・・」。

吉田向学さんもエタの一揆への対応を仕事のうち、としてるけど、
これは資料的に根拠はあるんですかね?w 俺は想像、妄想でそう書いただけなんだけどw

122 :あっくん ◆f8mGMyyZGI :2008/11/26(水) 07:01:56 ID:87mhcTcZ0
吉田向学さんの、落としどころ、落としたいところは、
・エタは明治時代たしかに貧しく差別された
・しかし、江戸時代は役人、今で言う警察官で、りっぱな誇り高き仕事をしていたんだ、
・だから、部落の君たちは、補助金なんかに依存せず、誇りを持って働くんだ、このコジキ野郎がっ!!
ってことなのかな?w

123 :あっくん ◆f8mGMyyZGI :2008/11/26(水) 11:51:46 ID:87mhcTcZ0
http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/cat4754897/index.html
>「君たちの担任になるとき、おれは約束をした。このクラスの中で一人でも大学進学できない生徒がいたら、おれは責任をとって教師を辞めると。事情はどうであれ、お前は大学進学できなかった。だから、約束どおり、おれは責任をとって教師を辞める」

この辺は無茶苦茶なんだよなw
俺は部落差別云々より、
この学校のウエット感、家族性、単なる教育システムである学校でしかないのに、みんなが色んな思い入れを突っ込んでいく感じ。
これが、今のイジメ、天皇問題にも通じることで、重要なことだと思うんですよ。

124 :あっくん ◆f8mGMyyZGI :2008/11/26(水) 12:14:32 ID:87mhcTcZ0
http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/cat4754897/index.html
>明治政府が作り出したもの、そのひとつに「学歴差別」があります。明治政府だけではありません。民間側も「学歴差別」を作り出していきました。

これは僕も思うんですよね。
これの解決法は、「学校=知識を伝達する場」この価値観だけに限定するシステムにすればいい思うわけです。
で、
・ある条件をクリアした人は誰でも希望する教授の授業を安易に受けることが出来る
というシステムにすれば、本来の「学校=知識を伝達する場」になるだろーし、
奇妙なブランドが無くなるだろーし、無意味な受験競争もなくなると思うわけです。
また、学校内での仮想の家族関係のような集団性もなくなりイジメもなくなると。

125 :あっくん ◆f8mGMyyZGI :2008/11/26(水) 12:41:15 ID:87mhcTcZ0
http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/cat4754897/index.html
>明治政府が作り出したもの、そのひとつに「学歴差別」があります。明治政府だけではありません。民間側も「学歴差別」を作り出していきました。

ただ、明治政府を弁護するなら、「学歴差別」を作ろうとしたのではく、
富国強兵政策の一環で受験競争が起きる下地を作ったんでしょーね。
で、それはそれなりにうまく行ったと。
でも、俺みたいに、勉強したくもない、学歴も欲しくない、という人間まで無理矢理、偏差値競争に参加させるのは勘弁して欲しいと思うわけですw

126 :あっくん ◆f8mGMyyZGI :2008/11/26(水) 13:01:27 ID:87mhcTcZ0
吉田向学さんには失礼な話かも知れないけど、
吉田向学さんは自分自身をネットでさらけ出す勇気も表現力もあるのだから、
歴史の研究をするより、
吉田向学さんの人生を事細かに記述し、後世に残す方が歴史資料になり価値が生まれて来ると思う。
吉田向学さんの教師への思い入れなんかはその時代のバイアスが感じられてすごく面白いです。

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/26(水) 13:21:12 ID:r27plt980
部落差別 ← 生まれながらの差別
学歴差別 ← ある程度努力に比例する差別

種類が違う、社会が下を向く方向の差別か上を向く方向の差別か区別しようね
下を向く方向の差別は停滞をもたらす、上を向く方向の差別は社会の進歩をもたらす

無学は恥じるもの

128 :あっくん ◆f8mGMyyZGI :2008/11/26(水) 13:36:42 ID:87mhcTcZ0
つーか、僕は小中高校あたりの教師の情熱をバカにするタイプの人間なんだけど、こういう風に考えてます。
・彼らは生徒の幸せを(恐れ多くもw)考える
・で、生徒の幸せは高偏差値の上位校に進学することだ、と考える
・或いは彼らの社会的立場は自らの情熱をそこに持って行くしかない
・で、偏差値バカの教師になってしまうと。
で、↓の教師も吉田向学さんが否定する明治政府が作った「学歴差別」の支援者なわけですw

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/cat4754897/index.html
>「君たちの担任になるとき、おれは約束をした。このクラスの中で一人でも大学進学できない生徒がいたら、おれは責任をとって教師を辞めると。事情はどうであれ、お前は大学進学できなかった。だから、約束どおり、おれは責任をとって教師を辞める」

129 :あっくん ◆f8mGMyyZGI :2008/11/26(水) 13:47:34 ID:87mhcTcZ0
>>127
> 種類が違う
まあ、そうですね。

> 無学は恥じるもの
そうですね。
ただ、偏差値競争へ生徒を投げ込むことは明治政府がセッティングした暴力だと思うわけです。
偏差値競争と学問違うでしょ。

130 :吉田無学:2008/11/26(水) 21:55:05 ID:hUKPqvJ70
>あっくん氏
>>120
他にも街道系のHPに非常に多いですよ。
「部落」「差別」「穢多」等でググればそんなのばっかです・・・

>>121
妄想かもしれないし、貴重な文献が焚書扱いされ、事実関係が不明かもしれません。
壬申戸籍の厳重な封印が一番の例です。

>>122
とある寒村の古老の話に愕然とし、徹底的に調べる様になったと言っています。
しかし、部落を自らの足で調べる事によって人情が働き、段々と・・・

>>123
イジメ問題は、子供にとって理不尽な価値観を強制したからだと思います。
価値観が解らないから「子供」なのにねw
金持ちも、貧乏人も、勉強が出来る人も、スポーツが出来る人も、笑いを取る人気者も、
かゎぃぃコも、ブサイクも、犯罪者も、被害者も、みーんな平等!なワケないwww

>>124
今現在の日本の「学歴差別」の解消方法は、アメリカ式!
高校は遊びながら学ぶ場所で、思い出を作る事に専念するw
大学への入学はちょー簡単で、卒業を非常に厳しくすればイイだけですwww
こうなると、大学中退者が差別対象になりますがw
お金持ちのバカな御子息が留学するのは、箔を付ける為ですw

131 :吉田無学:2008/11/26(水) 21:57:08 ID:hUKPqvJ70
>>125
>富国強兵政策の一環で
帝大は、将来優秀な官僚になり得る者を育てる為に、作ったのです。
師範学校は、日本国民に基本的な学力を付ける為に、作りました。

>>126
吉田氏は大学コンプレックスの塊ですwww
今からでも入学は簡単に出来るのに、それをしない・・・
その負のエネルギーがとても良い方向に向かっていますw

>>127
現在の日本の一番の差別は!
年齢差別 ← どうにも解決出来ない差別
私の今現在の悩みです・・・
好きな女の子がいるのですが、10才以上年下ですwww
札束で叩ければ、解決出来るのですが・・・お金が・・・

>>128
>小中高校あたりの教師の情熱をバカにする
平均的な発言をしないとね、批難がwww

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/27(木) 21:59:26 ID:rhlvV4gWO
コテハン名乗る奴ほど明確な目的を持って被差別部落問題から少しずつ話しを逸らしているとはどういうことか?
もちろん吉田向学氏のサイトは地名を実名で書かない点において読むに値しないからマトモに読んではいないが。

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/30(日) 08:43:52 ID:B4N23pwi0
難しそうすぎる。

134 :吉田無学:2008/12/01(月) 22:32:53 ID:M+XtgIP60
部落差別は「事実」としてはあったが、「演出・脚色」があり過ぎて、
「ノンフィクション系の物語」になってしまったのでは?
最近、「私は貝になりたい」の喧伝を見るたびに、そう思います。

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/02(火) 10:43:52 ID:vXRM/Odo0
>>53
宗教警察の側面については、キリスト信者は知っていたようですね。

tp://www.seibonokishi-sha.or.jp/kishis/kis0010/ki03.htm


136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/02(火) 12:01:32 ID:vXRM/Odo0
珍説ついでに俺も珍説ひとつ

役所には「所」と「署」があるが、なぜだろうと疑問に思った。
そこでざっと調べたところ、署というのは逮捕権があるというのに行き着いた。
次に署についてみてみると、部首は、「あみがしら」に分類されるらしい。
どうやら網のことのようだ。網で捕縛することから逮捕につながるのかな。
「あみがしら」は、「よんがしら」「よつがしら」「よこめ」などとも呼ばれるらしい。
なにか気がつかない。

言葉は、さまざまに変化するため語源が分からなくなっていることはよくあるよね。
現在も、警察に対する隠語俗語の類は沢山ある。
暴走族全盛時代には、「まっぽ」と呼ばれてた。
なにやら明治時代の警察官は薩摩出身が多かったそうな。
薩摩出身のひとを「さつまっぽ」、これが転じて「まっぽ」だって。

しかし、昔の日本人は漢字をよく知ってたんだね。
わかってもらえた?

137 :あっくん ◆f8mGMyyZGI :2008/12/02(火) 14:41:50 ID:2trMSCkH0
>>136
おお、これは面白い。 こういう書き込みが増えるとこのスレも面白くなる。
前に、どこかに、明治維新に明治政府が薩摩からエタを連れてきて警官に仕立てた、と書いてあったから、マッポは本当でしょう。

あと、よつがしらでググってみたら↓がありました。
ってことは差別用語のヨツはここから来てるのでしょうか?
更に言えば、漢字の本場、当時の文化の中心、中国でもエタに相当するいたのでしょうか?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%A0_(%E6%BC%A2%E5%AD%97)
あみがしら/よつがしら/よこめ(罔頭/四つ頭/横目):「置」「罪」「署」など。網の意味を表し、派生して刑罰を司る意味を表す。
常用漢字: 罪 署 置 罰 罷 羅
主な表外字: 罠 罫 罵 罹 羆 羈 など

138 :あっくん ◆f8mGMyyZGI :2008/12/02(火) 14:47:08 ID:2trMSCkH0
だれか、白川静の本を持ってる人は調べて欲しいですねw

139 :あっくん ◆f8mGMyyZGI :2008/12/02(火) 14:53:02 ID:2trMSCkH0
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BD%91%E9%83%A8
>偏旁の意符としては猟具や漁具、かかることや捕まること、法の網にかかることなどに関することを示す。

こんなのもありました。

140 :吉田無学:2008/12/02(火) 20:33:57 ID:fEmyXEN+0
>>135
リンク先を読みました。ありがとうございます。
日本は宗教問題の歴史については、あまり熱心ではない様な気がします。
宗教問題も非常にデリケートな問題なんですが・・・


>>136
非常に参考になります!珍説とは言えないレベルですよ!
和製漢語を中国は多用してますよねw「共産主義」は和製漢語ですwww
「まっぽ」の語源は脱帽です!


>>137あっくん氏
地元の警察史を読みましたが、政府(薩摩系)の警察官僚が配置された記述はあり
しかし、それ以前の番人制度の記述は無く、同心・五人組の記述しかありませんでした。
警察史の発刊が、同対法後ですので・・・
県の歴史には、県令(知事)が非人の役務についての命令の記述があるんですがwww

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/04(木) 22:58:35 ID:Hq246oWg0
言葉狩り華やかなりし頃、「猫も杓子も」というのは「女子(めご)も弱子(じゃくし)も」
のことである、と言う人がいた。差別語ではないかと。はたしてそうか。
猫も杓子もは、諸説紛々で定説がない。が、私は司馬遼太郎の「菜の花の沖」を読んでひらめいた。
主人公の高田屋嘉兵衛は、村人の散々な仕打ちに懲りて村を出ることを決意した。
その村を出るときの出で立ちは、帯に杓子を差すというものだった。
江戸時代は簡単に村を出ることはできなかったようだが、やんごとなき理由で
村抜けするときの作法がこれだったようだ。
ところで江戸時代には、周期的に熱病のようなお陰参り(伊勢参り)が流行った。
突然、家も仕事も放り出してお陰参りを始めるわけだが、この時やはり腰に杓子を差していたようだ。
こうしているとお陰参りとして理解され、街道もスムーズに通れたらしい。
そこで、「猫も杓子も」は、お陰参りの様を表現した言葉ではなかったかと推察する。
伊勢に向かう人波は、みな腰に杓子の出で立ちで、付け加えて、普段は犬と違って人にはつかない
猫までもがお陰参りのため移動する人についた。それほど凄い光景だったと。
賤民史観、皇国史観、唯物史観、市場原理主義、たった一つの尺度で、
すべてを推し量ろうとするのは間違いではないのか。
人間は万能を求めるが、それは未だ見つかっていない。

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/25(木) 22:01:32 ID:LYph6wzkO
非常に勉強になります、更に、狭い日本でその土地がらや時代でも多少違いが有るのも確かです。

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/19(月) 19:10:15 ID:BY3j/McD0
すぐ逮捕される地域が被差別か

ばかたれ  牛肉等級偽装元社長逮捕で他は

◆赤福のとき  「老舗なのに賞味期限を偽装しまくり! 許せないよ! 廃業しろ!」
◆不二家のとき 「腐った牛乳でお菓子を作る! 体調不良を訴えてる人もいる! 廃業しろ!」
◆吉兆のとき  「出した料理をほかの客に使いまわし! 客をなんだと思ってるんだ! 廃業しろ!」
◆マンナンのとき 「子どもが死んでんねんで! 今すぐ生産停止しろ!」
◆イオン死体汁  「水質には問題ないし」 

みんな逮捕されず  官庁なんてこんなもん

なんじゃこりゃ




144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/20(火) 15:05:45 ID:ClnnkTIr0
禰子も釈子も









145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/22(木) 10:13:35 ID:lGFvXY1Y0
http://gogen-allguide.com/ne/nekomosyakushimo.html

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/26(月) 19:29:44 ID:PL6OikmB0
四民平等は、士農工商を平等だとうたったもので、身分社会を否定したものではなかった。
だから、天皇家もこの平等の中に入っていません。

学校教育で明治時代を封建国家とするかしないか、わかりません。
でも、生徒が明治時代、四民平等は四民以外あったんですか?人間みな平等なのになぜ四つに絞ったんですかと質問したら、先生はどう答えるのでしょうか。
このレスで歴史や社会の先生がいたら教えてください

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/27(火) 11:11:30 ID:UpxJGloN0
>人間みな平等なのになぜ四つに絞ったんですかと質問したら、先生はどう答えるのでしょうか。
笑って誤魔化すんでしょw

福沢諭吉は、天は人の上に人を作らず人の下に人を作らず、と言ってるのにおかしな話だわなw

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/27(火) 11:20:11 ID:yasJpzdE0
外国人の私が見るB
この人々の顔は濃くて太平洋民族の特徴が見える.
だから日本の原住民の子孫なのが間違いない.


149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/29(木) 17:58:33 ID:hwk/W/BU0
治維新の立役者は、薩摩・長州を中心とした倒幕派と江戸幕府との武士階級の争いごとであったのは
史実のとうりである。
ここで、大政奉還・明治維新で、何とかしなければ封建制度の頂点であった武士階級に民衆の反撃が始まる。それは士農工商という身分制度であり、
このままで行くと、民衆をコントールし、百姓から過酷な年貢取り立ててた武士は、不利な立場となる。
そこで、百姓らを苦行の目にあわせてたのは、エタとの図式が完成する。そして、武士は華族としてまんまと生き残る。
(一説には、庄屋も同罪で、この図式を完成させ、大多数を占める小作人対策をしともいえる)
そして、片方では武士も下野し平等の社会が来たと、自らの身の保身を図ったといえる
天皇家も四民にいれない、神とする。でも皇女、和宮が嫁ぐように当然みな天皇は人間って知った上での、掟つくりが正解かも。

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/13(金) 16:40:45 ID:kq5VZMii0
Bにもいい人ばっかりだからね

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/13(金) 17:14:14 ID:P9Oif6950
>>150
偏見       虫、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/23(月) 20:58:03 ID:QH1z5wNG0


153 :あぼーん:2009/02/24(火) 03:17:54 ID:BTcXB7sV0
あぼーん

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/12(木) 16:49:04 ID:gVy7oisN0
差別きらい

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/12(木) 18:02:48 ID:1maxyzob0
吉宗の時代の勘定奉行曰く
「胡麻と百姓は絞れば絞るほど出てくるものなり」
そんな 百姓での今人は、先祖が武士の人をホーと敬う。おかしいだろ。
そこに部落差別介入するんだよ。
革命前のフランスですら支配者と被支配者の人口比率は1:100。
江戸時代の日本のそれはわずか1:10、
つまり武士の百姓に対する搾取の度合いは、フランスのそれの10倍。
革命を起こす気力もないほどに徹底的に絞られていた。
もっとも、10人の百姓で武士1人の豪遊を支えきることなどできないから、
江戸後期には武士にも困窮にあえぐ者が続出した。
土地を開墾し人口を増やせば良かったんだろうけど、
そこで、下級武士エタが憎まれ役として農民管理と過酷な年貢の取り立てにあたる。当然俸禄なし、そのかわり皮(武具)や草履つくり等の特権を与える構図。
明治維新、その構図がくずれ武士や庄屋の非難の矛先を下級武士=エタに向けさせた。
武士は四民平等の中に隠れ、庄屋(大地主)は戦後の農地解放まで小作民から搾取し続けた。



156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/14(土) 17:16:09 ID:zvP9sE+V0
差別きらい

157 :清野之計:2009/03/17(火) 22:07:49 ID:EnOARjhbP
吉田無学 様は、序説要約の書込を再開されないのでしょうか。
されないのなら、たいへん惜しいことです。

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/25(水) 09:35:41 ID:Tlk9IXJ60
>>155
武士が10%いた、というのは間違いだと思う。

江戸後期から明治にかけて、武士を自称する連中
(郷士・徒士・足軽・中間・様々な世襲非世襲の武家奉公人)
が急増した、というのが実際。

本来の武士に限れば、人口比1%がせいぜい。


159 :清野之計:2009/04/01(水) 06:38:47 ID:UYoQANZXP
1 名前: ◆KIHA55jUA2 @キハ55φ ★[] 投稿日:2009/04/01(水) 06:06:11 ID:???0
フリーの大型掲示版サイト「2ちゃんねる」が30日付けで朝日新聞社
(asahi-np.co.jp)からの記事の書き込みに規制をかけたことが明らかとなった。

 朝日新聞社内のパソコンからインターネットの掲示板に不適切な内容の書き込みがさ
れていたことが分かった。本社は31日、この文章を書いた社員を特定し、事情を聴い
たところ、投稿を認めた。
 社員は東京本社編集局の校閲センター員(49)で、掲示板サイト「2ちゃんねる」
に断続的に投稿していた。部落差別や精神疾患への差別を助長する内容が含まれてい
た。3月30日夜、外部から指摘があり本社が調査を開始した。

 このセンター員は「他の投稿者と応酬するうちにエスカレートしてしまった。悪いこ
とをしました。釈明の余地はありません」と話している。

◆本社「厳正に処分」

 朝日新聞社広報部の話 弊社社員が2ちゃんねるの掲示板にきわめて不適切な書き込
みをし、多くの皆さまに不快な思いをさせ、ご迷惑をおかけしたことをおわびします。
事実関係をさらに確認した上で、厳正な処分をいたします。
http://www.asahi.com/national/update/0331/TKY200903310332.html


160 :清野之計:2009/04/01(水) 06:40:36 ID:UYoQANZXP
21 名前:名無しさん@九周年[sage] 投稿日:2009/04/01(水) 06:07:13 ID:QECq3CNS0
改変・修正ヨロ
広告主電凸向け 論点まとめ

@ 本来なら、それを 「チェックする立場である校閲センター」 の人間が、
  差別を助長する表現を、相手を中傷するためだけに使用していたこと。
    ex.出身地域による差別や精神疾患に対する差別など

ぶっちゃけると>失語症躁鬱ニート部落民はとっとと首つって氏ねよ。
A しかもそれは朝日新聞社内からの書き込みであったこと。
  朝日新聞校閲センターでは、新聞記事の校閲と並行して、
  インターネット上での差別発言等を行っていたという事実が明らかになった。

B 差別的な思想を持つ人間を、朝日新聞は校閲センターに配属していること。

C 一方で朝日新聞社はネットでの「匿名の中傷」とやらを社説等で強く非難していること。
  さらにこの差別発言問題発覚後、同様の記事を閲覧できないように削除していること。 


161 :清野之計:2009/04/01(水) 06:53:04 ID:UYoQANZXP
291 名前:名無しさん@九周年[] 投稿日:2009/04/01(水) 06:24:21 ID:DjerX0c3O
規制は差別用語を書いたからでなく、あぼーんアラシをしたから。
マスメディアの人間がネットという新興のメディアの一掲示板のルールが守れなかった事が大問題。

ネットには差別用語が多いとマスメディアが印象操作でつくったところに落とし込む為に
「言葉狩り」の筆頭である朝日は謝罪記事に引用した。読者もなっとくする。
しかし
あぼーんあぼーんて紙面に載せるのは恥ずかしいし、一般読者がひくのが容易に想像できる
はずかしいなあ


162 :清野之計:2009/04/01(水) 19:57:16 ID:UYoQANZXP
58 名前:名無しさん@九周年[] 投稿日:2009/04/01(水) 19:45:18 ID:Pf3PwJ6y0

162 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2009/02/13(金) 18:07:09 ID:95bZ80OZ0
どうした、押し黙って。鬱病でも発症したのか、頑張れよw
163 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2009/02/13(金) 18:23:25 ID:95bZ80OZ0
…ただいま、ルルは泣きながら鬱病の薬を飲んでいます…
 165 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2009/02/13(金) 20:17:12 ID:95bZ80OZ0
「本×部落」は足立区民が気の毒だ。
本物のあぼーんになるぞ。
どうせならルルの故郷・箕面の部落を晒してくれ。
 170 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2009/02/13(金) 21:20:20 ID:95bZ80OZ0
何だ、お前もニート部落民か?
 174 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2009/02/13(金) 21:42:31 ID:95bZ80OZ0
わかった。お前もルルと同様に殲滅するから覚悟しておけ。
 176 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2009/02/13(金) 22:09:08 ID:95bZ80OZ0
どうしたルル?
鬱病の薬が切れて二重人格が元に戻ったのか?
ニート精神病部落民のやることは分からんな。 



163 :清野之計:2009/04/01(水) 19:58:22 ID:UYoQANZXP
77 名前:名無しさん@九周年[] 投稿日:2009/04/01(水) 19:45:44 ID:hWCRCzYM0

 263 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2009/02/19(木) 16:01:28 ID:QyTVu3+i0
失語症躁鬱ニート部落民はとっとと首つって氏ねよ。
 338 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 14:06:17 ID:xCZ4mYua0
何もしゃべれない失語症躁鬱ニート部落民のくせに、
何が(勝利笑)だ。人生の敗北者が(真の勝利笑)
 340 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 14:33:28 ID:xCZ4mYua0
またダンマリか。ちょっとおとなしくしているとつけあがるゴギブリ(激笑)
 374 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 22:41:17 ID:53/Kvvqc0
失語症が治ったのか?
それとも鬱病から躁病になったのか?
東急的指導? 持ち家もない貧民のくせに。
 386 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 14:39:19 ID:hm/fghjb0
失語症躁鬱ニートゴキブリ部落民はとっとと首つって氏ねよ。
 376 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 00:36:33 ID:S7K9VbdE0
躁病であることは否定しないんだな田舎者はw
 391 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 20:17:51 ID:S7K9VbdE0
お前のような基地外のカキコをいちいち他のスレまで見に行く物好きがいるわけなかろう。
だからお前は躁病だというのだ。


164 :清野之計:2009/04/01(水) 20:43:31 ID:UYoQANZXP
●今回の事件で朝日新聞社社員に誹謗中傷された面々&人権団体等 問合せ先

■IMADR 反差別国際運動 http://www.imadr.org/japan/contact.php
■部落解放同盟東京都連合会 mg5s-hsgw@asahi-net.or.jp
■(株)解放出版社 master@kaihou-s.com

165 :清野之計:2009/04/03(金) 06:25:49 ID:HHxtEq6pP
424 名前:名無しさん@九周年[] 投稿日:2009/04/02(木) 19:39:55 ID:70l+2w82O
『失語症』『躁鬱』『ニート』
『首吊って氏ねよ』
あたりは百歩譲って我慢できる。
でも…
『部落民』
って発言は本当に許せんな。
差別的うんぬんてよりも、人間としてヒドいと思うわ。

ジャーナリスト宣言(笑)

166 :清野之計:2009/04/03(金) 06:32:01 ID:HHxtEq6pP
179 名前:名無しさん@九周年[] 投稿日:2009/04/03(金) 06:17:13 ID:tiEr4mlS0
154: 2009/02/13 16:16:12 95bZ80OZ0 [sage]
まだいたのか部落民。お前の好きな東急線にでもとっとと飛び込め。

158: 2009/02/13 17:58:07 95bZ80OZ0 [sage]
東京都民に寄生して生活保護受けてんじゃねえぞニート部落民。
石原都知事も言っている。「この世でもっとも有害なのはババア」

174: 2009/02/13 21:42:31 95bZ80OZ0 [sage]
わかった。お前もルルと同様に殲滅するから覚悟しておけ。

186: 2009/02/14 15:20:10 3kTT4Qt40 [sage]
部落民が毎日出しゃばってんじゃねえよ。睡眠薬でも飲み過ぎて永眠しとけヴォケ



167 :清野之計:2009/04/03(金) 20:03:48 ID:HHxtEq6pP
24 名前:名無しさん@九周年[] 投稿日:2009/04/03(金) 20:00:05 ID:rwhzGOQZ0
みんな、朝日新聞の工作員様たちが、スレを伸ばして記録を作っても意味がない、とおっしゃっているぞ。
そのありがたい助言に従おうぜ!
2chのありとあらゆる板に、この問題を宣伝しまくろう!!
例)
★朝日新聞が工作活動を行っていた!?
【ネット】 朝日新聞社員(49)、2ちゃんねるで荒らし行為
…「失語症躁鬱ニート部落民は首つって氏ねよ」と差別表現も★176
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1238734224/
☆ ここまでの流れ ☆
 1)鉄道板で差別擁護連発で粘着が荒す
 2)規制したら朝日新聞社からのアクセスだった(ローカルIPなので社内確定)
 3)上記規制した途端、ニュー速の反日書き込みが激減(運営も唖然)
 4)2009/04/02(木) 23:16:05 規制解除 (規制期間約二日)
 5)規制解除と同時に、従来どおりのスレの流れに(全員唖然)

朝日新聞社 鉄道板荒らし問題まとめwiki
ttp://www23.atwiki.jp/arashishinbun/
朝日新聞社員 2ちゃんねるで悪質荒らし行為
ttp://www.takbose.net/asahi-np2charashi/

168 :清野之計:2009/04/03(金) 20:10:13 ID:HHxtEq6pP
403 名前:名無しさん@九周年[sage] 投稿日:2009/04/03(金) 20:06:21 ID:R4R2+Wfu0
614 名前: ◆migiC//7P. [] 投稿日:2009/04/02(木) 22:35:12 ID:K9bmqzKX0
朝日新聞様より、以下の件についてご連絡をいただきました。
◆ co.jp 規制
http://qb5.2ch.net/test/read.cgi/sec2ch/1120831965/13-14
\.asahi-np.co.jp (全サーバ規制)
以下、返答内容です。
                             2009年4月2日
2ちゃんねる掲示板規制報告ご担当
×× ×× 様
                            朝日新聞社広報部

冠省
 3月30日付メールで、弊社社員による迷惑行為についてご指摘を
いただきました。調べました結果、弊紙4月1日付朝刊社会面掲載の
記事「本社編集局員 差別表現、ネットに投稿」のような状況が判明
しました。
 この度は大変ご迷惑をおかけし、誠に申し訳ありませんでした。この
ような事が再び起こらぬよう、全社員に改めて注意を喚起するとともに、
対策を講じました。

以上、報告させていただきます。


169 :清野之計:2009/04/04(土) 05:01:25 ID:dXNt/0ejP
1 名前:春デブリφ ★[sage] 投稿日:2009/04/04(土) 04:44:46 ID:???0
http://backnumber.dailynews.yahoo.co.jp/?m=73060&e=2channel
 フリーの大型掲示版サイト「2ちゃんねる」が30日付けで朝日新聞社
(asahi-np.co.jp)からの記事の書き込みに規制をかけたことが明らかとなった。

◆本社「厳正に処分」

 朝日新聞社広報部の話 弊社社員が2ちゃんねるの掲示板にきわめて不適切な書き込
みをし、多くの皆さまに不快な思いをさせ、ご迷惑をおかけしたことをおわびします。
事実関係をさらに確認した上で、厳正な処分をいたします。
http://www.asahi.com/national/update/0331/TKY200903310332.html


170 :清野之計:2009/04/04(土) 05:11:05 ID:dXNt/0ejP
309 名前:名無しさん@九周年[sage] 投稿日:2009/04/04(土) 04:55:24 ID:7kzPUFutP

15 名前:名無し野電車区[sage] 2009/02/09(月) 14:44:57 ID:faX4BoSi0
出て行け部落民。

20 名前:名無し野電車区[sage] 2009/02/09(月) 16:02:27 ID:faX4BoSi0
つまりルルってエタヒニンだから、関西から夜逃げして来たんだね。
だから、2ちゃんでは虚飾で飾っていながら、
実際には家賃にすら窮する貧乏フリーターなわけだ。
エタヒニンが足立区や舎人ライナーを馬鹿にするのは理解できなくもない。
やっと、そんな環境から逃げて来たんだものね。

147 名前:名無し野電車区[sage] 2009/02/13(金) 04:50:12 ID:95bZ80OZ0
馬鹿ルルは、部落民であることは否定しないのな。
貧乏で何の取りえもない基地外ルル。
とっとと箕面の部落で死ねばいいのに。

176 名前:名無し野電車区[sage] 2009/02/13(金) 22:09:08 ID:95bZ80OZ0
どうしたルル?
鬱病の薬が切れて二重人格が元に戻ったのか?
ニート精神病部落民のやることは分からんな。

186 名前:名無し野電車区[sage] 2009/02/14(土) 15:20:10 ID:3kTT4Qt40
部落民が毎日出しゃばってんじゃねえよ。睡眠薬でも飲み過ぎて永眠しとけヴォケ


171 :清野之計:2009/04/04(土) 05:59:38 ID:dXNt/0ejP
33 :名無しさん@九周年:2009/04/03(金) 10:49:36 ID:SGdmgBv00
部落解放同盟、中央本部に電凸した。
TEL:03-3586-7007〜8

正直怖かったが、NGキーワードと思われる言葉に注意しながらしゃべったので特にトラブルはなかった。

俺:朝日新聞社内のPCから「失語症躁鬱ニート部落民は首つって氏ね」という書き込みが
  校閲センターの49歳社員からなされたという報道があるが知っているか。
B:知っている。
俺:部落解放同盟(以下解同)としたらこの問題にどう対処していく方針なのか聞かせていただきたい。
B:まだ方針は決まっていない。
俺:今までの解同の方針からするとそれはおかしいのではないか、新聞発表から4日も経っている
  のに未だ行動を起こさないのは理解できない。
B:会議で方針が決まってからになると思う。
俺:では今も会議中なのか?実際に会議をしているのか?
B:内部のことなので話せない。
俺:それはおかしいのではないか。今まで解同はメディアに露出して差別解消を訴えてきたではないか。
  社会的責任もあるだろう。私も一国民として朝日新聞に問いただしてみたが、
  厳正な処分をする、あとは紙面を見て下さいというばかりでそれ以降は何の音沙汰もないという体たらくなのだが。
B:この件については何も行動を起こさないというのはありえないと思う。
俺:ならスピード感を持って対処するべきではないか、でないと私としても普段メディアを利用している立場だから
  何らかの手心を加えているのではないかと疑わざるをえない。
B:そう言われるのは心外だ。
俺:ならばいつものように素早く行動で示して欲しい。ダブルスタンダードに見えないように。
B:わかりましたが、とりたてて対応が遅いというわけではない。

解同に疑念を抱いてる香具師は恐れずに電凸にチャレンジしよう。


172 :清野之計:2009/04/04(土) 06:45:18 ID:dXNt/0ejP
244 名前:名無しさん@九周年[sage] 投稿日:2009/04/04(土) 06:44:31 ID:7YgVlC+/0
失語症でも躁鬱ニートでもないが
部落民の俺を怒らせたようだな
今まで何かにつけて朝日を世話して来たが
飼い犬に手を噛まれるとはこの事か
首を吊るのはどちらか後生の歴史家の筆に任せるとしようか


173 :吉田無学の2:2009/05/01(金) 06:41:13 ID:Lb6jT3/E0
このスレをDAT落ちさせるのは惜しい。
今はなき吉田無学氏の志を継いで要約の書継をします。御本家様の言われる序破急の3段式です。

第4章第 6節 太政官布告と地方行政
第1項 「太政官布告と地方行政」を論じるための資料について

明治4年太政官布告第488・489号は、「穢多非人等ノ称」廃止をめぐる一連の施策の基本方針のようなもの、
地方行政でこれを具体化した基本方策を各府県民に公布。
地方行政での基本方策の比較元として、三重県の『平民籍編入についての触書』に焦点をあてる。
資料は沖浦和光編『水平人の世に光あれ』。
さらに、差別思想「賎民史観」から見た『平民籍編入についての触書』の研究論文として
黒川みどり著『地域史のなかの部落問題 近代三重の場合』をとりあげ、筆者の「非常民の学としての部落学」の立場から批判検証していく。
http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/01/post_aa1f.html

174 :第4章太政官布告批判:2009/05/07(木) 06:31:46 ID:VUfrmlIO0
6節 太政官布告と地方行政(続き)

2項 黒川の部落問題の認識

黒川は、「社会の病理」を取り除き差別のない「社会の生理」状態に回復することを
、「解放の展望を切り開いていくこと」と解釈。黒川の「処方箋」は、差別的な「愚民」である「民衆」に同化することなく、
「部落民」が「部落民」として生きていくことができる「多元」的社会の創設。
しかし、日本歴史学に内在する差別思想である「賎民史観」を無意識に生きている黒川の属する中産階級・知識階級こそ、
その差別性が明らかにされなければならない。

175 :>>174 補足:2009/05/07(木) 06:35:39 ID:VUfrmlIO0
補足
http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/01/post_05a9.html

176 :第4章 太政官布告批判:2009/05/08(金) 06:41:57 ID:lElv+4RY0
6節 太政官布告と地方行政(続き)

3項 黒川の「触書」理解

黒川は、「明治4年の太政官布告第489号」を解放令として評価するが、
その布告に伴う三重県の「平民籍編入についての触書」の前書部分は、
被差別部落の人々」にとって差別的判断し、それ以上の探求を中止・封印して沈黙を守る。
筆者は、三重県の触書は太政官布告第489号の立法趣旨を十分に反映していると思う。
学問のしろうとである筆者は、三重県触書の前書の「屈辱的」・「差別的」と
黒川が判断する部分についても様々な知識と方法を駆使して解明する。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/01/post_d9bd.html

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/08(金) 21:19:50 ID:kd6DMf+y0
吉田さんの説だと東日本と西日本で違いがでたのは牛の疫病だかだったと思ったが
豚インフル騒動みてると差別とか起こりそうだわな

178 :第4章 太政官布告批判:2009/05/11(月) 22:51:05 ID:xV5jB3ZI0
6節 太政官布告と地方行政(続き)

4項 黒川の「触書」解釈に対する筆者の批判

1.黒川の「触書」の解釈方法

黒川論文において、三重県触書の引用から意図的に排除されている部分がある。
黒川は、その理由を明らかにしない。
筆者は、黒川がとりあげなかった触書の部分を考察するとともに、
差別思想である「賎民史観」を無比判的に受け入れている研究者・教育者の学的限界を明らかにする。


2.部落解放運動への奉仕の学としての黒川学

黒川の部落史研究は、部落解放運動からの要請と影響に応える結論を
抽出・主張する「強弁」になってしまっている。
黒川が避けて通る文言こそ「触書」の重要な本質を語り伝える。黒川の触書解釈では、
近代部落差別成立の明治政府による権力側の関与の側面が
著しく削ぎ落とされてしまい「賤民史観」的見解以外の何ものでもなくなってしまう。
部落差別の本当の原因を追究せず、そこから逃亡する学究から、
部落差別完全解消につながる新しい理論がどのようにして生まれるのか。

179 :>>178 補足:2009/05/11(月) 22:57:21 ID:xV5jB3ZI0
1 http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/01/post_6053.html

2 http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/01/post_379f.html

180 :第4章 太政官布告批判:2009/05/14(木) 06:48:54 ID:VvREpWKh0
6節 太政官布告と地方行政(続き)

4項 黒川の「触書」解釈に対する筆者の批判

3.別火・別婚論と宗門改め

黒川は、三重県触書の前文を部落研究の一般説・通説である民衆の差別意識から解釈し、
政治学・宗教学・民俗学的背景についての追究は一切しない。
三重県触書を今日の部落研究で言われる「差別意識」・「けがれ意識」からのみ解釈することは、その本質を見失うことである。
日本の歴史学に内在する差別思想である「賤民史観」は、解釈を通じて近世・近代・現代の歴史を改竄・捏造していく。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/01/post_b104.html

4.別火・別婚論

明治4年の三重県触書前文の「銘々火を改め申すべきこと」という文言は、
穢多の「各家々」が「非常・民」から「常・民」として「平民同様」の社会的地位に落とされる政策であった。
元来、「別火」・「別婚」は、「取り締まる側」と「取り締まられる側」の両者を区別するための重要なしるしであった。
明治という近代に入ってから、この「別火」思想は、差別的色彩を持って解釈されるようになっていった。
「別火」・「別婚」から派生する「別座」は、「旧穢多」を明治天皇制国家の中で「棄民」として差別する徴表として
意味合いが付加・強化され、社会的排除が累積された。
黒川は、「別火」の政治学的・社会学的・民俗学的背景を一切検証することなく、明治政府の近代部落差別構築に関する責任を免罪していく。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/01/post_5f59.html

181 :第4章 太政官布告批判:2009/05/14(木) 06:49:58 ID:VvREpWKh0
6節 太政官布告と地方行政(続き)

4項 黒川の「触書」解釈に対する筆者の批判

5.歴史学者の質を決める「前理解」

すべての学問(科学)は、常に学者・研究者・教育者が学問(科学)に従事する以前に、
潜在的に持たされている「前理解」を自覚し、それを意図的に払拭しないと、一般説・通説・俗説の踏襲に終わる。
黒川の『地域史のなかの部落問題』の基礎・土台となる近世の「穢多」理解は、一般説・通説・俗説の踏襲として余りに安直である。
また黒川は、内在する「賤民思想」から三重県触書の解釈に際して、いたずらに、「けがれ意識」を「読み込む」。
筆者は、その基礎と土台を堅固足らしめることで、黒川みどり著『地域史のなかの部落問題 近代三重の場合』は、
日本社会の中に存在する「社会病理」としての部落差別の完全解消につながる貴重な論考になると思う。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/01/post_dfc9.html

182 :第4章 太政官布告批判:2009/05/26(火) 06:54:25 ID:ZunLn8Ng0
6節 太政官布告と地方行政(続き)

5項 地方行政の「穢多非人ノ称廃止」解釈(1)

明治4年の「賤称廃止」太政官布告第489号によって、
「旧穢多非人等」は、「非常民」としての「役務」から解放された。
しかし、太政官布告を具体化した諸府県の対応は、
極めてあいまいで「旧穢多非人等」の一部のみを「司法・警察」職に再雇用した。
「旧穢多非人等」は、「司法・警察」職を継承することができた人々と、
「司法・警察」から排除された人々の2種類に分化され、
近現代の「部落差別」が生まれる大きな要因になった。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/01/post_1534.html

183 :第4章 太政官布告批判:2009/05/29(金) 03:22:42 ID:njAno9VbP
6節 太政官布告と地方行政(続き)

5項 地方行政の「穢多非人ノ称廃止」解釈(2)

明治4年太政官布告によって、府県は、、「穢多・非人」が「身分」とともに「役務」から解放・解雇されたとして、
「役務」に見合う報酬を停止したが、、「穢多・非人」をその職務から完全に解放しなかった。
また、明治4年太政官布告には、「これまでの職業は即ち平民の職業につき、相改むるに及ばず」として、
「穢多・非人」の「家職」については、当時の国民の92%を占める「平民同様」の施策がとられた。
しかし、「旧穢多」は、近世司法・警察たる「非常民」の「栄光」を忘れることができず「常民」化に緩慢であった。
このため、「旧穢多」はその「一新」を遅らせ、近代中央集権国家により内政問題・外交問題の捨て石と
されることによって、自ら近代化することに失敗させられていった。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/01/post_be0c.html


184 :第4章 太政官布告批判:2009/06/02(火) 03:25:30 ID:nbisjnbgP
7節 「旧百姓」の目から見た「穢多非人ノ称廃止」

1項 民衆の視角

筆者は、誰でも入手可能な一般書を組み合わせ「非常民の学」として再構築する、
無学歴・無資格の「職人」の営みを続けている。
たかが素人学、されど素人学・・・。
学者・研究者・教育者が持つことができない「民衆」の目から、
また「旧百姓」の目から見た明治4年太政官布告を検証していく。 

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/01/post_bd17.html


185 :第4章 太政官布告批判:2009/06/02(火) 06:45:14 ID:nbisjnbgP
7節「旧百姓」の目から見た「穢多非人ノ称廃止」

2項「旧百姓」の視角

「旧百姓」と「平民」、両概念の間には、相当大きな隔たりがあり
必ずしも同じ人々を指しているわけではない。
近世幕藩体制下において、「百姓」として、その自覚と責任を持って生き抜いてきた人々は、
明治新政府によって打ち出される「旧百姓」の解体、続く「平民」化に敏感に反応した。
筆者は、近世幕藩体制下の「百姓」≠近代中央集権国家の「平民」という命題のもとに、
一般的に言われる「部落解放令反対一揆」の本質に、
「平民」ではなく「旧百姓」の立場から迫っていく。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/01/post_cec7.html


186 :第4章 太政官布告批判:2009/06/04(木) 03:02:11 ID:k46RznbQP
7節「旧百姓」の目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)

3項「旧百姓」概念と「平民」概念

「刀狩令」以来、民衆は、「軍事・警察」に関与する「非常・民」と関与しない「常・民」に区分され、
近世幕藩体制下の「常・民」=「百姓」は、軍事・警察に関わることがなく社会生活に勤しむことができた。
しかし、明治4年太政官布告は、「旧百姓」(常・民)と「旧穢多」(非常・民)を同じ「平民」にし、
「常・民」をも軍事・警察に関与させるものであった。
「解放令反対一揆」は、「穢多(非常・民)」が「平民(常・民)」になることへの反対にとどまらず、
「平民(常・民)」が「穢多(非常・民)」にされていくことへの激しい反発でもあった。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/01/post_5a75.html


187 :第4章 太政官布告批判:2009/06/05(金) 06:55:09 ID:v5uaDR54P
7節】「旧百姓」の目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)

4項】「旧百姓」の一揆要求

明治4年太政官布告第488号・第489号を契機に発生した「解放令反対一揆」は、
「新政府反対一揆」と呼んだ方がより的確である。
「旧百姓」が「権力」に突きつけた要求の中で、突出しているものは、「徴兵廃止」(軍事)と「穢多従前通」(警察)で、
「旧百姓」は、近代中央集権国家の軍国主義化(国民皆兵)に否を突きつけていったのではないか。
しかし、太平洋戦争終結まで、日本の民衆は、「平民」という名の「非常民」として生きることを余儀なくされた。
「解放令反対一揆」は、「愚民」のなせるわざではなく「賢民」のなせるわざであった。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/02/post_0868.html


188 :第4章 太政官布告批判:2009/06/06(土) 18:03:29 ID:YTEFxBu1P
7節「旧百姓」の目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)

5項 部落史研究者のみた「解放令反対一揆」

歴史家は、明治4年太政官布告について、「被差別民」を「賎民」から解放し
「平民同様」の取扱いをする恩恵を与えたと解釈する。
戦後の学者・研究者・教育者は、日本の歴史学が培養してきた差別思想「賎民史観」に乗って、
「解放令反対一揆」を明治新政府の政治理念を理解できない「愚民」の所業とみなす。
しかし、学者・研究者・教育者が取り上げないテーマが、明治政府の外交問題を絡めた「行政改革」で
「官」から「民」へ「非常民」から「常民」へリストラされ旧体制のスケープゴートとして
在野に追いやられた「旧穢多」の姿である。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/02/post_87e9.html


189 :第4章 太政官布告批判:2009/06/07(日) 12:42:34 ID:QIWLdLOdP
7節 「旧百姓」の目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)

6項 深津県・北条県における穢多襲撃・殺害事件 1.序

岡山県に統合された2県における穢多襲撃・殺害事件である、
明治5年(深津県)「新古平民騒動」・(北条県)「明治6年美作一揆」は、
学者・研究者・教育者による諸説が入り乱れ定説が確立していない。
これらの事件も、「渋染一揆」同様、史料や論文を見直し
『部落学序説』の研究方法を適用することで新しい解釈を提示することができる。
これらの穢多襲撃・殺害事件は、日本歴史学の差別思想『賎民史観』によって
歪曲・解釈され歴史の真実からほど遠いところへ追いやられている。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/03/post_3077.html

190 :第4章 太政官布告批判:2009/06/07(日) 20:15:26 ID:QIWLdLOdP
7節「旧百姓」の目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)

6項 深津県・北条県における穢多襲撃・殺害事件 2.「新古平民騒動」の発端

明治5年1月深津県における穢多襲撃・殺害事件では、参加の「旧百姓」は約千人に上り、
「旧穢多」3人が殺害され中田村の「旧穢多村」24軒が焼き討ちにより焼失した。
この事件について、《「新古平民騒動」の研究》の著者・明山修は、
「この『騒動』は地域社会における新古平民間の身分対立であり、
古平民の新平民に対する不安からくる衝撃的・付和雷同的先制攻撃(襲撃)で、
対新政府闘争型『解放令』反対騒擾ではない」とする。
明山は、「新平民は、村共同体に対し『かわた』役の拒否を宣言した。
これに対して古平民は『村掟』をつくり新平民に経済的制裁をもって『かわた』役継続を強制も、
新平民が村掟に抵抗したため、古平民は竹槍・小銃を携え蜂起したのが『騒動』発端」とする。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/03/post_7455.html


191 :第4章 太政官布告批判:2009/06/10(水) 07:01:09 ID:Y8GZj3fNP
7節 「旧百姓」の目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)

6項 深津県・北条県における穢多襲撃・殺害事件 3.「新古平民騒動」の真意

明治4年太政官布告が出されるまで、「平民」と「元穢多」との間には「騒動」・「一揆」に至る要因はなかった。
ところが、明治4年太政官布告によって、深津県に編入された元亀山藩の「穢多」は、
「穢多非人等」の身分が廃止され「役務」と「家職」から解放と見なす結果、
従来から勤めてきた「死牛馬取捨」(道路警察・衛生警察)を含む「役務」に関与することを辞退する「申出」を出した。
「旧平民」は、「眼前差し支えに相成り候」と困惑し、「元穢多」の反対給付として
「旧穢多」に対してなしてきた便宜を一切廃止するという報復にでた。
明治4年太政官布告の内容のあいまいさ、筆者がいう「半解半縛」が災いして、「騒動」・「一揆」が発生した。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/03/post_e90e.html

192 :第4章 太政官布告批判:2009/06/11(木) 21:14:49 ID:51DA+dkpP
7節 「旧百姓」の目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)

6項 深津県・北条県における穢多襲撃・殺害事件 4.「新古平民騒動」の真意(続)

明治5、6年の2年間で全国5、6万頭の牛が、牛の間に伝染する最初の牛疫で倒れた。
明治5年1月「新古平民騒動」当時、家畜産地・中継市場であった
旧亀山県(旧亀山藩の現岡山県の飛び地)阿賀・上房郡内13ヶ村で「牛疫」が流行し、
「旧百姓」は感染死した牛の処分、感染牛の屠殺に追われていた。
しかし、明治4年に出された太政官布告により、「旧穢多」中に交通警察・衛生警察の職務を辞退する者が出たため、
「旧百姓」=「旧平民」は「旧穢多」に対し「かわた」であることを強制する雰囲気を醸しだし、
抵抗する「旧穢多」は「旧平民」から「仮想権力」として攻撃を受け「新古平民騒動」となった。
続く明治6年5月、家畜市場であった美作の事件では「旧穢多」18名が殺害・11名が負傷させられ314世帯が家を焼却、破壊された。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/03/post_b938.html

193 :第4章 太政官布告批判:2009/06/13(土) 02:05:58 ID:d7qfRrL30
7節 「旧百姓」の目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)

6項 深津県・北条県における穢多襲撃・殺害事件 5.「美作血税一揆」の真意

「美作血税一揆」については、津山藩の「穢多」の末裔である部落史研究者
川元祥一が『部落差別を克服する思想』で述べている。
川元は、祖母から明治6年、川元家を襲った不幸についての話を聞かされた。
「美作国一揆は全部で2万人…が蜂起し…、一つの被差別部落を2000人も3000人もの人が取り囲む…。
当時約20戸の村…、抵抗なく一揆の要求を承諾。…、やがて私の家と、当時村の頭をやっていた家だけは打ち壊しにあった。
…結果的に(屠畜場を)廃業に追い込まれた…。」
川元は、「当時の農民など一揆勢の意識・観念は部落差別としていまも生きている」と主張する。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/03/post_d4d2.html

194 :第4章 太政官布告批判:2009/06/13(土) 18:09:49 ID:+sMEWd8pP
7節「旧百姓」の目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)

6項 深津県・北条県における穢多襲撃・殺害事件 6.「美作血税一揆」の真意(続)

川元は、「キヨメ」(浄メ)という「役」(職業)を担った人々として「穢多・非人」を見直し、
「ケガレ」は「穢多・非人」の「役」(職業)からでてくる言葉であるという。
川元の先祖は、明治4年太政官布告がだされ「斃牛馬処理」の権利が「穢多」の特権でなくなったたあとも
「斃牛馬処理」の営みを続けていたが、川元の先祖を「浄め役」から解放したのは特権廃止や「賤民解放令」ではなく、
「美作国血税一揆」に参加した「百姓」たちの打ち壊しであった。
川元は、「何が農民をそこまで動かしたのか、・・本当の意味で日本の近代を語るのは
このような農民の動きの解明から始めなくてはならない」という。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/03/post_8251.html

195 :第4章 太政官布告批判:2009/06/14(日) 18:39:27 ID:/jGktvpOP
7節「旧百姓」の目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)

6項 深津県・北条県における穢多襲撃・殺害事件 7.「美作血税一揆」の新解釈

明治政府は、西シベリアに牛疫の流行ありとの情報をもとに、
明治4年6月「悪性伝染病予防に関する布告」(太政官布告第276号)をだした。

布告には、(牛疫は)「牛」・…だけでなく「人」にすら感染する恐れのある恐ろしい伝染病であると説明があった。
明治5、6年の牛疫流行当時、部落史の学者などのいう「解放令反対一揆」を引き起こした「旧百姓」が直面していた
「けがれ」のもっとも大きなものは、太政官布告第276号が喚起した日本国外から持ち込まれる新しい「けがれ(穢れ)」であった。

川元がいう「屠畜場経営」に関しては、「美作国血税一揆」に参加した「旧百姓」は「穢多村」に押し入り、
「牛疫」の感染源ではないか査定をした。川元の先祖や穢多頭の家は、新しい外来の「けがれ(穢れ)」に
直面した「旧百姓」の「新政府反対一揆」の犠牲にされた。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/03/post_a782.html

196 :第4章 太政官布告批判:2009/06/14(日) 19:04:16 ID:/jGktvpOP
7節 「旧百姓」の目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)

6項 深津県・北条県における穢多襲撃・殺害事件 8.「美作血税一揆」研究の課題

明治政府に対する美作「旧百姓」たちの様々な訴えはことごとく無視され、
追い詰められた「旧百姓」は、政府と「同腹」なる「村ノ役人」(「非常・民」)に対し、
「一同竹槍或ハ鉄砲其外有合ノ得物ヲ携・・・立向フ」ことを決意し、明治6年5月26日蜂起した。

「旧百姓」は、蜂起理由として、徴兵・断髪・学制の3「布告」(西洋化)への不服をとりあげ、
「穢多非人等ノ称廃」に関する明治4年8月28日の太政官布告は不服に含まなかった。

「美作国血税一揆」は、明治政府に対する反対一揆であって「解放令反対一揆」ではない。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/03/post_6a9d.html

197 :第4章 太政官布告批判:2009/06/15(月) 04:55:10 ID:bvlI/rvvP
7節 「旧百姓」の目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)

7項 網野善彦説の限界

網野善彦がいう「平民」と「職人」という言葉は、網野史学の学術用語として再定義された言葉である。

網野は、彼の理想とするところに違って、「平民」を農民とし農民以外のひとびとを「職人」に数えているに過ぎない。
民俗学の「常民」・「非常民」概念を遠ざけつつ、その外延と内包を安易に流用しているに過ぎない。

網野善彦の「平民−職人」、「東日本人・西日本人」説、「琉球とアイヌには被差別部落は存在しない」説、
その概念定義のあまさ(不十分さ)は、容易に崩すことができる類のものに過ぎず、
日本歴史学の通説から離脱したいと願いながら、日本歴史学に足をすくわれている網野の姿がそこにある。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/03/post_912b.html

198 :第4章 太政官布告批判:2009/06/15(月) 06:58:24 ID:bvlI/rvvP
7節 「旧百姓」の目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)

7項 網野善彦説の限界(続)

網野善彦が、「東日本」と「西日本」の社会的差異を示すメルクマールとして
「部落差別」の存在の有無をとりあげるのはいかがなものか。

網野がそうするように、「被差別部落」を「西日本」にのみ固有のものとすることは大きな誤りである。
「東日本」・「西日本」に渡って北海道・沖縄を含む全国に存在していた「穢多」が、
「特殊部落民」として「西日本」に限定さるようになったきっかけは、
明治5、6年にかけて全国で流行し5、6万頭の牛が死んでしまった「牛疫」問題に端を発する。
「東日本」は、牛の存在は希薄であり北海道と沖縄にはほとんどいない。

その予防と感染後の処置をめぐるさまざまな葛藤が、明治4年の太政官布告「穢多非人ノ称廃止」に見られる
明治政府の意図とは別に、むしろその意図を否定するような形で、
「旧穢多」に対し「牛疫」にともなう「死牛馬処理」との関わりを強制させるようになっていった。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/04/post_69a5.html

199 :第4章 太政官布告批判:2009/06/16(火) 05:38:55 ID:P2un2spuP
8節 こどもの目から見た「穢多非人ノ称廃止」

1項 こどもの目・・・

近世幕藩体制から近代中央集権国家へ大きく変わる中、当時「旧穢多」のこどもであった人々も、
太政官布告第448・449号公布、新政府反対一揆にともなう「旧百姓」による「旧穢多村」襲撃により、
大人と同じようにいろいろなことを経験させられ命すら奪われた者も存在した。

この第4章第8節は、そのような「こども」の視点・視角・視座に立って、
太政官布告「穢多非人等ノ称廃止」と、それにともなう政治的混乱に注目する。

その時代の「旧穢多」の「こども」たちの遭遇した時代を明らかにする(方法としては)、
かすかに残された史料をもとに、「想像力」を働かせ、これまでの「部落学」の研究成果を踏まえて再構成する。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/04/post_74f9.html

200 :第4章 太政官布告批判:2009/06/17(水) 06:44:08 ID:BMLyHGaFP
8節 こどもの目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)

2項 小学校炎上・・・

明治6年5月に岡山(北条県)、明治6年6月に福岡(福岡県)、香川(名東県)における
「旧百姓」の小学校「放火」「焼毀」のあった3一揆は、「部落解放反対」というよりは、
「明治新政府反対」の文脈の中で生じたできごとである。

讃岐の豊田ほか7郡の「旧百姓」は、「徴兵告諭」が公布されたことによって、
自分たちが「平民」とされた本当の意味を知ることになった。

近世幕藩体制下の「旧百姓」は、軍事・警察に関与することのない
「常の民」・「常・民」・「常民」として生き続けてきた。
ところが、明治新政府は、「国民皆兵」の制を実施し、すべての成人男性を「非常民」に、
「旧百姓」が「旧武士」(軍人)や「旧穢多」(警察)のように「非常・民」とさせられることへの
激しい抵抗が、「讃岐の徴兵反対一揆」に発展した。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/04/post_e74e.html

201 :第4章 太政官布告批判:2009/06/18(木) 22:52:14 ID:zmwpR8onP
8節 こどもの目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)

3項 明治5年学制頒布当時の『被仰出書』

『被仰出書』とは、学校制度に関する最初の総合的な規定「学制」の「序文」である。
『被仰出書』では「学制」は、日本人民の自立のための国の支援である・・
『被仰出書』の中核は「学制ヲ定メ、追々教則ヲモ改正シ布告ニ及ブベキニツキ、
自今一般ノ人民(華士族農工商及婦女子)、必ズ邑ニ不学ノ戸ナク家ニ不学ノ人ナカラシメン事ヲ期ス」。

「讃岐の徴兵反対一揆」で讃岐の「旧百姓」が、自分たちの費用で一旦、小学校を建設したあと、
襲撃・放火・破毀したのは、小学校建設自体に反対行動をとったのではないか。

筆者は、『被仰出書』の表向きの意図とは別に、明治政府の隠された意図が、
讃岐の「旧百姓」にしられるところとなったことが、小学校48校の襲撃・放火・破毀に「旧百姓」を走らせたと想う。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/04/post_00ee.html


202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/19(金) 19:57:22 ID:J1G+ro4r0
敷居は高いけれど内容のある名スレを久々にageておきます。
時間がある人はこのスレで土日に同和問題の勉強しよう。

203 :第4章 太政官布告批判:2009/06/20(土) 22:03:44 ID:HQh3Jm1FP
8節 こどもの目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)

4項 明治5年学制の隠された意図 その1

明治新政府反対一揆は、明治政府が朝令暮改よろしく王政復古を破棄し、
返って近代日本国家の政治・社会・文化を近代化・欧米化しようとしたところに端を発する。

当時の「旧平民」は、明治新政府の学制『被仰出書』に基づいて、
自分たちの町や村に、自分たちのために自分たちの手で、小学校を喜々として作ったにもかかわらず、
作ってまもない小学校を、自分たちの手で襲撃、放火、棄毀しなければならなかったのか。

筆者は、小学校教育の実態をみた「旧平民」が、その教育の隠された意図に激怒し、
血税反対一揆の当然の帰結として、小学校の襲撃、放火、棄毀に走ったと思う。
問題になった教科は「国語」であった。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/04/post_806b.html


204 :第4章 太政官布告批判:2009/06/20(土) 22:23:51 ID:HQh3Jm1FP
8節 こどもの目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)

4項 明治5年学制の隠された意図 その2

明治新政府にとって、「兵制」確立のために、「学制」の確立は避けて通ることのできないことであった。

3府41県それぞれのくにの言葉が共存している状態では、
近代中央集権国家にふさわしい行政組織や軍事・警察組織をつくりあげることは不可能なため、
全府県に渡って通用する「通語」の導入が必要であった。
「学制」は、小学校教育によって日本全国に「通語」を普遍化させ、
「国民皆兵」による軍人養成の重要な機関とする背後の意図があった。

「讃岐の徴兵反対一揆」が、建設されたばかりの48小学校を襲撃、放火、棄毀に及んだのは、
讃岐の「旧百姓」が、「学制」の背後に、「国民皆兵」教育装置としての小学校の存在に気づいたからに他ならない。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/04/post_8098.html


205 :第4章 太政官布告批判:2009/06/21(日) 09:14:10 ID:2uIipnEyP
8節 こどもの目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)

4項 明治5年学制の隠された意図 その3

当時、文部省の要職者、西潟訥の《巡視巧程説諭》には、陸奥・出羽の人々と薩摩・大隅の人々の使う言葉は、
同じ日本語とはいえ「全く相通ぜざる」異国のことばのようであるとし、
小学校でなされる国語の授業は「其不便」を取り除くために実施されているという。

筆者は、明治政府が、「正韻通語」(日本の東西で通用する標準語)を学習させることにより、
徴兵制で召集された「兵士」に対する日本全国一律の命令・軍事情報の一元的管理が可能になる、
と考えたと想定する。

讃岐の「旧平民」(旧百姓)が、「血税反対闘争」の枠組みの中で
新設小学校48校を襲撃、放火、棄毀の暴挙に出たのは、
小学校教育等の「学制」と「軍制」との密接な結びつきを見抜いた「旧平民」の新政府への批判・抗議である。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/04/post_3174.html


206 :第4章 太政官布告批判:2009/06/21(日) 12:08:44 ID:2uIipnEyP
8節 こどもの目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)

5項 教育・言語・差別 その1

明治4年「穢多非人等ノ称廃止」太政官布告のあとも、
「穢多・非人」の一部は近世に引き続き「非常・民」として従前の警察業務に関与し、
「旧平民」の間からは、「旧穢多」を「非常・民」として引き続き警戒する雰囲気があった。

明治20年代までは、「穢多・非人」に対し、
近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」としての見方がなされていた。

しかし、明治30年代に入ってから、「旧穢多」・「新平民」に対する「人種起源説」的見解が芽生えだした。
「人種起源説」の発生場所になったのが、当時の小学校に於ける教育現場であった。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/04/post_0cbb.html


207 :第4章 太政官布告批判:2009/06/23(火) 05:16:53 ID:EKedWpcBP
8節 こどもの目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)

5項 教育・言語・差別 その2

明治22年2月、中江兆民は、『東雲新聞』に「新民世界」と題する文章を投書し、
台頭しつつあった「新平民」を異民族の末裔とみなす「人種起源説」を全面否定した。

これに対し、?村漁客は「人種起源説」を擁護し、
「新平民」が社会より排斥される主な理由として、言語の転訛その他を「列挙」した。
その最初の証拠として、京都宇治郡山科「旧穢多の小部落」設置の小学校教師の、
「旧穢多」のこどもが話す「言語の矯正」に最も「困難」を覚えた、という証言を取り上げた。
漁客は、「旧穢多村」のこどもたちの標準語習得の難しさを前に、
その「無気力、無智力」は「支那・朝鮮にて智恵もなく、身代もなく、生計を成すにあたわざる者が・・波濤を越えて、日本にきた」
末裔であると断じ、「風土」・「習俗」の違いから生ずる「方言」を「人種」・「民俗」の違いにまで普遍化した。

漁客が中江兆民に「旧穢多」の社会的排斥の理由として提示した
「転訛」と「異類視」(「新平民」を異民族の末裔とみなす説)は、まったくの虚妄・虚説であるが、
日本全国の「旧穢多村」が同じような「異類視」に曝されていった。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/04/post_5218.html


208 :第4章 太政官布告批判:2009/06/24(水) 06:36:42 ID:ULJs7ROYP
8節 こどもの目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)

6項 穢多と言語と誇りと・・・

水平社宣言の1節「誇りうる人間の血は、涸れずにあった」については、
福島県「旧穢多」の末裔・栃木重吉が、生きる試行錯誤、苦悩を乗り越え、
<存在>肯定の理論を「水平社宣言」の文言の中に組み込んだのではないか。

「旧穢多」の末裔をして、その<存在>の「誇り」を感じさせてきたものは何か。
筆者のなぞに答えを与えたのは、部落解放同盟新南陽支部の元書記提供の
『隠語について』という表題で長州藩萩城下穢多町の「穢多」の「末裔」の古老執筆の資料であった。
古老は、「人間としての誇り」を失うことから免れさせたのは、被差別部落固有のことば・言語で、
これが近世幕藩体制下の「穢多」であったことの誇りを忘れさせなかったという。

「旧穢多村」の住人にとっては、「よそもの」でしかなかった京都府宇治郡山科の小学校教師は、
「通語」をおしえるのみに汲々とし、「転訛」の陰に隠れた「穢多」の「人間としての誇り」につながる
「隠語」(警察用語)の存在に気がつかなかったのかもしれない。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/04/post_c568.html


209 :第4章 太政官布告批判:2009/06/24(水) 17:44:35 ID:ULJs7ROYP
8節 こどもの目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)

7項 十手と少年

筆者の部落史にとって唯一の師である北川 健 先生(山口県立文書館の元研究員)は、
「被差別部落」の人々に対し「本当に、先祖が語り伝えてきた地名、伝承、歴史を捨てていいのか、
『被差別部落』の人々にとって、マイナスだけでなくプラスの面も含んでいる。」と詰め寄った話を耳にする。
筆者は、長州藩の「旧穢多町」・「旧穢多村」の末裔によって、その伝承が語り継がれ、
時がきたとき、それが明るみに持ち出され、部落差別の完全解消に貢献する・・、と確信する。

筆者は、小学生のころ、いじめの対象になったが、同じようにいじめられても泣かない同級生がいた。
彼は、いじめられたときに「十手を持ってきてぶってやる!」といい、ある日、十手をもってきて悪ガキたちを威嚇した。
そこへ彼の父が入ってきて十手をとりあげ、彼のあたまをボカスカ殴った。
彼の在所は、「被差別部落」(同和地区)のひとつであった。

そんな彼も今は60才。あの十手と、十手にまつわる近世幕藩体制下の司法・警察である
「非常・民」としての物語・歴史を子や孫にどのように語り継いでいるのか・・・。
今も十手は、「家宝」として磨きをかけられ、彼のレーゾン・デートル(存在理由)になっているのではないか。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/04/post_5d1a.html


210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/24(水) 17:48:07 ID:4GwQ+CjYO
地名を書かないのだから学問としては致命的だw

211 :吉田無学の2:2009/06/24(水) 19:15:09 ID:ULJs7ROYP
>>210
ご本家様の見解を紹介します。
これ以上は、何もこの点については書きません。

【部落学序説】(別稿)の冒頭部分

※「部落解放同盟」の方から、被差別部落の人名・地名の実名記載をしないのは、
被差別部落の地名・人名をタブー視することで返って部落差別を助長するとの指摘を受け、
執筆を中断した『部落学序説』旧第4章の文章群です。

筆者は、検証の結果、33年間15兆円を費やして実施された同和対策事業・同和教育事業終了後も、
部落差別が現存している状況に鑑み、今後も、被差別部落の地名・人名は実名記載しないのが妥当
と判断しましたので、一端削除した文書群を再掲することにしました。

『部落学序説』が被差別部落の地名・人名の実名記載に踏み切るためには、
まず「部落解放同盟」の方が地区・人名の一覧表を公開されることが必須です。
筆者は、その一覧表に則して、合致する地名・人名がある場合には地名・人名の実名記載を敢行します。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/cat4754864/index.html


212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/24(水) 19:20:49 ID:4GwQ+CjYO
>>211
地名表記しないならば差別以前に学問にならないからなw

213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/25(木) 02:35:16 ID:+t0QTiOd0
>>209
へー 
銭形平次が穢多非人なんて初めて聞いた
バカッペの妄想ってすごいな(´・ω・` )

214 :第4章 太政官布告批判:2009/06/25(木) 06:35:59 ID:SxZatwk0P
9節 警察と遊女と部落と

1項 はじめに

第1節の主題は、「警察と遊女」である。『部落学序説』は「非常民の学としての部落学」であるため,
「常・民」より「非常・民」を優先させ、主題を「警察と遊女」の順とした。

筆者には「警察」も「遊女」も無縁の世界で、聞き取り調査をしたわけではなく、
筆者の手元には「警察」と「遊女」に関する史料、伝承、研究論文はほとんどなく、
ごくわずかな史料を用いて大胆な結論を出すことにためらいがある。

しかし、この主題を取り上げることなく『部落学序説』を先に進めることはできそうにないので主題に挑戦する。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/04/post_d79c.html


215 :訂正:2009/06/25(木) 06:38:00 ID:SxZatwk0P
>>214
●第9節
×第1節

216 :第4章 太政官布告批判:2009/06/26(金) 00:11:29 ID:rXOD205lP
9節 警察と遊女と部落と 《重要論文》(続き)

2項 日本の通史に見られる「警察」と「遊女」

網野善彦は、中世・近世の「非人」と「遊女」は、権力が付与した特権を有する「職能民」という
共通項(内包・属性)を持つゆえに、同等の存在とみなす。

しかし、網野は論理的に過ちを犯し、「検非違使」(地方においては「非人」)と「遊女」の関係が、
「検非違使」の「風俗警察」として「取り締まる」側、「遊女」の「取り締まられる」側という相反する関係にあることを見逃す。
「非人」と「遊女」の悪しき同一視は、中世・近世においては網野によって、近世・近代においては上杉聡によって、
それぞれ主張されてきたが、筆者はその良心にかけて、網野と上杉の見解は事実誤認であると断定する。

近代における「警察」と「遊女」の関係については、「取り締まる」側と「取り締まられる」側に区分される
ことはいうまでないが、両者の関係を複雑にしているのは、網野が指摘する検非違使等の「公事徴収権」
(警察職務遂行の報酬として税徴収)の近代・現代版の存在であった。
「娼妓・・には・・税金が課せられ・・地方税として県財政をうるおし・・その一部は警察探偵費にあてられた。・・」
「警察と遊女」というときの「警察」は、「国家による女性の性的収奪」の補助機関であった。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/05/post_6f7a.html

217 :第4章 太政官布告批判:2009/06/27(土) 02:29:21 ID:bHMvgTQfP
9節 警察と遊女と部落と 《重要論文》(続き)

3項 日本の近代警察

序説の「非常民」は、時代を超えて使用できる司法・警察従事者を指す一般用語として採用した。
社会の治安をあずかる司法・警察である「非常民」は、古代から中世、近世、近代、現代へ時代が変遷しようと、
その職務が継承され、大きくその組織・内容が改変されない「非政治的」存在であった。

しかし、「明治維新」だけは、司法・警察制度にとって例外的状況が待ち受け、
明治初年代の相次ぐ「政変」によって(司法・警察制度が)政争の道具と化していった。
「部落学」の創設者・川元祥一は、その著『部落差別を克服する思想』の
「【補稿】近代初期の警察と差別の構造−部落が切り捨てられた過程」で、
「明治5年には内務省警保寮が管轄し・・・」と表現するが、内務省設置は「明治6年11月10日」
(『山口県警察史』)で、「司法」を「権力」によって封殺した大久保利通による「明治6年政変」の直後のことである。
川元は、年代と名称を誤認している。

川元は、「司法」と「権力」の闘争の中で、近代警察が「司法省」から「内務省」に移管されていくことに
ともなう警察の政治上の役割・機能の変更と、更には近世幕藩体制下の司法・警察に従事した「非常民」
(「穢多」・「非人」)の処遇をめぐる明治政府の「司法」と「権力」の確執を見逃している。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/05/post_4884.html


218 :第4章 太政官布告批判:2009/06/28(日) 06:49:14 ID:JxcM7+KuP
9節 警察と遊女と部落と(続き)

4項 その1 明治維新と部落差別(旧:近代警察における「番人」概念の変遷その1)


「部落学」の創始者で『部落差別を克服する思想』の著者・川元祥一は、
明治維新が「1回限りの政変」であるという前提に立つ。
しかし、筆者は、明治維新が「版籍奉還」・「廃藩置県」・「明治6年の政変」の
3回の「政変」によって遂行されたと確信する。

しかも、この3回の「政変」の相互関係は、
「廃藩置県」は「版籍奉還」を否定し、「明治6年の政変」は「廃藩置県」の否定に上に遂行されていった側面を含み、
明治4年太政官布告第488号・第489号(通称「解放令」)は、
明治新政府の国政・外交の全動向を視野に入れて解釈する必要がある。
明治新政府は、「第1の中央警察機関」、「第2の中央警察機関」、「第3の中央警察機関」
(この表現のみ『山口県警察史』に登場)を構築していく中で、
「第2の中央警察機関」、「第3の中央警察機関」を「第1の中央警察機関」に統合し、
「明治6年の政変」によって「第1の中央警察機関」を否定して新たな「第4の中央警察機関」として改変していく。

その中で、川元が指摘する「旧番人」と「新番人」の確執と去就が問題になる。
明治政府の中にあった、ある方針が採用されていたら、
近代・現代の「部落差別」が作りだされる可能性は極端に少なかったのではないかと推測する。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/05/post_95c4.html


219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/28(日) 07:01:40 ID:5EaAwuUyO
>>218
ネットウォッチ板に行けよw

220 :吉田無学の2:2009/06/28(日) 07:12:46 ID:JxcM7+KuP
ネットウォッチ板に行けよw、というならスレが立った段階で書くべき。
ここまで書き継いだ。ご本家様が完結した第4章の終わりまで要約を続けます。


221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/28(日) 08:10:52 ID:5EaAwuUyO
>>220
お前馬鹿やろ?w
リンク貼るから1000まで容量オーバーで行かんぞw

222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/28(日) 08:18:26 ID:jni/hYgvO
>213

バカは貴様だな。
小学生か?

223 :吉田無学の2:2009/06/28(日) 08:19:46 ID:JxcM7+KuP
>>221
リンクはるのは、あと69です。

224 :【第4章】太政官布告批判:2009/06/28(日) 09:05:37 ID:JxcM7+KuP
9節 警察と遊女と部落と(続き)

4項 その2 軍事警察から民政警察へ(旧:近代警察における「番人」概念の変遷 その2)

明治初年代の「警察」が、「戦時」(幕末から明治初頭の時代)の「軍政警察」から
「平時」下の「民政警察」へどのように移行したのか。
移行の様態と、その中で「受容」と「排除」を繰り返される近世幕藩体制下の司法・警察である
「穢多・非人」の姿について言及する。

「警察制度の確立」は、不満を抱く士族の乱や農民一揆鎮圧などの「内政問題」だけではなく、
「外交問題」からの強い要請、即ち外国軍隊の日本駐留・警察権行使を容認した
不平等条約による治外法権の早期撤廃等も大きく起因していた。

明治新政府は、明治元年1月、「三職七科」の中央官制を成立させた。
このとき、「治安警察」は「海陸軍事務科」が担当し、
「監察・糾弾・捕亡・断獄・諸刑律の監督」等、従前は「非常民」が従事した
「司法警察」は、「刑法事務科」が担当することになった。「刑法事務科」は「中央における警察機関の初め」であった。
翌2月、「三職七科制」は官制改革で「三職八局の制」に改編され、
海陸軍事務科は軍防事務局、刑法事務科は刑法事務局になった。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/05/post_b444.html


225 :【第4章】太政官布告批判:2009/06/28(日) 14:23:56 ID:JxcM7+KuP
9節 警察と遊女と部落と(続き)

4項 その3 警察の近代化と旧穢多(旧:近代警察における「番人」概念の変遷 その3)

明治元年3月『五カ条の御誓文』宣布、
閏4月にはこれを制度的に具体化し「中央集権権力創出」するため『政体書』の公布がなされ、
「警察」機構においては「軍防事務局」が「軍務官」に、「刑法事務局」が「刑法官」に改組された。
明治2年7月の第三次の官制大改革では2官6省となり、「軍務官」は「兵部省」に、「刑法官」は「刑部省」に改組された。

「刑部省」は「犯罪の捜査、犯人の検察」等の「司法警察」を担当した。
(近世幕藩体制下の司法・警察の継承として「第1の中央警察機関」)
「兵部省」は東京府下、地方の警備や凶徒の鎮圧など「治安警察」を担当した。(「第2の中央警察機関」)
同年5月、さらに、政府に不満を抱く不平士族による全国的な政治的陰謀の摘発を主任務とする、
いわゆる政治警察(「宗教警察」を含む)である「弾正台」が設置され、「反政府活動」をする者に対し探索・糾弾・監察を行った。
(「第3の中央警察機関」)
当時の地方「警察」は、近世幕藩体制下そのままで、全国の「穢多非人等」は従来の司法警察職務の他に
「政治警察」の職務を押しつけられ、明治新政府のキリシタン弾圧政策においては、
かっての残虐・悲惨・恐怖なイメージを人民に想起させるようなキリシタンの探索・探偵・糾弾を職務として強要された。

明治4年7月、明治新政府は「第1の中央警察機関」の継承者として「司法省」を設置して
「第2の中央警察機関」・「第3の中央警察機関」を廃止したが、
第2・第3の中央警察機関の「治安警察」・「政治警察」の機能は「司法省」に統一され、
「司法省」は司法警察・治安警察・政治警察(宗教警察)の全警察機能を具備した。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/05/post_cf65.html

226 :第4章 太政官布告批判:2009/06/28(日) 18:00:43 ID:JxcM7+KuP
9節 警察と遊女と部落と(続き)

4項 その4 警察の近代化の闇…(旧:近代警察における「番人」概念の変遷 その4)

明治4年7月、廃藩置県の断行後、地方行政の統廃合・再編成が繰り返され、
明治21年3府43県に確定したが、地方警察も相前後して「統廃合」「再編成」を余儀なくされたと想定する。

明治5年4月、江藤新平が初代司法卿に就任し、「近代国家にふさわしい司法権を確立すること」に集中した。
同年8月「司法省警保寮」が設置されたが、「警察権」をめぐる地方の「地方官」(大蔵省管轄下)と
「裁判所」(司法省管轄下)との対立、中央における「大蔵省と司法省の対立」が存在し続けた。
「明治6年政変」で江藤を含む閣僚の半数は野に下り、江藤は、「警察権」をめぐる抗争の相手であった
大蔵省関係の官僚によって捕縛・糾弾(拷問)、「除族」(身分剥奪)の上「斬首梟首という極刑」に処せられた。
大久保利通は、政変後の明治6年11月内務卿に就任し、翌年1月設置の「内務省警保寮」に
「司法省警保寮」(廃止)の警察権を移管させた。

「司法省警保寮」から「内務省警保寮」への移管は、「近代警察」が「司法警察」から「行政警察」へ移行して、
行政から独立した司法に属する機関から、行政と密接に結びついた権力機関となったものである。
明治6年政変後の明治政府は、薩摩・長州の旧藩閥による利権の拡張を求め、
その政敵の排除を「内務省警保寮」という警察機関を通じて実現していく。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/05/post_125b.html

227 :第4章 太政官布告批判:2009/06/28(日) 19:19:24 ID:JxcM7+KuP
9節 警察と遊女と部落と(続き)

4項 その5 江藤新平と大久保利通の政治的対立(旧:近代警察における「番人」概念の変遷 その5)

最初の司法卿・江藤新平は、新政府の「官僚」に対しても、「法」のもとで公明正大な職務の遂行をもとめ、
「法」に違反する者は、たとえ、新政府の「官僚」であろうと厳罰をもって処する旨宣言した。
「立法・行政・司法」3権の「司法」を担当する司法省の下部機関「司法警察」は、
「長州派閥」の中から利権をあさり私腹をこやす「官僚」の「疑獄事件」などを明らかにした。

大久保利通は、「司法権」と「行政権」の「分裂」により「長州汚職閥」が明るみに出され、
新政府の内部対立が白日のもとにさらされたため、新政府の「権力」弱体化を懸念し、
政治的策略を弄して政敵・江藤を失墜させ、「警察権」を「司法省」から「内務省」に移し、
「行政権」と対立する「警察権」ではなく「行政権」に追従する「警察権」の確立を図った。

江藤は、日本の伝統的な司法・警察制度を「法」と「制度」の形式を継承しつつ、
「近代警察」に相応しい質と内容(の「警察権」)を構築しようとした。
それに反し、大久保(の「警察権」)は、「法」と「制度」の形式の「強引な欧米模倣」(川元)に徹し、
その質と内容は日本の伝統的な「司法・警察」であった。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/05/post_0cba.html


228 :【第4章】太政官布告批判:2009/06/29(月) 05:13:10 ID:FUjJvGPvP
9節 警察と遊女と部落と(続き)

4項 その6 人権の父・江藤新平、政敵・大久保利通に敗れる(旧:近代警察における「番人」概念の変遷 その6)

明治新政府内部の「権力闘争」、「江藤新平」(司法権)と「大久保利通」(行政権)との
対立(と以後の経過)は、新政府内部の「政変」(クーデター)であった。

「権力闘争」の一方の当事者である「江藤新平」は、近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」としての
「旧穢多・非人」を、専門的知識と技術を持つ「現場の警察の仕事」として再評価し、
近代日本の「警察システム」の中に組み込もうとしていた。
法的合理性を説く「江藤新平」に対し、「大久保利通」は、「計画的」に「江藤新平」を「抹殺」した。
毛利敏彦は、このとき、「人権の父」である「江藤新平」だけでなく「近代日本における
法治主義(それに対応する「警察システム」)・・・の非命の最後であった」という

「江藤新平」がもし政権を握っていたとしたら、少なくとも、近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」としての
「旧穢多・非人」が、近代警察システムの中で、その専門的知識と技術に相応しい処遇をされていたとしたら、
今日のような「部落差別」は発生しなかったのではないか。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/06/post_d800.html


229 :【第4章】太政官布告批判:2009/06/29(月) 06:37:48 ID:FUjJvGPvP
9節 警察と遊女と部落と(続き)

4項 その7 部落史上から無視される江藤新平とその政策
(旧:近代警察における「番人」概念の変遷 その7)

明治政府の「権力」側・「大久保利通」の勝者の側に立脚する歴史学者や歴史研究者は、
「江藤新平」を無視、過少評価する傾向がある。
部落史の代表的な研究として部落解放研究所編『部落解放史』があるが、
「江藤新平」については「明治6年政変」で下野した人々の人名表の末尾に出てくるのみで、
江藤新平とその業績は黙殺されているに等しい。

『部落解放史』は、近世幕藩体制下の「穢多」とその末裔「旧穢多」を、
「学術用語」としての「賤民」概念で把握し、筆者が指摘する「賤民史観」の典型である。
「明治6年政変」当時、権力闘争の当事者であった「江藤新平」にしても、「大久保利通」にしても、
「旧穢多」に対しては、『部落解放史』がいう「賤民」とは、とらえていなかった。
明治政府は、明治4年7月廃藩置県によって、旧体制(近世幕藩体制)を身分制度を含め全面的に廃止し、
一端廃止にしたうえで「旧穢多・非人」の再編成に取り組んだが、
その作業に積極的に関与したのは、司法卿・江藤新平であった。

しかし、今日に、歴史学者・歴史研究者は、近代「被差別部落」の歴史を解明するのに貴重な、
この時期の資料を墨で抹消したうえで、切り取ってしまう。
なぜ、『部落解放史』は、江藤新平とその業績を排除するのか、歴史の真実を隠蔽するのか。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/06/post_80ed.html続)


230 :第4章 太政官布告批判:2009/07/01(水) 14:06:35 ID:5Qn4UKvyP
9節 警察と遊女と部落と(続き)

4項 その8 旧穢多を近代警察に組み込む江藤新平の政策
(旧:近代警察における「番人」概念の変遷 その8)

江藤新平は、明治5年4月、司法卿就任後、近代中央集権国家に相応しい
法治主義に基づく「司法権を確立」しようとした。
同年8月「司法職務定制」制定により、大蔵省管轄下の地方官(府県)支配にあった
「邏卒・捕亡吏を・・・検事局に所属させ、司法警察の管轄下に置」こうとし、「司法省が全国警察権を掌握する」。
同月28日、司法省警保寮が設置され、それまでの東京府の邏卒は、同寮へ移管、
同寮は「国家の治安組織」(『山口県警察史』)となり、同年10月「警保寮職制及警保寮章程」により
「…全国の警察は司法省のもとに統一…警保寮が直接これを管掌…、警察は軍政警察から司法警察へと脱皮…」。
江藤は優秀な政治手腕の持ち主で、司法卿就任4ヶ月にして近代中央集権国家に相応しい近代警察の枠組みを作った。

『部落解放史』が言及することのない司法卿・江藤とその司法・警察制度創設の動きの中で、
首都・東京はもちろん地方各府県に至るまで、近世幕藩体制下の司法・警察としての「非常・民」である「旧穢多・非人」が、
明治5年司法省下の近代警察機構に司法省の方針により積極的に組み込まれた。
新政府の動きの中で、旧幕藩体制下の司法・警察に従事した「非常・民」である「旧穢多・非人」を、
近代中央集権国家の警察機構に組み込む動きがあった。
そして、それが現実に実施されたことは、部落史の、これまでの常識と著しく反することである。

部落解放運動の「御用学者」と化した部落解放研究所の学者・研究者たちは、
これまでの通説に反するこれらの資料を、部落解放運動にとってプラスにならないとして
「差別文書」扱いにして無視してしまった。
問題解決の源泉を破棄して恣意的に部落史を捏造するところからは、
部落差別完全解消のてがかりを発見することはできない。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/06/post_f6bb_1.html


231 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/01(水) 19:15:49 ID:/6NajsUsO
自分の意見を書けよ

232 :吉田無学の2:2009/07/01(水) 19:27:49 ID:5Qn4UKvyP
>>231
吉田向学さん(本職:日本キリスト教団牧師)の部落学序説は、
私にとっては、驚天動地の魅力ある仮説。目から鱗が落ちる思い。
詳しくは、第4章の要約が終わってから書ければ、書きます。

233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/02(木) 15:28:54 ID:DDyuXO250




歴史学者に一向に相手にされないトンデモをせっせとコピペする馬鹿( 嘲笑 )






234 :第4章 太政官布告批判[:2009/07/03(金) 06:43:48 ID:vdtaOcbTP
9節 警察と遊女と部落と(続き)

4項 その9 まぼろしに終わった警察制度(旧:近代警察における「番人」概念の変遷 その9)

明治5年2月、司法省は、外国人法学教師、フランス人ジュ・ブスケを雇用して
「警察概念・警察制度」の情報を入手し、「穢多非人等ノ称廃止」太政官布告から1年10ヶ月後の
明治6年6月、「警察規則案」を作成し太政官あて提出した。
しかし、「明治6年政変」により同年12月、この案は消滅したが、これは「外国の模倣」(川元)ではなく、
近世幕藩体制下の司法・警察である「非常・民」としての「旧穢多」・「旧非人」が行ってきた
「現場の警察の仕事、・・歴史を徹底的に研究し」、それを再評価の上、近代国家に相応しい
警察制度を創設しようとするこころみであった。

「警察規則案」第11条においては「行政警察官」の定義が、第19条には「司法警察官」の定義があり、
法文上「警察官」という概念の外延(誰が警察官に任命されるべきか)と内包(警察官は何を職務となすべきか)の
定義が明確になされていた。
第11条・第19条では、警察官の外延として「捕亡吏、番人小頭・番人・・」が規定され、
これは近世幕藩体制下の司法・警察である「非常・民」の外延(同心、目明し・穢多・非人、庄屋・畔頭)を意味し、
その内容においては、日本の近世幕藩体制下の司法・警察である「非常・民」制度をそのまま踏襲していた。

部落解放研究所は、『部落解放史』から、司法卿・江藤新平の指導で構築されていった
近代警察制度の構想を「無視」する。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/06/post_f7dd.html


235 :第4章 太政官布告批判[:2009/07/04(土) 15:11:51 ID:08Cr3MnSP
9節 警察と遊女と部落と(続き)

4項 その10 もし、江藤新平の警察制度が実施されていたとしたら・・・
(旧:近代警察における「番人」概念の変遷 その10)

明治新政府は、明治5年に期日を迎える「不平等条約」(治外法権受容と関税自主権放棄)の
早期撤廃を目的として、その「要職」から多くの人員を外交使節団として欧米各国に送り出した。
明治4年11月岩倉使節団は日本をはなれたが、条約改正交渉は途中で打ち切られ、明治7年9月帰国した。

その間、「留守政府」を担った実務派・大隈重信と理論派・江藤新平は、主な長州・薩摩派閥「要職」不在中、
近代中央集権国家建設のため、日本の法制度・法制史の精神・伝統を保持しつつ、
取捨選択して諸外国の制度を導入する「予想以上に成績をあげた」「留守政府の施策」を実施した。
・・・・明治5年02月 近代的所有権の法認・・・明治5年04月 東京大阪間電信開通・・・ 
明治5年08月 近代教育制度創設・裁判所体系整備・・・明治5年09月 新橋・横浜間鉄道開通・・・
明治5年11月 徴兵告諭布告・太陽暦採用・国立銀行条例制定・・・明治6年06月 キリシタン禁制高札撤去
・・・他に、「国憲編纂と国会開設の計画、法典整備、・・・全国郵便制度実施 めまぐるしいばかりの新政策・・・」

大隈・江藤による「留守政府」(真正の明治政府)は、条約改正交渉のために放浪する
岩倉使節団のできなかったことを現実化して諸外国からその政策を支持された。
その肯定的評価を背景に、形の上で切り捨てた近世幕藩体制下の司法・警察であった
「非常・民」・「旧穢多・非人」を、あらためて近代中央集権国家の警察として再組織しようとした。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/06/post_7ad6.html


236 :第4章 太政官布告批判[:2009/07/04(土) 16:35:52 ID:08Cr3MnSP
9節 警察と遊女と部落と(続き)

4項 その11 旧穢多を近代警察から排除する大久保利通の政策
(旧:近代警察における「番人」概念の変遷 その11)

(明治6年5月、岩倉使節団離脱・単身帰国の)大久保利通は、「明治6年政変」(クーデター)により、
政敵・西郷隆盛・板垣退助・江藤新平・後藤象二郎・副島種臣等を排除し、
同年11月、自らが設置を提案の内務省・内務卿に就任、明治7年1月「内務省職制及事務章程」を制定、
江藤が司法省(「司法権」)に設置した「警保寮」を内務省(「行政権」)に移管・帰属させた。

「警保寮」内務省移管は、近代日本の警察制度を決定的に方向づけ、
それ以降の近代日本の警察システムは「行政権」に帰属し、国内政治を担当する内務省に集中され、
権力の番人(「権力の走狗」)としての警察が成立した。
このことが後代に影響し、戦前の特別高等警察(政治警察)に至る民衆の弾圧機関になってしまった。
また、司法卿・江藤のもとで、窮地と失脚の淵にたたされた「山城屋和助事件・三谷三九郎事件の山県有朋・・
汚職・不祥事を続出させていた長州藩は・・・罪責をうやむやに」された。

内務省は、明治7年4月、司法省設定の警察官「番人」呼称の全国強制を撤回し、
司法省の近代警察機構構築に(組み込まれた)近世幕藩体制下の司法・警察である
「非常・民」としての「旧穢多・非人」をも、再び排除した。
明治8年3月、内務省「行政警察規則」制定により、「旧穢多・非人」の近代警察システムへの組込は表向きは
中止されたが、近世幕藩体制下300年間に渡って培われ継承されてきた
「旧穢多・非人」の専門的知識と技術なしでは、近代警察システムを充分運用することができないため、
新政府は極めて「いびつな形」(「半解半縛」)で彼らを近代警察システムの中に組み込んだ。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/06/post_9ff8.html


237 :第4章 太政官布告批判:2009/07/04(土) 19:23:57 ID:08Cr3MnSP
9節 警察と遊女と部落と(続き)

4項その12 川路利良の指摘する「卑弱の傭夫」は旧穢多にあらず
 (旧:近代警察における「番人」概念の変遷 その12)

「日本警察の父」といわれる川路利良は、司法卿・江藤新平の命を受けて、西欧の警察制度の調査に渡欧し、
帰国後、江藤の政敵となった大久保利通に加担、後、内務省下の「大警視」(東京警視庁のトップ)として活躍した。
川路は、帰国後の明治6年10月「警察制度につき建議」を提出し、
司法卿・江藤のもとで設置された「番人制度」を全面的に批判し、「番人制度」の廃止、
即ち「卑弱の傭夫」(「番人」)を廃止し「邏卒」を採用することを提言した。
「番人」とは、東京府下に配置された1200人の、司法省警保寮の監督下にある「番人」のことで、
その大半は近世幕藩体制下で司法・警察に従事していた「穢多・非人」の類(自身番・番太等も含む)ではないかと思われる。

筆者は、ほんとうに、「番人」は「卑弱の傭夫」か疑う。
日本に駐留している外国人兵士が窃盗・殺人等の犯罪を犯しているのを、「番人」が現行犯逮捕して連行しようとしたとき、
その駐屯地から銃剣で装備した外国の軍隊(兵士)が出てきて、犯罪を犯した兵士だけでなく、
それを逮捕しようとした「番人」までその駐屯地に連行された。
その理由は、日本人が外国人に対して危害を与えた場合、多額な賠償金を請求されることを恐れた
明治新政府が、「番人」に剣・銃を持たせず、ただ「棒きれ」を持たせたに過ぎないからであった。

「卑弱の傭夫」とは、不平等条約改正に失敗した大久保や、その官僚の川路利良に他ならなかった。
やがて大久保独裁政権は、切り捨てた「旧穢多・非人」の「非常・民」としての
専門的知識と技術・経験に頼らざるを得ない事態に遭遇することになり、
政敵・江藤の政策のただしかったことを事実として認めざるを得なくなる。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/06/post_a472.html

238 :第4章 太政官布告批判:2009/07/04(土) 19:30:41 ID:08Cr3MnSP
9節 警察と遊女と部落と(続き)

4項 その13 「エタ」(旧警察)と「ネス」(新警察)
 (旧:近代警察における「番人」概念の変遷 その13)

筆者が、「ネス」ということばに遭遇したのは、元徳山藩「北穢多村」の系譜をひく被差別部落の中で開かれていた
部落解放同盟新南陽支部の解放学級参加時であった。
その解放学級で、「部落と警察」、「部落と犯罪」というテーマが取り上げられ、
当時の支部長はこれらのテーマで話をされるとき、「警察」に対する親しみと懐かしさを持って語った。
支部長の話に「エタ」と「ネス」という一対のことばがあり、支部長によると、
「エタ」ということばを投げつけられて差別されたとき、相手に「ネス」ということばを投げかけていたという。

「エタ」は玄人(プロフェッショナル)、「ネス」は素人(アマチュア)の意味であるが、
「エタ」と言われて被差別部落のひとは、その差別語のために傷つくものの、
その応酬として差別する一般のひとに「ネス」と投げ返すとき、一般のひとはそのことばにどれだけ傷つけられるのか、
つゆも傷つけられるということはないのではないか。
この言葉のやりとりは、「差別」対「被差別」の言葉のやりとりではないのではないか。
「エタ」(=近世幕藩体制下の司法・警察である非常民としての穢多で、
明治4年の太政官布告以降非常民の職を解かれたひとのこと、「旧番人」)
「ネス」(=明治4年以降、警察官になった元常民及び元武士の一部、「新番人」)
「やあーい、首になった警察官!」、「素人警察官が何をぬかすか!」
又は、「旧番人!」と揶揄されて、「新番人!」と切り返す、意味ではないか。

筆者がそう考えたとき、当時の支部長が、楽しそうに懐かしそうに、
「部落と警察」、「部落と犯罪」の話をされる「生活の座」(Sitz in Leben)にたどりついたような気がした。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/06/post_cb11.html

239 :第4章 太政官布告批判[:2009/07/05(日) 14:01:31 ID:Lu4jr15OP
9節 警察と遊女と部落と

5項 「旧穢多」の受容と排除 その1(宮本常一のことば)

筆者の『部落学序説』開始後、これといった反論・批判もなく今日にいたる。
その中で、「穢多」という「差別語」を繰り返し使用しているにもかかわらず、「差別発言」であると指摘する者はなかった。
『部落学序説』は、「筆者の差別性を曝しながら、賤民史観を撃つ・・」、筆者の「差別性」を明確に自覚して
執筆するスタイルゆえに、部落差別の差別者・被差別者を問わず、
第三者的(ひとごと・たにんごと・えそらごと的)に関与してきた者にとっては、違和感の多いものになったのであろう。

この10日間、筆者が目を通した書籍の中で、宮本常一著『民俗学の旅』の次のことばが、こころの中に沈んできた。
宮本の父の「・・・あとからゆっくりついていけ、それでも人の見のこしたことは多く、・・」
「・・自分のえらんだ道をしっかり歩いていくことだ。」、宮本の師、渋沢敬三からの
「大事なことは主流にならぬことだ。・・・その見落とされたものの中に大事なものがある。それを見つけてゆくことだ。・・」

「常民の学」としての民俗学を構築してきた宮本と、「非常民の学」としての部落学構築を標榜する筆者との
共通点をあえて抽出すれば、それは宮本の「私は長いあいだ歩き続けてきた。・・・」のことば、
即ち、自分の足で歩き続けることにある。
筆者は、「常民の学」としての宮本が「見失った・・・」、「非常民の学」としての部落学構築の旅を続ける。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/07/post_6991.html


240 :第4章 太政官布告批判[:2009/07/05(日) 23:07:49 ID:Lu4jr15OP
9節 警察と遊女と部落と(続き)

5項 「旧穢多」の受容と排除 その2(川元「部落学」と吉田「部落学」の比較一覧)

川元祥一著『部落学』と、吉田向学著『部落学序説』の「部落学」を比較した。
・・・(比較)36 部落問題のイメージ
川元:まだまだ暗くて重いイメージの中にある
吉田:学校同和教育における「部落民像」は「虚像」。被差別部落の青少年は、「虚像」を捨てて、「実像」に
基づいて生きるべき・・・。「過去」の歴史を直視するもののみ「未来」の歴史を栄光あるものにすることができる。・・・

比較・検証しながら、筆者は、ある仮説を想定した。
それは、「部落民であることは、部落民が何であるかを知ることができる絶対的要因ではない」・・・、
「部落民」であるがゆえに、かえって「部落民」が何であるかという認識に失敗している場合も少なくない。
学力・学歴補償により「大学」へ進学した「被差別部落」出身の青年は、
歴史の真実からほど遠い「賤民史観」を植えつけられ、「被差別部落」のひとは、
近世身分制度の中で最下層の「みじめで、あわれで、気の毒な存在・・・」というイメージを共有することを要求された。

無学歴・無資格の筆者の目からみると、「他者」・「第三者」・「世間」の「部落民」を見るまなざしを受け入れ、
その範囲で、「部落民」であることの負の遺産を克服しようとするいとなみは、極めていびつなものにしか見えない。
川元も、そのようなタイプの存在である。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/07/post_04ae.html


241 :第4章 太政官布告批判[:2009/07/07(火) 06:47:21 ID:VdkasDf3P
9節 警察と遊女と部落と(続き)

5項 「旧穢多」の受容と排除 その3(筆者がであった本当の教育者)

「「旧穢多」の受容と排除 その2」を書いてから約3週間、『部落学序説』の資料整理中、
林竹二著『田中正造の生涯』を読み、政治家・田中正造と教育者・林竹二の思想・生き方に深く打たれた。
もっと早く両者のことを知っていたら、『部落学序説』はより早く完成、その内容も充実できたのに・・、
林のような教育者がいたことに驚きの思いを持ちつつ、そのような教育者に出会わなかったことにさびしさを感じた。

しかし、筆者は、下関書店のMさんのことに気がついた。
それは、筆者が、今の小さな教会に赴任してまもなく、下関書店のMさんという人が尋ねてこられ、
以後、Mさんは、部落差別問題・三里塚問題・天皇制問題について、
読書指導を通じて筆者に対し「学問」の世界に目を開いてくれたからである。
そして、『部落学序説』執筆の基本的な資料が整うまでになり、
筆者の蔵書がある意味充実しているのは、Mさんによる。
筆者は、彼から真正の教育を受けることができた。その期間は8年間・・・。

『部落学序説』の方法論は、山口の地で、いろいろな人との出会いの中で構築されてきたものである。
筆者は、山口の地に「同化」することはできないが、山口の歴史と文化の本質を「被写体」として見続け、
記録していきたい。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/07/post_f443.html


242 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/07(火) 13:32:22 ID:GDn+TtDBO
部落という日本語を特殊部落専用にするとは何たる横暴だ?

243 :第4章 太政官布告批判[:2009/07/08(水) 05:19:36 ID:dpJrmMVa0
9節 警察と遊女と部落と(続き)

5項 「旧穢多」の受容と排除 その4(図解)

「図1」「賤民史観」、部落研究・部落問題研究・部落史研究の一般説で、『部落学序説』の批判の対象である。
「図2」『部落学序説』は、近世幕藩体制下の身分制度は、「武士」(士・穢多・非人)身分と
「百姓」(農・工・商)身分から構成され、「穢多・非人」は、「武士」身分階層の末端に位置づけられた人々である。
「図3」は、維新後の明治4年廃藩置県までである。
「図4」は、廃藩置県後の、近世幕藩体制下の身分制度廃止と近代中央集権国家・明治天皇制下の
身分制度変遷、近世幕藩体制下の「非常・民」(藩士・士雇・穢多・非人・庄屋・名主)と
「常・民」(百姓・町人・その他)が、どのように近代的身分に組み換えられていったかを示す。
「図5」「明治6年政変」前のいわゆる「留守政府」は、、幕藩体制下の司法・警察である
「非常・民」(士雇・穢多・非人・庄屋・名主)を近代警察の中に再度取り込もうとしたが、
世襲制度を廃棄し「新非常民」(近代警察)になるためには採用試験合格が必要となった。
また、「新非常民」(軍人)になることができない人、女性・こども・障害者・病人・・・などは、
「新常民」として差別の対象に貶められていった。
「図6」は、「明治6年政変」後の「大久保利通の明治政府」では、「新平民」が「新非常民(警察)」になる道が急速に狭まれ、
「新非常民(警察)」から排除されることになった「旧非常民(穢多・非人)」も、女性・こども・障害者・病人などと同じく、
「差別的なまなざし」がむけられるようになった。

明治4年から昭和20年の敗戦まで、戦前の日本社会は、「非常・民」(軍人)としての生き方が尊ばれ、
「常民」としての生き方が「女々しい」として軽んじられた世界である。
敗戦後、「非常・民」(軍人)であることを強制されることがなくなった社会は、
近世幕藩体制下の日本の社会に酷似している。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/07/post_00cb.html



244 :第4章 太政官布告批判[:2009/07/09(木) 06:49:44 ID:QS3KyY3LP
9節 警察と遊女と部落と(続き)

5項「旧穢多」の受容と排除 その5

近世幕藩体制下の司法・警察である「非常・民」としてその職務にあたってきた「穢多非人等」は、
明治維新以降もその職務に従事していた。
これに関し、大日向純夫は、『日本近代警察の確立過程とその思想』
(岩波近代思想大系『官僚制・警察』の末尾添付論文)において、
明治4年の「廃藩置県」・「穢多非人等ノ称廃止」両太政官布告以降における
旧「穢多非人等」の受容と排除の両側面について言及している。

大日向は、旧「穢多非人等」の受容面について、次の「具体例を列挙」する。
【浦和県】「非常・民」としての「番非人」の旧「名称」は廃止しても、「非常・民」としての職務は継続。
【山梨県】「元非人」に対して、「非人」の呼称を廃止して、かわりに「番人と称して従来通りの役目を負わせる」。
【鳥取県】明治4年10月「鉢屋・非人の称を廃止」し、制度・組織そのものを解体する措置をとったと思われるが、
「穢多非人等」を「平民」同等とした上で、「新平民」のみを「捕手」という名目の下に新制度に組み込んだ。
【三重県】明治5年8月、「従来の番人ないし非人番からなる捕亡手先200人余りを管内各村に配置」。
「穢多非人ノ称」を廃止し、「捕亡手先」として「非常・民」を再配置した。

大日向がとりあげる、東日本、西日本各2例の具体例は代表的なものに過ぎず、明治4年の両太政官布告以降、
東日本においても西日本においても、旧「穢多非人等」の処遇には大きな変化はない。
「穢多非人等」の「非常・民」は、キリシタン禁教政策の宗教警察であったため、
北海道から沖縄まで、その本質において大きな違いがなかったものと思われる。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/07/post_6edc.html


245 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/09(木) 20:15:44 ID:+VxfH07uO
田布施

246 :第4章 太政官布告批判[:2009/07/10(金) 19:58:56 ID:IxbBe1zAP
9節 警察と遊女と部落と(続き)

5項 「旧穢多」の受容と排除 その6

大日向は、明治4年の両太政官布告以降における「旧穢多非人等」の「排除」の例として、
西日本の「兵庫県」・「鳥取県」・「島根県」をとりあげる。

【鳥取県】鳥取県においても、近世幕藩体制下では「鉢屋」が近世警察の一翼を担っていたが、
大日方は、明治5年、「鳥取県では、『捕亡取締』の設置を発表した際、往々『不正ノ弊』があるとして、
従来の鉢屋(被差別身分)を一切廃止した」という。
【島根県】明治5年8月、「士族からなる24人の邏卒を編成して松江市街を巡邏させることとしたが、
その際、各区レベルでは旧鉢屋が「取締下勤」などの名目で使用されていた」。
【兵庫県】「兵庫県」の「穢多非人等」は、近世幕藩体制下の「旧弊」・「弊風」を忘れることができず、
町や村の「祝儀」・「不祝儀」に際して「米銭」を要求したり、「祭礼」に際して「店から品物または金銭を取り上げたりする」
ので「不都合」であるとの理由で「非人番の廃止」が決定された。

明治4年の両太政官布告以降における「旧穢多非人等」の「受容」と「排除」は、
「兵庫県」の例をみても、近世幕藩体制下の司法・警察であった「非常・民」としての
「旧穢多」(包括概念としての「穢多」)に対する「差別」ではない。
「旧穢多」が既得権としての「旧弊」・「弊風」にこだわり、近代警察官たりえなかったこと、
即ち、「旧穢多」の近代警察システムへの「不適合」により、
近代中央集権国家の警察システムから「旧穢多」が「排除」されていったとするのが妥当な解釈である。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/07/post_7069.html

247 :第4章 太政官布告批判[:2009/07/11(土) 14:33:15 ID:7nrXYsdrP
9節 警察と遊女と部落と(続き)

5項 「旧穢多」の受容と排除 その7(明治4年廃藩置県以前の山口県警察)

まず、「図1:長州藩の穢多非人の配置場所」は、近世幕藩体制下の長州藩組織図である、
「藩」の下に「宰判」(他藩の「郡」)があり、その下に「村」がある。
近世幕藩体制下の司法・警察である「非常・民」としての「穢多非人等」(穢多・茶筅・宮番)は、
ほとんどが「宰判」(「郡」代官所・御茶屋)の支配下にあり、宰判廻りの「穢多」(狭義の穢多)と
村廻りの「穢多」(茶筅・宮番)がいる。

図2は、廃藩置県前の明治4年3月の山口藩布告「御管内取締心得」「末文」から『山口県警察史』執筆者が
推測したことを、筆者が図式化したものである。
明治元年から明治4年の廃藩置県までの、山口藩庁・山口県庁の司法・警察の下部組織
(『部落学序説』の筆者は「警察本体」という)として、「打廻り」・「村方役人」とともに、
近代警察官として、「目明し」・「手先」(穢多・茶筅等)・「宮番」が組み込まれていた。

当時の警察業務を遂行していた「警察本体」は、宰判と村に配置された、
「内廻り」・「村方役人」・「目明し」・「手先」(穢多・茶筅等)・「宮番」であった。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/07/post_dda8.html

248 :第4章 太政官布告批判[:2009/07/12(日) 05:21:56 ID:ij/9j7wfP
9節 警察と遊女と部落と(続き)

5項 「旧穢多」の受容と排除 その8(明治4年廃藩置県後の山口県警察)

明治4年「穢多非人等ノ称廃止」太政官布告後も、近世幕藩体制下の司法・警察である「非常・民」としての
「穢多・非人・長吏・茶筅」・「村方役人・宮番」は、司法・警察の専門的知識と技術を要する職務に携わり続けた。

山口県は、明治9年10月「右ハ自今相廃シ候ニ付、、其旨当人ヘ申渡シ・・・。」通達により、
旧「穢多・非人・長吏・茶筅」を(制度上)廃止通告したが、完全な旧「穢多・非人・長吏・茶筅」の排除ではなく、
例外規定が付与されていた。
『山口県警察史』によると、「旧穢多」の近代警察システムへの「受容」・「吸収」が完了し、
その他の「旧穢多」の「排除」が確定されるのは、明治30年代前半になる。
図3は、江藤新平が初代司法卿に就任した直後の、明治5年5月頃の山口県警察を図式化したものである。
『山口県警察史』には、「聴訟課の捕亡掛のもとに打廻り・目明・手先を置いたほか、
地方村落には村役人や目明・手先・宮番(番太)の下部組織があって、
ほとんど藩政時代の制度がそのまま踏襲されてきたようである」とされる。

このことは、山口県の廃藩置県前後の司法・警察システムに大きな変更はなかったということを示唆する。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/07/post_f559.html


249 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/12(日) 10:26:08 ID:harjuua9O
自分の意見を書けや

250 :第4章 太政官布告批判[:2009/07/15(水) 06:27:02 ID:ELGU+c/wP
9節 警察と遊女と部落と(続き)

5項 「旧穢多」の受容と排除 その9(明治4年「解放令」再検証)

明治4年廃藩置県・「穢多非人等ノ称廃止」太政官布告により旧「穢多非人等」は
、他の「武士」身分・「百姓」身分同様、「身分」・「職業」の「世襲制」から解放された。
しかし、「穢多非人等」は、「平民」とされたあとも近代中央集権国家の司法・警察である「非常・民」として、
その職務を継承させられ、職務遂行にあたっていた。

明治4年「穢多非人等ノ称廃止」太政官布告以後、旧「穢多非人等」の末裔は、「常民」化され、
「非常・民」であることを強制されなくなった。(図4の上から下へ)
それなのに、なぜ、司法・警察職務従事者本人だけでなく、その伴侶・祖父母・こども・孫まで
旧「穢多非人」として排除されるようになっていったのか・・・。
筆者は、明治政府が、実施している施策の本当の意味を民衆に知らせなかったこと、
「よらしむべくしてしらしむべからず」を民衆支配の道具として無制限に拡大したのが原因であると考える。

明治の近代警察は、近世幕藩体制下の司法・警察である「非常・民」としての「穢多・非人」を
受容・吸収・同化の後、同化されなかった旧「穢多非人等」の末裔に「特殊部落民」という概念を適用する。
「特殊部落」という言葉は、最初から、国家によって見捨てられた「棄民」を意味し、
「特殊部落民」は近代警察が作り出した警察用語(それゆえ行政用語)である。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/08/post_c976.html

251 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/15(水) 23:20:00 ID:F3u8o5dIO
いらんわ

252 :第4章 太政官布告批判[:2009/07/16(木) 03:25:06 ID:H8AV2FFpP
9節 警察と遊女と部落と(続き)

5項 「旧穢多」の受容と排除 その10
(山口県における近代警察と「旧穢多」との関係にこだわる理由)

明治4年太政官布告が、「被差別部落」の人々に重大な影響を与えていればいるほど、
そのできごとは、何らかの形で語り伝えられていっているのではないか・・・。
「江戸時代300年間に渡って差別されてきました・・・」という日本歴史学に内在する差別思想である
「賤民史観」とは別な伝承が、現実に、存在しているのではないか・・・。

筆者は、「差別とは、そのひとの本当の歴史を奪い、
代わりに、みじめであわれで気の毒な他の歴史を押しつけることである・・・」と思う。

『部落学序説』第4章で、一生をかけて部落解放運動に従事してこられた
「被差別部落」の人々のこころのなかにさへ存在している沈黙と闇の世界(「賤民史観」)に光をさしこみ、
歴史の本当の事実・真実を明らかにしようと試みてきた。
隠されてきたことを明るみに出すこと・・・、「偽りのリアリティ(false reality)」・「共同幻想」を解体すること・・・、
その作業を続けていく。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/08/post_d54e.html

253 :第4章 太政官布告批判:2009/07/17(金) 17:28:17 ID:sGPkCk7cP
9節 警察と遊女と部落と(続き)

5項 「旧穢多」の受容と排除 その11(明治期山口県警察と「旧穢多」)

明治8年11月、山口県でも「邏卒」は「巡査」に改められ「1等巡査1名、2等巡査6名、
3等巡査8名、4等巡査31名の計46名であった」が、
「山口県では・・・引き続き『目明』『手先』を県の雇として採用し、…かっての職能を生かしていた。
このほか番人・宮番など・・認められていた。」(『山口県警察史』)。
「目明」は、山口県の部落史研究では「被差別民」に数えられ、「手先」は「穢多・茶筅・宮番」をさす。

明治9年10月新政府は、「行政警察規則の施行以来次第に警察組織が充実してきたのと、
ともすれば権力をかさに不法行為を働く手先などの弊害を除くための措置」として、
「従前定員目明ノ外・・・」、つまり、旧「穢多・茶筅・宮番」を廃止した。
「権力をかさに不法行為を働く手先・・・」の「不法行為」の主な要因は、山口県では、「目明手先」を
「日別米 五合宛」で再雇傭したことにあり、基本給の少なさを、「目明手先」が警察職務遂行上に入手する課金
(例えば、賭博摘発の没収金・若い女性の堕胎摘発による罰金等)で補おうとしたからである。

しかし、山口県においては、政府の指導にもかかわらず、実際は、「地方の治安維持機能が低下することをおそれて、
…制度は残され」、…目明・手先は「探偵」「探偵下使雇」と改称、山口県「警保課」・「各警察出張所」に
再配置され、明治10年8月、この「探偵」「探偵下使雇」は「巡査心得」と改めらた。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/08/post_811d.html

254 :253:2009/07/17(金) 18:28:14 ID:sGPkCk7cP
訂正
○明治9年10月新政府の指導により山口県は、
×明治9年10月新政府は、


255 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/17(金) 18:31:51 ID:PeWP475FO
いらん

256 :第4章 太政官布告批判:2009/07/17(金) 19:42:43 ID:sGPkCk7cP
9節 警察と遊女と部落と(続き)

5項 「旧穢多」の受容と排除 その12(続・明治期山口県警察と「旧穢多」)

明治10年8月、「巡査心得」と改称された旧「目明・手先」は、
翌11年、「巡査心得」の前の「探偵雇」・「探偵下使雇」の名称に戻され、
山口県から「現在の警察手帳にあたる身分証明書である」「印鑑」が交付された(『山口県警察史』)。

その後、「治罪法の制定」により、「捜査上の権限が巡査にあたえられる」ようになり、
「山口県ではこれに対応するため『探偵専務巡査』を置くこととし、探偵雇を改めて巡査に採用」、
明治14年8月、山口県は、23名の「探偵専務巡査」を各部署に配置し、「探偵下使雇」は「全面的に廃止」された。
翌15年3月、改正「警察署職制」において、「巡査」は「署長及ビ警部・警部捕ノ指揮ヲ受ケ、
内勤・外勤及ビ探偵ノ事務ニ従事ス」と定められ、「探偵専務が制度化」され、
近世幕藩体制下の司法・警察の流れをくむ「探偵雇」は、近代山口県警察の正規の警察官として吸収・同化され、
明治24年当時、「旧穢多」は、探索・捕縛・糾弾に関する「特殊技能を持った適任者」として存在し、
明治30年、彼らは、「刑事巡査」として、近代警察システムの中核に組み込まれ、
「それから70年後の今日においても、刑事掛の警察官の一般に「刑事」の代名詞で呼んでおり、
このとき創設された名称が現在まで生き続けている・・」。

「私服刑事」は、近世幕藩体制下の「穢多」の正統な継承者であると確信でき、
旧「穢多」の伝統と歴史は現在の警察官の中に受け継がれている。
近世幕藩体制下の司法・警察に従事した「穢多・非人等」の「非常民」は、
その職務である探偵・捕縛・糾弾の知識と技術、経験が評価された場合は、
明治4年廃藩置県・「穢多非人等ノ称廃止」太政官布告以降も、近代中央集権国家の警察システムの中に、
同じ職務を担って生きていくことになった。時代の波に乗ることができず、
近世幕藩体制下の「非常民」の負の部分を受け継いだ旧「穢多」は、その職務から追われた。
それは、「部落学」の祖・川本祥一が指摘している「差別」が原因ではない。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/08/post_56ae.html

257 :第4章 太政官布告批判:2009/07/18(土) 12:47:43 ID:jdrU6gvsP
9節 警察と遊女と部落と(続き)

6項 賤民史観と「解放令」 その1(歴史観に関する一考察)

『部落学序説』においては、部落差別の完全解消を目的として「賤民史観」という「歴史観」を批判している。

この「賤民史観」の担い手である学者・研究者・教育者・政治家・運動家にとっては、
「歴史の過去的制約からのがれ、それを未来への可能性へと転換し、
現在における『歴史的現実』を意味あるものにする・・・」という動機により、
「賤民史観」を「指導原理」にしたものと思われる。
しかし、筆者は、「賤民史観」の担い手の「動機」がいかにあれ、その「過去を認識し、洞察する」ための
批判検証方法に重大な欠陥を内在させていたと考える。

日本の歴史学に内在する差別思想である「賤民史観」は、古代・中世・近世・近代に渡って、
社会の治安維持に従事してきた「非常・民」の正統な評価を破棄し、近代歴史学者の「造語」である
「賤民」概念を適用し、日本の歴史の中に登場するさまざまなひとを「賤民」として解釈しなおし、貶めていく。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/08/post_5930.html

258 :第4章 太政官布告批判:2009/07/19(日) 22:31:21 ID:JWrm8y5NP
9節 警察と遊女と部落と(続き)

6項 賤民史観と「解放令」 その2(「賤民史観」について)

『部落学序説』の読者の批判を通じ、筆者の説、即ち、「賤民史観」の確立時期を明治中期に設定、
明治・大正・昭和・平成の部落史研究すべてに「賤民史観」が通底という説は、
筆者固有の可能性がある・・ということ、が分かった。

筆者の説の由来は、1983年出版の鹿野政直著『近代日本の民間学』(岩波新書)中の「常民史観」
(民俗学者・柳田国男の「史観」)ということばの使用に始まる。
また、鹿野が同書中「民間学の諸相」で触れた喜田貞吉は、「被差別部落」の問題を
「被差別部落」固有の問題としてではなく、「賤民」という「被差別層全体の中におい」て考察したという。
柳田のそれが「常民史観」と呼べるなら、喜田のそれは「賤民史観」と呼べるに違いない・・、
以降、「被差別部落」についての一般的・通俗的「史観」を「賤民史観」と呼ぶようになった。
筆者からみると、喜田に端を発する「賤民史観」は、戦後の「賤民史・部落史研究」、
沖浦和光(おきうらかずてる、桃山学院大学名誉教授)著『「部落史」論争を読み解く』において、
充分研究し尽くされ、展開されてきた。
沖浦は、「部落史研究」と表現すべきところで、いつも、「賤民史・部落史研究」という表現を用い、
部落史を部落史単独で研究するのではなく、「賤民」という大きな枠組みで部落史研究を遂行している。

筆者は、近世幕藩体制下の司法・警察である「旧穢多非人」を「賤民」概念、「賤民」世界に置いて
考察するのではなく、『部落学序説』でいう、「非常・民」概念、「非常・民」世界に置いて考察するとき、
部落差別完全解消への道が開かれるのではないかと考え、「賤民史観」の権化の沖浦を批判する。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/08/post_ed9b.html

259 :第4章 太政官布告批判:2009/07/20(月) 18:43:08 ID:kAPKPLtxP
9節 警察と遊女と部落と(続き)

6項 賤民史観と「解放令」 その3(民俗学の中の「賤民史観」)

日本の民俗学は、「歴史学」、「社会学・地理学」、「宗教学」の学際的研究として創設された。
民俗学は、「歴史学」を必須の基礎科目とするため、「賤民史観」からの要請・影響にさらされ、
「民俗学」にも「賤民史観」が暗黙の前提として内在するようになった。
「民俗学」の中に「賤民史観」を描いた礫川全次は、柳田民俗学への批判から「常民」以外の民俗に関心を持つた
民俗学者8名の中に「赤松啓介」をとりあげている。

赤松は、その著書『差別の民俗学』(ちくま学芸文庫)で、「部落差別」と「売春」、
「穢多・非人」と「遊女・芸妓」を積極的に比較し、両者の属性を混同・融合して、「賤民史観」をより強固に形成する。
赤松の「賤民史観」が、同世代の他の民俗学者より先鋭化するのは、唯物史観・階級史観の無批判的受容と、
ある種の権威と化した柳田民俗学を含む「一般の民俗学」に対する激しい敵意と憎しみがある。
赤松は、柳田民俗学がいう「常民」に属する社会層のなかの、最低辺に位置づけられた「常民」を抽出し、
その他の「常民」との間に「画線」をひき、(最低辺)のかれらを「非常民」概念で把握しなす
(赤松民俗学の常民・非常民概念と『部落学序説』の常民・非常民概念はまったく異質である)。

赤松の、「常民」・「非常民」理解は、唯物史観・階級史観・発達史観によって構築されてきた
「賤民史観」の民俗学的焼き直しに過ぎない。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/08/post_aea0.html

260 :259:2009/07/20(月) 18:48:49 ID:kAPKPLtxP
訂正
○(最低辺)のかれらを「非常民」概念で把握しなおす
×(最低辺)のかれらを「非常民」概念で把握しなす


261 :第4章 太政官布告批判:2009/07/22(水) 06:52:32 ID:vphfLPTXP
9節 警察と遊女と部落と(続き)

6項 賤民史観と「解放令」 その4(既存の部落史研究批判に課せられる「要件」)

沖浦和光は、部落史研究「戦後第1期」を1948年「部落問題研究所」創立から『新版・部落の歴史と解放運動』
が出版された1965年までとし、「賤民史に関する歴史認識の枠組みが設定された・・」という。
第1期を最初から担った5人のうち、井上清(いのうえきよし、京都大学名誉教授、日本史専攻)の研究テーマ
の根底に流れるのは「天皇制国家のもとでの賤民差別の歴史を、通史的に描き出す・・・」という基本方針であり、
これは戦前の部落史研究の踏襲を前提とした「賤民史観」による部落史研究以外のなにものでもなかった。
井上は、部落史研究・部落解放理論の構築に際して、構築の動機であり目的である「部落」概念をあいまいにしたまま、
「部落」と「部落民」が直面している「緊急」事態に対処していった。

井上は、部落史研究・部落解放理論において「敵」「味方」の色分けを鮮明にし、「部落の当面する主要な
敵や敵の同盟者は何者であるか、それにたいする部落自身の味方はどんなものであり、
その味方と部落民はどんなふうに結合するか・・・」という「部落解放の根本」戦略を明らかにするために、
「部落史の現在の緊急の大きな課題」としての4点をとりあげた。
さらに、井上は、すくなくとも、既存の研究に対する批判は、「部落という日本の具体的な差別起源・・・性格」
(部落史研究上の革新)を明らかにし、「(部落)を解放する具体的な戦略戦術」(部落解放理論上の革新)
を提示する必要があるとした。

筆者は、『部落学序説』において、戦前・戦後を通じて、「被差別部落」のひとびとを差別につなぎ止めることになった、
日本の歴史学に内在する差別思想である「賤民史観」を批判するために、井上清の、
「部落という日本の具体的な差別起源・・・性格」を明らかにし、
「(部落)を解放する具体的な戦略戦術」を提示する必要があるとの指摘を念頭におかざるをえなかった。
そして、時間と労力をかけて、「常民・非常民論」や「新けがれ論」を構築してきた。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/08/post_695d.html

262 :第4章 太政官布告批判:2009/07/26(日) 07:56:50 ID:0AD5L7W+P
節 警察と遊女と部落と(続き)

6項 賤民史観と「解放令」 その5(「賤民史観」の変遷)

賤民」概念は、日本の歴史学が古代・中世・近世・近代・現代を通じ、「民衆」の一部を通史的に
把握するために作り出した学術用語で、歴史研究の基本用語として、批判検証の対象になることはなかった。

明治初期の「部落史」に関する文献には「賤民」概念は使用されていない。
佐野学・喜田貞吉等による、「特殊部落民」の起源に関する研究は、当時の知識階級・中産階級が作り出した、
差別的な歴史観・「賤民史観」という推測・妄想であった。
佐野学著「特殊部落民解放論」の背後にあるのは「人種起源説」で
「賤業を強いられるものは被制服者たる奴隷群の子孫や浮浪民であった<であろう>・・・」と推測する。
戦後の「賤民史観」の担い手である井上清は、『部落の歴史と解放理論』で、被差別部落の歴史の発端において、
「賤民」は「賤民」として存在したとし、「賤民」が本源的「賤民」・「先天的賤民」であることを強調し、
「最初に『賤民』があり、ついで『賤業』ができ、両者が不可分に結びついて・・・その特定職業にしたがう
特定身分の人間集団の居住する特定地域、いわゆる特殊部落が成立」するという。
沖浦和光の研究は、この「賤民史観」の忠実な継承である。
沖浦は、「賤民」概念を「関係概念」としてではなく「本質概念」・「実体概念」として使用する。
『部落学序説』で論述しているように、「賤」という言葉は身分上の上下関係を示す「関係概念」であって「本質概念」ではない。

明治期に、歴史学の世界に、学術用語として登場してきた「賤民」概念は、当初の中立的概念から、
徐々に差別的色彩に染め抜かれ、現代においては、沖浦をはじめとする多くの部落史の学者・・・にみられるような、
本質概念・実体概念としての「賤民」の歴史と文化の研究が継続されている。
現代の部落史研究は、部落差別完全解消ではなく、部落差別拡大再生産の途上にあると断言しても間違いではない。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/08/post_6391.html


263 :第4章 太政官布告批判:2009/07/28(火) 02:09:35 ID:3Wj3frWfP
9節 警察と遊女と部落と(続き)

6項 賤民史観と「解放令」 その6(「解放令」をめぐる南梅吉の論理)

水平社の初代中央執行委員長・南梅吉は、雑誌『水平』(第1巻第1号、1922年)の冒頭に
《改善事業より解放運動》を掲載した。

この中で、南は、「明治4年太政官布令により穢多の称を廃せられ、形式上所謂平民に列せられた・・・」が、
「穢多」の称は、新平民」・「少数同胞」・「後進部落」・「特種部落」という名前を変えて継続させられ、
明治4年太政官布令以降も「久しきに亘る迫害と侮蔑」に曝されているという。

次に、南は、明治4年太政官布令を「解放令」という表現は、「吾々の社会群の在らざるかの如く・・・」
間違った教説、「解放令がだされたのだから、もう、近世幕藩体制下の穢多身分はいない・・・」という「眩惑」を
「旧穢多」の末裔に与えるようになったという。
さらに、南は、「被差別部落」の人々が、集団「催眠」(その出自が「賤民」で、その歴史が「賤民史観」であること)の
受容により代償として提供される「改善事業」(融和事業・同和事業)(の受取)を拒否
(南梅吉は正当な事業まで否定していない)した上、なによりもまず、「被差別部落」の人々の、
とりわけ青少年たちの差別による「精神的苦痛」をとりのぞく「解放運動」の継続を訴えた。
南は、「被差別部落」のひとびとが自らの歴史をひもとき、みずからの歴史を構築することは、「正(義)と善の実行である」とした。

ブログ『すばらしき新世界』「吉田向学「部落学序説」を読む 3」は、
「「部落学序説」は・・二次資料を比較検討した研究論説で・・研究対象となった地域も西日本の一部であり、
部落問題に関する普遍的研究とは言いがたい・・多くの研究者によって一次資料に基づく
科学的検証がなされることを期待してやまない」という。
しかし、筆者は、「多くの当事者(部落民)によって一次資料に基づく科学的検証がなされることを期待」すると
言い換えざるを得ない。「被差別部落」の人々は、特に、「旧穢多」の歴史の継承者として、「賤民史観」を克服し、
それに変わる「史観」をみずからの手で構築していくべきと考える。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/08/post_2670.html

264 :第4章 太政官布告批判:2009/07/28(火) 02:27:40 ID:3Wj3frWfP
9節 警察と遊女と部落と(続き)

6項 賤民史観と「解放令」 その7(「唯物史観」と「皇国史観」の共通属性としての「賤民史観」)

筆者は、最初から、日本の歴史学に内在する差別思想「賤民史観」を批判検証の対象にし、
「唯物史観」と「皇国史観」の共通属性として「賤民史観」をとりあげてきたが、「唯物史観」と「皇国史観」を自明の理として、何ら明確な定義をすることはなかった。

それが、本第6項の執筆をはじめて、「唯物史観」と「皇国史観」の「差異」を明らかにする必要が生じた。
戦前・戦後の部落史研究の主流は、「唯物史観」の影響を受け、どの論文・研究書をひもといても
なんらかの情報を入手することができる。
しかし、「皇国史観」についての論文・資料をほとんど持ち合わせていない。
『広辞苑』を調べても、「皇国史観」は収録されていない。
平凡社『世界大百科事典』(1972年版)の索引にも、「皇国史観」という項目はない。
「皇国史観」は、戦後、タブー視され、そして戦後60年経過した今日も、そのタブー視は継続されている。

筆者の次の手は、手元にある資料・論文に目を通して、「皇国史観」の断片的情報を収集し、
それを、筆者なりに再構成する以外に方法はない。
「皇国史観」を明らかにすることによって、「科学的」(学問的)歴史観といわれる「唯物史観」と、
「非科学的」歴史観といわれる「皇国史観」の、明治4年の太政官布告を解釈するときの「同質性」
(「賤民史観」)を明らかにしていきたい。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/08/post_3f05.html

265 :第4章 太政官布告批判:2009/07/28(火) 02:57:31 ID:3Wj3frWfP
9節 警察と遊女と部落と(続き)

6項 賤民史観と「解放令」 その7(続・「唯物史観」と「皇国史観」の共通属性としての「賤民史観」)

明治維新から敗戦までの「国家によって公認された歴史観」である「皇国史観」の文字通りの解釈は、
「天皇が統治する国」の「歴史観」である、
この「皇国史観」の視点・視角・視座からは、中世・近世において、「自然発生的に形成された」
(尾藤正英著『江戸時代とはなにか』)700年間に及ぶ「武家政治」は「変則的な政治形態」で、
「武士による政治権力の私的な占取」、「天皇を君主とする日本の国家のありかた(国体)に反する」ものとみなされる。

「皇国史観」は、明治維新を、「天皇」による、国家と人民に対する「変則的な政治形態」である
「武家政治」からの解放・奪回のいとなみとする。
明治維新において、天皇は、近世幕藩体制下の苦しみからの人民(士・農工商)からの解放者として表現される。
尾藤は、「皇国史観」は、「明治維新の後に成立した国家体制を正当化しようとする立場から唱えられた、
一種の政治的な主張であって、歴史の客観的な認識に反するものであることは、改めていうまでもない。」とし、
「このような歴史観が、とくに学校教育の場などで、ある種の強制力をもって通用していた」という。
尾藤は、「不敬罪などによって制約されていた戦前の時代に、この問題(皇国史観)についての研究の自由がなかった
ことは改めていうまでもない」が、「そのタブーが解けた戦後になってからも」、同じ状況が続いたことを示唆する。

尾藤の著から「皇国史観」とはなにか・・・何らかの解答を得たうえで、「皇国史観」から見た、
「明治4年の太政官布告」の姿を、現代の部落史研究者の論文を分析することで批判検証していく。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/08/post_bce8.html

266 :第4章 太政官布告批判:2009/08/03(月) 06:38:52 ID:8KPQ4G4+P
9節 警察と遊女と部落と(続き)

6項 賤民史観と「解放令」 その7
(続々・「唯物史観」と「皇国史観」の共通属性としての「賤民史観」)

『江戸時代とはなにか 日本史上の近世と近代』の著者・尾藤正英は、「皇国史観」について、
「『万世一系』の天皇を君主とする日本の『国体』が、古代以来不変であった」という歴史観とし、
「当時の国家権力の側での用語」としての「国体」を、反権力の側は「天皇制」という用語で呼んだという。

この「天皇制」ということばは、戦後、「左翼用語」から「学術用語」として位置づけられ、
日本史の通史叙述に使用され、「近代天皇制」(「狭義の「天皇制」」)という時代的制約を越えて、
古代・中世・近世、そして現代へと普遍化されて使用されるようになった(「広義の「天皇制」」)。
「皇国史観」に関する研究は、元「左翼用語」を用いて遂行され、「皇国史観」に関する言及・研究が、
元「左翼用語」で染色され、「国体」・「天皇制」の両概念の属性が相互に交差、混同が生じ、
「皇国史観」と「唯物史観」の<混合>・<融合>・<複雑化>をもたらしたと考える。

『いま、部落史がおもしろい』の著者・渡辺俊雄は、「唯物史観」と「皇国史観」を、
研究者としての彼の人格の中で統合・一体化して、その論を立てている。
渡辺は、「近代の天皇制はたんに政治制度としてだけではなく、社会や思想の面など、
私たちの生活の隅ずみにまで浸透しているのであり、そうした問題として考えなければ
天皇制と部落問題の関係は見えてこない・・・。」という。
彼の「そうした問題として考えなければ・・・」ということばは、渡辺が、
「唯物史観」と「皇国史観」の<混合>・<融合>・<複雑化>を、主体的に採用したことを示す。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/08/post_3f1e.html

267 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/03(月) 18:06:57 ID:rJMSYTrw0
勉強になりますた

268 :第4章 太政官布告批判:2009/08/04(火) 23:28:47 ID:EUPOen1XP
9節 警察と遊女と部落と(続き)

7項 部落差別はなぜなくならないのか

部落差別解消にむけ、戦前において被差別側から「水平社宣言」が出され、
当事者による「水平運動」が展開され、戦後は同和対策審議会答申を踏まえ33年間15兆円の
同和対策事業・同和教育事業がなされたにもかかわらず、部落差別は、なぜなくならなかったのか。

最近の部落史研究・部落解放運動見直しの足跡を見ると、部落差別の対象を拡大、
「部落差別の拡大再生産」をしていこうとする姿勢が露骨に見られる。
「被差別部落民」という言葉の使用に代えて「被差別市民」(野口理論)という新語をつくり、
あらたな部落解放運動を画策する学者・研究者・教育者・運動家も登場している。
同和対策・同和教育事業の「再現」を望む被差別部落当事者は、少なくない。
また、「唯物史観」に立つ学者・研究者は、「士・農工商・穢多非人」という近世幕藩体制下の
「農工商」を素通り、無視して、「穢多非人」に対する明治政府の処遇(1銭の国家的補助もない)を
人口比6%弱の「士族」への処遇(現在の貨幣価値で5兆円支給)と比較する不合理を行っている。
その傾向は、戦後の同和対策事業・部落解放運動に引き継がれている。

そのような「不合理」に対して、「旧農民」(平民)から出てくる言葉は、
「同和対策事業」は「旧農民」(平民)に対する「逆差別」である・・という当然の批判である。
水平社の初代中央執行委員長・南梅吉は、部落差別は、「物質的の欠乏よりも精神的苦痛がより多く」
原因しているという。
部落差別をなくすために必要なのは、「同和対策事業」(差別に依拠した事業)の継続ではなく、
「部落解放運動」(差別史観からの解放)である。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/08/post_1f36.html



269 :第4章 太政官布告批判:2009/08/06(木) 04:06:00 ID:WAqN5Ci7P
節 警察と遊女と部落と(続き)

8項 部落差別はどうすればなくなるのでしょうか

「賤民史観」と「愚民論」は、日本の知識階級・中産階級である
「歴史」学者・研究者・教育者・政治家・運動家によってつくられ、継承・発展させられてきたが、
これらが日本歴史学に内在する差別思想であることを認め、これらを日本の社会から葬り去ることにより、
部落差別をなくすることができる。

「歴史学者」・「歴史研究者」は、国家権力に対する奉仕の学として、権力の意志を先取り・追従し、
日本の社会の中に「部落差別」という幻想を捏造してきた。
戦後、民主化が進行していくなかで、彼らは、その差別的研究を払拭する機会を逸して、
戦前の「賤民史観」と「愚民論」を新しい装いで踏襲してきた。
戦前・戦後を通じて、「皇国史観」・「唯物史観」のいずれに立っているかに関係なく、
「歴史学者」等は、「賤民史観」的・「愚民論」的部落史研究を遂行し、その研究成果は、
「公教育」という「権力装置」を通し、「教育者」によって「愚民」とみなされる一般民衆・国民に教育・普及させられてきた。
一般民衆・国民は、「部落差別」をする正統(正当?)な理由がないにもかかわらず差別をする側に追いやられ、
「被差別部落」の側も「部落差別」される正統(正当?)な理由がないにもかかわらず差別を受ける側に追いやられてきた。

日本の知識階級・中産階級である歴史学者・歴史研究者が、日本歴史学に内在する
「賤民史観」・「愚民論」を払拭するときにのみ、日本の「権力装置」のひとつである「公教育」において、
教育者が、差別なき、ほんとうの教育実践を達成することができる。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/08/post_d946.html

270 :第4章 太政官布告批判:2009/08/09(日) 14:02:03 ID:X+0281wyP
9節 警察と遊女と部落と(続き)

9項 部落差別完全解消への提言(図解)

「部落差別」は、「国家権力」によってつくられ、この権力を担ったのは「賤民史観」に立脚する学者・研究者・教育者たちである。
彼らは、「旧穢多」の末裔を「賤民」とみなし、「被差別部落」のひとびとを差別の奈落に突き落とした「戦犯」である。
戦後においても、日本の歴史学に内在する差別思想「賤民史観」は、ますます強固に主張されるようになった。

本項に掲載している図は、「賤民史観」を取り除くための方策を図示したものである。
T(黄色の円):近代歴史学が、学術用語として「賤民」概念を導入する以前の歴史上の「穢多・非人」の状態である。
U:Tを核として、近代歴史学によって、「穢多・非人」をあらわす学術用語として「賤民」概念が導入され、
  皇国史観的「賤民史観」構築の基礎作りがなされた状況である。
V:Uの上に、「国内政治・外国交際」の要請から「旧穢多非人」を「特殊部落民」として(殻をかぶせ)、
  政府から「棄民」扱いされた時代の「賤民」概念をしめす。
W:Vの上に、戦後導入された「未解放部落」「被差別部落」「同和地区」概念の殻をかぶせた状態である。
X:Wからさらに、戦前の「賤民史観」(皇国史観・唯物史観)と戦後の「賤民史観」とが渾然一体となって、
  「被差別部落」の人びとを「賤民」的実体として描く、思想的に無節操な融合型の「賤民史観」の状態をしめす。
Y:Xから「賤民史観」を取り除き、部落史の実証的研究を徹底する。(Tに戻った状態)

「賤民史観」は、日本の歴史学に内在する差別思想で、これが「学者・研究者」の世界から取り除かれない限り、
「教育者・運動家」の世界からも差別思想が取り除かれることはなく、「教育者・運動家」から差別思想が除去されない
以上、一般のひとびとも、被差別部落のひとびとも、その差別思想から解放されることはない。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/08/post_d946_1.html

271 :第4章 太政官布告批判:2009/08/10(月) 06:41:39 ID:ZiHYU/lmP
9節 警察と遊女と部落と(続き)

10項 「賤民史観」と遊女 その1 「遊女」に対する筆者の前理解

筆者は、「部落差別」より「女性差別」の方が、本質的に重い差別ではないのか・・と考える。
『部落学序説』が「序説」(プロレゴメナ)である以上、筆者が「遊女」(売春)について、
どのようなイメージ(あるいは偏見・予見)をもっているかを明らかにしたうえで、
《「賤民史観」と遊女》というテーマについて論述を展開する。

「遊女」・・そのことばは、筆者にとって、非常に重いひびきがある。
筆者が高校3年の冬、クリスチャンになり、教会学校の小学校5・6年クラスの助手をしたとき、
5・6年担当の教会員のAさんは、「遊廓に売られ」た過去を告白し、教会学校の教師を辞めようとした。
そのとき、「遊廓に売られる」・・・、それが女性にどんなに精神的苦痛と悲しみをあたえるものであるのかを知った。
また、筆者が、病院で臨床病理検査に従事していたとき、性病患者の入院する部屋には、
昔、遊廓にいた女性とかの、おばあさん2人が入院し、梅毒末期症状に入っていた。
筆者は、おばあさんの体重検査時に、おばあさんを両手で抱えて、体重計にのったが、もうひとりのおばあさんが
「わたしも、あのおばあさんのように、若い男の人に抱っこされて体重を測ってほしい・・・」と言い、
その声を聞いて、寒けが背中を通り過ぎ、その瞬間、自分の差別性に気づいて非常に落ち込んだ。

梅毒末期患者のおばあさんに対して投げかけた、自分の中にある差別的なまなざしが、いつも、ちらついてしまう。
筆者の記憶の中に刺さった刺(とげ)のようなもので、その刺は、抜こうとしても抜くことができない刺である。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/08/post_778e.html

272 :第4章 太政官布告批判:2009/08/14(金) 21:59:49 ID:+LyjRzsgP
9節 警察と遊女と部落と(続き)

10項 「賤民史観」と遊女 その2 差別社会の中の「前理解」

筆者は、所属教団の中にあって、部落差別だけでなく、在日韓国人・朝鮮人、女性、労働者、人種、障害者などの
差別問題を担う「先進的」な牧師・信徒・運動家から筆者の「後進性」を指摘されてきたが、問われ続ける中で、
彼らの思想・言葉の背後の日本歴史学に内在する差別思想「賤民史観」・「愚民論」の存在に疑義の念を抱くようになった。

戦後、日本基督教団で最初に部落民宣言をした牧師で、現在も同教団部落解放センターの実質的指導者である
東岡山 治は、著書『盥の水を箸で廻せ』で、「貧乏と差別の苦しみにつきおとされた農民の心の安らぎは、『えた、非人』
を下におくということです。・・・『えた、非人』をさげすんで、それを徹底的に憎むことによって心の安らぎを覚えた・・」という。
筆者の視点からは、東岡山のことばは、「賤民史観」・「愚民論」の典型である。

近世・近代・現代を通じて、「貧乏百姓」の末裔である筆者は、そんな「なぐさめ」(部落差別)に依拠して生きたことはなく、
筆者の父の倒産により貧乏と病気の悪連鎖の中、家族全員が苦闘していたときも、
そんな「なぐさめ」(部落差別)に依拠したことはいちどもない。
東岡山が、「農民」を侮蔑的・差別的にみるのは、彼自身が被差別部落出身者といっても、ほんとうは
「被差別者」ではなく「差別者」の立場にたっている証拠である。
東岡山が「士族には、今日の金額で、5兆円の補助金を出し、救済の道を開いたのに、
被差別部落には何ひとつ援助しなかった・・・」といって、「農民」の存在を彼の視野の外に追いやるのは、
東岡山が農民に対する癒しがたい差別性をもっていることを物語る。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/08/post_625f.html

273 :第4章 太政官布告批判:2009/08/15(土) 10:49:02 ID:cKQuI6qzP
10項 「賤民史観」と遊女 その2 続・差別社会の中の「前理解」

「遊女」の問題、女性差別の問題は、人間が考え出した差別中、最悪の差別である。

「遊女」になるということは、自己同一概念(自分は何者であり、何をなすべきかという個人の心の中に保持される概念)
の剥奪・破壊以外のなにものでもない。

明治5年10月、明治政府が司法卿・江藤新平のもとで公布した「太政官布告第295号」は、
その条文に、「娼妓・芸妓等年季奉公人一切解放致すべし」とあるところから、
「芸娼妓解放令」または「遊女解放令」といわれる。
これは、明治6年政変により江藤が大久保利通によって排斥され、
「芸娼妓解放令」「遊女解放令」が元の木阿弥にされるまで、明治新政府の近代的、民主主義的な
人間解放・人権宣言とされたものであり、明治4年「穢多非人等ノ称廃止」布告と、むしろ拮抗関係にある布告である。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/08/post_48c1.html

274 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/15(土) 17:13:39 ID:x96tywpq0
良スレあげ
みんなで勉強しよう

275 :第4章 太政官布告批判:2009/08/15(土) 22:07:31 ID:cKQuI6qzP
9節 警察と遊女と部落と(続き)

10項 「賤民史観」と遊女 その3 「遊女解放令」−日本歴史上最初の人権宣言

明治5年太政官布告第第295号、通称「遊女解放令」は、「日本歴史上最初の人権宣言」であること
に気づいたが、これは「水平社宣言」=日本歴史上最初の人権宣言という既存の説を否定するものである。

この「水平社宣言」=日本歴史上最初の人権宣言の説については、井上清著『部落の歴史と解放理論』1969年、
原田伴彦著『被差別部落の歴史』1975年、小森哲郎著『部落問題要論』1989年では、
部落史研究者が「水平社宣言」を「日本歴史上最初の人権宣言」とすることに、ある程度留保しながら、
このことばを使用する。
これに反し、部落解放運動の中では研究者の留保がはぎとられ、「最初の人権宣言」という水平社宣言に対する
評価は、確定的なことがらとして使用されるようになった。
研究成果が、トップダウン式に、「組織」を通じて一般被差別民衆に普遍化されていくとき、
思想的に丸められた形(簡略化)で伝達されていく傾向がある。
部落解放運動の一般的・通俗的担い手・東岡山治は、水平社宣言は、「日本に誇るべき人権宣言」であるといいきる。

水平社宣言は、ほんとうに、「人権宣言」なのか。
上野千鶴子著『ナショナリズムとジェンダー』に紹介のジェンダー史の視点から水平社宣言をみると、
水平社宣言は、近代日本歴史に内在する差別性を内包しているが故に、「人権宣言」といいきることは困難である。


http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/09/post_96bb.html

276 :第4章 太政官布告批判:2009/08/16(日) 10:09:48 ID:KOulo4bsP
9節 警察と遊女と部落と(続き)

10項 「賤民史観」と遊女 その3 続・「遊女解放令」−日本歴史上最初の人権宣言

井上清は、『部落の歴史と解放理論』で「・・西光氏の回想・・西光氏は・・水平社創立オルグ活動のために
・・島原の『すみや』・・遊廓のガス管をなおしたり・・物干台に上ることができるようになった。そこを秘密の仕事場
として・・手帳に宣言文案を書きつけた。・・水平社の宣言は、学者の書斎ではなく・・人身の自由をうばわれた
女たちの物干場で、労働者となったオルグによって書かれた・・」という。

しかし、西光万吉が、「水平社宣言」を「遊廓」の一角に身を置いて執筆したにもかかわらず、
「水平社宣言」では、「<最も>しいたげられ人身の自由をうばわれた女たち」に関する記述は欠落している。
西光によって書き下ろされた「水平社宣言」は、「姉妹」(女性)ではなく、「兄弟」(男性)にのみ向けて語りかけられ、
当時の「屠場の労働者」を念頭においた男性の問題として記述されている。
西光が「女性差別」については無頓着・無関心であったことは、あながち間違いではない。

上野千鶴子は『ナショナリズムとジェンダー』において、社会主義運動の女性たちについて、
「コミュニストの女性たちは『階級闘争』という最優先課題のために、女性としての自己の抑圧を
問題化することを妨げられた。彼女たちは『国家』を超えたかもしれないが、「ジェンダー」を超えなかった。
しかもそれは『男仕立て』の社会主義インターナショナリズムに忠実であったおかげなのである」。
「水平社運動」も、「男仕立て」の部落解放運動に過ぎず、「水平社宣言」は、「人権宣言」としては、
ジェンダー論的に「男性」に偏向したいびつな形態をとっており、
「女性解放」の視点・視角・視座を含んでいないという一点で、真の「人権宣言」とは認めがたい。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/09/post_23df.html

277 :第4章 太政官布告批判:2009/08/16(日) 18:23:54 ID:KOulo4bsP
9節 警察と遊女と部落と(続き)

10項 「賤民史観」と遊女 その3 続々・「遊女解放令」−日本歴史上最初の人権宣言

明治5年10月太政官第布告295号は「娼妓・芸妓などの年季奉公人を一切解放いたすべし」とされ、
明治政府が出した法令中、身分・職業に関し「解放」ということばが用いられたのは、これのみで、
「人身の権利」を失った者に対し「人身の自由」を回復することから、この布告は、まさに「解放令」そのものである。
毛利敏彦は『明治6年政変』において、明治5年太政官布告第295号を
「永年の因習と束縛から弱者の人権を回復すると高らかに宣言した」ととらえ、「人権史上に特筆すべきものであった」
と評価し、また、同布告を具体化するための同年10月司法省布達第22号を「明快な社会的弱者の人権宣言」と評価する。

(明治4年「穢多非人等ノ称廃止」太政官布告に対する)「解放令」ということばの使用は、
水平社運動の前後から、皇国史観に基いてなされたことであり、同布告の明治4年発令時において
同布告は「解放令」とはみなされていなかった。
当時、「穢多非人等」は、「人身の権利」・「人身の自由」を剥奪された存在とは考えられておらず、近世幕藩体制下の
司法・警察である「非常民」としての「穢多非人等」は、人身の権利・自由を監視・制限する側に身を置いていたと思われる。
日本歴史学に内在の差別思想である「賤民史観」の学者・研究者・教育者たちは、やがて、「特殊部落民」の
解釈の中で、人身の権利・自由」を剥奪された遊女(娼妓・芸妓)等の属性をその歴史解釈の中に取り込み、
「穢多非人等」と「遊女」を「賤民」概念でくくる(上位概念として包括する)ことで、両者の属性を混同・融合して解釈するようになった。

「賤民史観」によって、「遊女解放令」にまつわることば(「解放令」)は、やがて、「窃取」
(広辞苑では「ひそかにぬすみ取ること」を意味する)されていく。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/09/post_74f2.html

278 :第4章 太政官布告批判:2009/08/16(日) 19:28:17 ID:KOulo4bsP
9節 警察と遊女と部落と(続き)

10項 「賤民史観」と遊女 その4 「遊女」と「部落民」の間にある深くて暗い溝・・・

明治4年「穢多非人等ノ称廃止」太政官布告と明治5年「芸娼妓解放令」・「遊女解放令」とは、
まったく異質の法令であり、前者が単なる旧制度廃止法令でしかないのに比べ、後者は現代においても
世界的に通用する人権宣言で、今日においても女性解放の先駆として、評価してあまりあるものである。

『被差別部落の歴史』の著者・原田伴彦のような歴史学者・部落史研究者ですら、
「芸娼妓解放令」・「遊女解放令」を正当に評価することはできない。
原田は、明治5年人身売買禁止令は、社会的弱者であった婦人・苦界にあった婦人たちの解放を
めざしたものではなく、外国への面子がからんでいた・・と断定する。
これは、原田の部落史研究には、「女性解放」や「ジェンダー」の視点が一顧だにされていないということの証左である。
部落史研究における「女性解放」・「ジェンダー」の視点過小評価・排除・排斥は、戦前・戦後の部落史研究を
きわめていびつなものにし、部落史研究全体を問題の核心からそらす結果をもたらすことになった。

筆者は、いままで、「被差別部落」出身の女性から、部落研究・部落問題研究・部落史研究の
「ジェンダー」・「ジェンダー史」的見直しがなされてこなかったのは、日本歴史学に内在の差別思想
「賤民史観」にからめとられ、「部落解放令」・「水平社宣言」・その系譜をひく「同和対策審議会答申」を
絶対視し、それに屈従してきたためではないかと推測する。
しかし、「遊女」と「部落民」の間にある深くて暗い溝・・・を見失うことなく、冷静に、客観的に見続けたひとびとに、
女性史・女性解放史・ジェンダー史の学者・研究者・教育者・婦人運動 家(女性運動家)がいる。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/09/post_10ba.html

279 :第4章 太政官布告批判:2009/08/16(日) 21:44:04 ID:KOulo4bsP
9節 警察と遊女と部落と(続き)

10項 「賤民史観」と遊女 その4 続・「遊女」と「部落民」の間にある深くて暗い溝・・・

総合女性史研究会編『日本女性の歴史 性・愛・家族』(角川選書)の一節にこのような記述がある。
「1924年には娼妓数は全国で約5万2000人をかぞえ(遊客数は推定3140万人)・・・・。
娼妓と貸座敷業者には・・・税金が課せられ・・地方税として県財政をうるおした。神奈川県では1888年に
県予算の20パーセント以上を占め、しかも、その一部は警察探偵費にあてられた。・・・
公娼制度とは国家による女性の性的収奪にほかならなかったのである」。

神奈川県をはじめ、日本の近代化が、日本女性の「性的収奪」・「人権収奪」の上に構築され、山口県も例外ではない。
『山口県警察史』には、「『芸妓・娼妓解放令』の出される1カ月前の明治5年9月大蔵省布達第127号によって、
明治政府は、遊女(娼妓)に対する課税と処分を許したのですが、・・・その『賦金』の処分は、・・
主として警察探偵費や検梅費に支出され・・明治21年8月に賦金制度ハ廃止・・・地方税に編入・・・
探偵(犯罪捜査)などの運営費として『警察機密費』が正式に県の一般財源に組み込まれることになった」とある。
山口県警察の「機密費」は、近世幕藩体制下の司法・警察としての「非常民」であった「旧穢多非人等」が、
「外国交際」上の止むを得ぬ措置によって解雇されたあとも、その職務の重要性から、「非公式」に再雇用する必要に迫られ、
その人権費の財源として、「遊女」に対する租税が使用されたことを「明言」する。

近代の部落史の本質は、近世幕藩体制下の司法・警察であった「非常民」としての「旧穢多」が、徐々に
その職務をうばわれ、「常民化」(非警察化・非警察権力化)されていった過程であるが、
不要のものとなった「旧穢多」は、「遊女」(娼妓・芸妓)同様、「臣民」にあらざる「国民」として、
「二流市民」として、・・・「棄民」扱いされるようになった。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/09/post_5f8d.html

280 :第4章 太政官布告批判:2009/08/17(月) 05:50:19 ID:s2p5gEBPP
【第9節】警察と遊女と部落と
【第10項】「賤民史観」と遊女 その5 「遊女解放令」を瓦解させた明治の知識階級

筆者は、、一般的に「遊女解放令」・「芸娼妓解放令」と呼ばれる明治5年太政官布告第395号・
司法省布達第22号について、「日本歴史上最初の人権宣言」と評価してきた。
しかし、明治政府は、諸外国からも高く評価されていた、その「人権宣言」をなぜ撤回することになったのか・・・。
「遊女」(娼妓・芸妓)を、近代身分制度の「外」・「最下層」に押しやり、「人非人」(「人外の人」という意味)と
ラベリングしていった人々を具体的にとりあげる。

筆者が日本基督教団山口東分区の牧師でありながら、その牧師会から離脱していったきっかけは、
戦前・戦後を通じて教団指導者であった賀川豊彦の差別性
(「優性思想」、和製ブーカーティ・ワシントンとしての思想)を指摘したことにあった。
今回、『部落学序説』で、再び、賀川豊彦の差別思想を取り上げる。
賀川豊彦は、1923年に水平社の応援演説に奈良の被差別部落にでかけ、このように綴った。
「・・・あまりに虐げられている部落の人々の為に、私は涙が自ら出てそれ等の方々が過激になるのは
あまりに当然過ぎる程当然だと思ひました。私は水平社の為に祈るのであります。・・・
神様どうか、水平社を導いて下さい。雪の柱、火の柱を持って御導き下さい。アーメン」。

そのような賀川豊彦が、なぜ、被差別部落の人々に対し、差別的な言辞を多数残していったのか・・・。
賀川豊彦のなかの差別性は、賀川豊彦の内面から出てきたものであると集約することはできず、むしろ、
その時代の思想の潮流・「賤民史観」が大きく影響しているのではないか・・・と思った。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/09/post_3f78.html

281 :第4章 太政官布告批判:2009/08/19(水) 05:05:20 ID:fm7cnB96P
9節 警察と遊女と部落と(続き)

10項 「賤民史観」と遊女 その5 続・「遊女解放令」を瓦解させた明治の知識階級

明治5年太政官布告第395号・司法省布達第22号「遊女解放令」・「芸娼妓解放令」は、
日本の歴史上最初の人権宣言とよばれるにふさわしいものであり、
当時の司法卿・江藤新平ひきいる司法省は、「法治主義の番人」(毛利敏彦著『明治六年政変』)を自ら任じ、
「正当な法的手続き」(同書)に基づいて、権力を私物化、権益を追究する「長州汚職閥」の告発・糾弾に力を注いだ。

これに危機を感じた「長州汚職閥」は、薩摩藩・大久保利通をたてて明治6年政変により江藤を追い落として抹殺した。
その結果、「長州汚職閥」の山城屋和助事件(山県有朋)をはじめ井上馨、槙村正直らの「汚職・不祥事」の
「罪責」は不問にされ、それを批判・究明するものに対する言論弾圧が徹底された。
明治5年「遊女解放令」・「芸娼妓解放令」は、江藤・大久保の「政争」の中で、「公」を主張しながら
「私」腹をこやすことで、(大久保・長州閥と)その性質を同じくする「遊廓業者」によって、「まきかえし運動」が展開され、
業者の権益をまもるため、明治5年「遊女解放令」・「芸娼妓解放令」の事実上の破棄宣言「貸座敷渡世規則」が施行され、
その理由は「私娼の弊害」という理由にならない理由であった。

明治政府の私設「広報官」である福沢諭吉は、『学問のすすめ』(8編・明治7年)の中で、
「男も人なり女も人なり。・・・其功能如何にも同様」と宣言したが、『差別の諸相』の注解者・ひろたまさきは、
福沢諭吉の女性論は、「文明的な良妻賢母の要請を求める主張」であり、「娼婦的存在には同情を示さなかった」という。
福沢は、「遊女」(娼妓)は、「最も賤しく、最も見苦し」い存在であるとし、『品行論』において
売春制度に対する自らの主張を明らかにし「我輩は娼妓を廃せんとする者にあらず、却って之を保存せんと願」うという。
筆者からみると、明治政府の中には、江藤のように人権確立に努力したひともいれば、
彼を政争上の「反対勢力」として排除・抹殺した大久保・木戸孝允・井上・福沢のような人物もいたということである。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/09/post_4f75.html

282 :第4章 太政官布告批判:2009/08/20(木) 05:07:21 ID:kJtAIicxP
9節 警察と遊女と部落と(続き)

10項 「賤民史観」と遊女 その5 続々・「遊女解放令」を瓦解させた明治の知識階級

近世幕藩体制下の「遊女」は、多くは「百姓」身分(農・工・商)の末裔であった。
近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」としての「同心・目明かし・穢多・非人」から、
「遊女」(娼妓)をとるということは、権力に対する著しい逸脱と認識され厳罰が課せられ、
「同心・目明かし・穢多・非人」から、「遊女」(娼妓)が出ることはほとんどなかった。

明治維新によって、旧身分制度が撤廃され、その特権を失って、路頭に迷ったのは、中層の「武士」であった。
明治前期、幕府時代における100石から200石取りの小禄「旗本」など中層「武士」階級は、
職業的な知識・技術も持ち合わせず、経済的困窮・破綻に追い込まれ、
その娘たちを「遊廓」に身を沈ませることになった。
彼らが、明治期の中産階級・知識階級に復帰するに従い、その階級に所属する学者・研究者・教育者は、
その歴史を塗り替え、幕末・明治に生きた武士の「実像」を破棄して、「虚像」に生きるようになった。
明治30年代の、知識階級・中産階級である「旧武士」(軍事に関する非常民)の上昇と、
近世幕藩体制下の司法・警察であった「穢多・非人」(警察に関する非常民)の下降とは、軌を一にし、
幕末・明治初期の旧「武士」階級の悲惨と挫折は、すべて、近世幕藩体制下の「武士」支配の
下層に位置づけられていた「穢多・非人」に転化させられていった。
武士を限りなく「美しく」表現し、「穢多・非人」を限りなく貶めていくとき、このような等式が成立した。
           「穢多」=「売春種族」

この等式は、近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」としての「穢多」と、
その取締りの対象であった「遊女」という、まったく正反対の概念を、同等の概念として定義しなおすものであり、
日本歴史学に内在する差別思想の「賤民史観」が、はっきりとその姿をあらわした瞬間である。
筆者は、この等式を立てた思想家・賀川豊彦の差別性を取り上げたことがる。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/09/post_a3ea.html

283 :第4章 太政官布告批判:2009/08/21(金) 18:09:12 ID:oku3bUkxP
9節 警察と遊女と部落と(続き)

10項 「賤民史観」と遊女 その6 「人身の自由」考察に関する今日的意味

『井上清は、「遊女」を「最もしいたげられ人身の自由をうばわれた女たち」と呼ぶ。
「最もしいたげられ・・た」とは、空間的には部落差別・・等の中で「遊女」に対する差別ほど、
ひどい「虐げ」(虐待)はなく、時間的には差別の歴史の中で「遊女」ほど虐げられたひとはなく、
「遊女」が経験した塗炭の苦しみを前にすると、その他の「虐げ」(虐待)・差別は、背後に退かざるを得ない。

日本歴史学に内在の差別思想「賤民史観」は、「遊女」も「部落民」も「賤民」概念で把握するため、
学者・研究者・教育者は、「遊女」が空間的・時間的に経験した塗炭の苦しみを、「部落民」概念にも
「周延(distribution)」させ、「部落民」の被差別経験にも波及させる。
しかし、「最もしいたげられ人身の自由をうばわれた女たち」の痛み・苦しみは、決して
「部落差別」のそれと混同・融合・同化してはならないものである。

また、人身の自由については、上野千鶴子は『ナショナリズムとジェンダー』の最後で、
「・・『わたし』の身体と権利は国家に属さない。そう女は−そして男も−言うことができる。・・」という。
上野の主張は、日本国憲法下では、自然法だけでなく実定法の範疇においても「立論することが可能」
であるが、自由民主党の『新憲法草案』では軍事的・政治的・社会的・文化的差異としての
「非常民」(男・女)と「常民」(男・女)の差異に基づき、「国家」と「非常民」(自衛軍)のために、
圧倒的多数の「常民」が、その戦争に巻き込まれ、さまざまな局面で軍事徴用され、その「犠牲」に供され、
圧倒的多数の「国民」の「人身の自由」が犠牲にされることになる。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/09/post_6941.html

284 :第4章 太政官布告批判:2009/08/21(金) 19:08:01 ID:oku3bUkxP
9節 警察と遊女と部落と(続き)

10項 「賤民史観」と遊女 その7 見よ、しいたげられる者の涙を。

『部落学序説』は、今日現在、原稿用紙2700枚を超える長文の文章であるが、
論理・内容ともに致命的な矛盾は来していないようである。
これには、『部落学序説』を書きはじめてから今日まで、筆者の変わらざる「視線」がある。
筆者が学んだラートブルフ著『法学入門』の中表紙のウラには、次の『旧約聖書』「伝道の書」
(コヘレトの言葉)第4章1節が記されていた。

見よ、しいたげられる者の涙を。
彼らを慰める者はない。
しいたげる者の手には権力がある。

この聖書のことばは、法学者・ラートブルフの、法学者としての視線(まなざし)を語ったものである。
ラートブルフは、地面にひれ伏し泣く「しいたげられる者の涙」をまず見て、そのあと、なぜ、彼らが
しいたげられ涙をながさなければならないのか、涙の意味を知るために、彼らの上に立ちふさがる「しいたげる者」を見よという。
現役の法学者が、その学生に、このようなことばを語りかけることは、決して、ありふれたことではない。
なぜなら、多くの法学者は、この「伝道の書」第4章1節のことばと、まったく逆なことを教え、
また、その学生は、それを学ぶのが常だからである。
「まず、権力を見よ。権力の意志を慮ったのち、その権力によってしいたげられる者を見よ。」と教える。
まず、権力を仰いで、その下で苦しむ「しいたげられる者」を見るとき、その「しいたげられる者」は限りなく「賤しい」民に見える。

今日まで、筆者のかわらざる視線(まなざし)は、ラートブルフが、『旧約聖書』から切り出した
「伝道の書」第4章1節のことばに記された視線(まなざし)である。
筆者は、昨日・今日・明日と、この視線(まなざし)を終生もち続ける。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/09/post_c5e8.html

285 :吉田無学の2:2009/08/22(土) 09:30:05 ID:TP4cavcgP
第4章第9節「警察と遊女と部落と」の要約掲載が、やっと終わりました。
この節はレス214〜284の71で、うち、要約外16を除くと、正味55レスを使用しました。
御本家さまの原文の量と内容は、要約する上で並大抵ではありません。
しかし、ゴールが近づいてきました。

さて、御本家さまが2009年1月16日、山口県周南市川崎地区の隣保館で
講演をした記録が「解放学級ろく舎ブログ版」ジゲ戦記2009年8月18日 (火)に
13分割で掲載されています。http://rokusya.cocolog-nifty.com/blog/
御本家さまの原文より分かりやすいので、ご一読ください。

286 :285 吉田無学の2:2009/08/22(土) 09:46:29 ID:TP4cavcgP
神戸市で部落解放運動に携わってこられた運動家・田所蛙治氏は、
御本家さまの2009.1.16吉田向学講演録について、次のとおりコメントをしています。

「蛙独言」August 19, 2009 http://aogaeru.txt-nifty.com/
・・・
蛙が高く評価している山口の吉田向学さんの「講演録」がUPされてる。
・・・
向学さんは、資料にキチンと当たられて、「エタ」は「賤民」などではなかったってことを実証をされておられる。
取り組まれてこられたその努力には「舌を巻く」ってところだし、敬服のほかない。
ただ、こういう「視点」は、少数ではあるが、「部落史」を考える人々の中にはこれまでもあったし、
現在、大勢としても、そういう傾向が出てきているように思う。
・・・
「事実」がこうして「知られていく」ことは、「部落」の側でも「差別者」の側でも、
とても大切なことだし、おおきな勇気をもらえるってことはあるだろう。

正しくその評価をしながらも、ただ、蛙の場合、2点についての留保がある。

まず第1は、仮に蛙の祖先が、或いは実の父が「どうしようもない悪逆非道の人間」だったとして、
「それがどないやゆうねん!」ってことがある。人間は、本来、「その人」ということで評価されなければなるまい。

第2には、実際には、まだ年端もいかない内に「柔らかな肌」に「被差別の烙印」を押されるのであるから、
分別がついてから「事実」を知っても、その「スティグマ」は消えることは無いのだということだ。

「事実を知る」ことは「勇気」につながるが、それだけでは「武器」を掴むところまでは行けないと蛙は思う。

287 :286 吉田無学の2:2009/08/22(土) 10:14:01 ID:TP4cavcgP
田所蛙治氏の留保について、私は、こう考えます。

>>第1 人間は、本来、「その人」ということで評価されなければなるまい。

同感です。

>>第2 まだ年端もいかない内に「柔らかな肌」に「被差別の烙印」を押されるのであるから、
分別がついてから「事実」を知っても、その「スティグマ」は消えることは無いのだということだ。

子や孫の代に、「柔らかな肌」に「被差別の烙印」を押されることがなくなること、
それ自体が大きな前進です。

また、既にある「スティグマ」については、アーメンその他一神教の信仰による救い、
「個人の人格の尊厳」の回復があります。
御本家さまの教会で洗礼を受けてみるのも、ありです。

カトリックでは教父の時代から、中世神学者の時代を経て最近の教皇に至るまで、
「個人の人格の尊厳」は人間がいただいた恵みという観点から考えられてきました。
西方キリスト教に属するプロテスタントも同じです。
「個人の人格の尊厳」に中心価値を置く憲法学は、アーメンでなければ本当のところは分からないでしょう。

288 :第4章 太政官布告批判:2009/08/22(土) 13:21:10 ID:TP4cavcgP
A節 「非常民」から「常民」へ、その精神的葛藤

1項 田中正造と明治維新 その1

筆者は、小学生のときに社会科の授業で、足尾鉱山とその公害事件、
田中正造が村のひとと一緒になってたたかい、金原明善とともに偉大な人物であったことを習った。
田中正造、金原明善は、『広辞苑』(初版本)に次のとおり掲載されている。

【田中正造】政治家。栃木県の人。1890年(明治23)以来衆議院議員に当選。
足尾鉱山の公害問題解決に努力。1901年直訴。以後終生治水問題に意を用いた。
(1841〜1913)
【金原明善】社会事業家。静岡県の人。養蚕・植林・牧畜の奨励、天竜川の治水、
免囚保護などに尽力。(1832〜1923)

田中正造は、明治36年3月、谷中村に入る前の年、その日記に、
「大学廃すべし。腐敗の淵藪なり。」と記していたという。
権力を仰ぎ、権力に服従し、権力をおもんぱかって、その学識を披露する、そして、
「しいたげられる者の涙」を理解することなく、「惻隠の心」を棄ててかえりみない、
当時の中産階級・知識階級に対する、激しい田中正造の批判のことばである。
「しいたげられる」谷中村の農民の涙をみて、その涙の原因たる「しいたげる」国家
(中央政府・地方行政)の手の中にある「権力」の不正を、いのちをかけて追究した田中正造の
名をあげずして、他の誰の名をあげることができるのか。

田中正造を支えた思想は、皇国史観でも、唯物史観でもない。
「非常・民」であることを徹底的に棄てて、「常・民」として谷中村の農民と共に
生きようとした背景にあったものは、近世幕藩体制下で、身につけていった
「百姓」としての自信と誇りではなかったか。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/09/post_ee92.html

289 :第4章 太政官布告批判:2009/08/22(土) 17:01:45 ID:TP4cavcgP
A節 「非常民」から「常民」へ、その精神的葛藤(続き)

1項 林竹二氏の田中正造解釈(旧:田中正造と明治維新 その2 「田中正造穢多を愛す」の真意)

田中正造は、林竹二『田中正造の生涯』によれば、1841(天保12)年11月3日、
「下野国安蘇郡小中村(現在佐野市小中)」に生まれ、「・・生家・・の印象は、それがいかにも小さい・・、
到底豪農などいうことばとは無縁の、ささやかな家のたたずまいで、家族の農耕の営みによって生きている、
まごう方なき「下野の百姓」の家であった」。

林は、このように推測する。
「・・・はじめて名主となった祖父正造は・・・おそらく家の格式や財産によってではなく、
その能力が小中村の百姓の信望を集めて彼は名主に選ばれた・・・父は温厚な人であったが、
割元(名主のたばね役)として下野の六角領7ヶ村のたばねをするだけの器量をそなえていた。
田中家が苗字帯刀を許されたのは、父が割元に昇進してからのことである」。
「田中家が苗字帯刀を許された」のも、名誉職としてではなく、「下野の六角領7ヶ村」の
治安を担うだけの実力を持っていたからである。
「大庄屋」の権限は強大であり、殺人・強盗・火付などの「非常」に遭遇したときには、
「大庄屋」は、代官所指揮のもと、村役人や村番人を動員して、犯人の探索・捕亡・糾弾に従事するため、
近世幕藩体制下の司法・警察である「非常・民」としての知識・技術にも長けていなければならないからである。

田中正造という人物をはかるには、その生家の規模の大きさではなく、近世から近代への過渡期に、
田中家に担わされた「職務」(非常民としての職務)の大きさで判断すべきである。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/09/post_c621.html

290 :第4章 太政官布告批判:2009/08/23(日) 13:14:35 ID:auMLighgP
A節 「非常民」から「常民」へ、その精神的葛藤(続き)

1項小松裕氏の田中正造解釈(旧:田中正造と明治維新 その3 続・「田中正造穢多を愛す」の真意)

筆者は、徳山市立図書館で『田中正造全集第1巻』、『田中正造全集月報』
(同図書館が付録を1巻にまとめたもの)、小松裕著『田中正造』の3冊を借り出した。
理由は、田中正造『回想断片』中の「田中正造穢多を愛す。6年出獄してより・・・」という
短文執筆前後の歴史的状況などを考察するのに、適当な史料が含まれているのではないかと想定したからである。

小松は、『田中正造』の「はじめに」において、「林竹二『田中正造の生涯』・・これらの著作においては、
田中正造の思想の特徴が充分に描かれているとはいいがたい。『田中正造の生涯』は、・・・
史料の歴史的背景と文脈を無視した強引な解釈も目立ち・・田中正造の思想の全体像とその独自性を
本格的に論じた研究書は皆無・・・」という。
しかし、筆者の目からみると、林の田中正造研究は、小松の指摘するのとはまったく逆で、
「史料の歴史的背景と文脈」を踏まえ、田中正造の内面の苦悩と葛藤、その思想を描き出してあまりあるもので、
林『田中正造の生涯』の「第1章 政治家田中正造の形成過程」では、その行間にすら、
田中正造の人格と思想が滲み出ている。
逆に、小松『田中正造』の内容は、軽佻浮薄としかいいえないような内容で、田中正造の思想と人格を無視し、
近代歴史学の一般的・通俗的見解「近代進歩史観」を、「強引」に適用したものにほかならない。

田中正造は、「・・明治4年2月から36カ月と20日間の牢獄生活を経験」し、明治7年4月の
出獄許可直後、故郷でのことばとして「田中正造穢多を愛す。」が語られている。
筆者は、当時の男が「愛す」と宣言するのは尋常ではなく、この「愛す」と宣言した田中正造の精神世界を
解明せずして、田中正造のほんとうのすがたを描くことは不可能ではないかと思う。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/09/post_d826.html

291 :第4章 太政官布告批判:2009/08/23(日) 22:08:19 ID:auMLighgP
A節 「非常民」から「常民」へ、その精神的葛藤(続き)

1項】「田中正造穢多を愛す」(断片23)
(旧:田中正造と明治維新 その4 続々・「田中正造穢多を愛す」の真意)

昨日(2006.09.15)、徳山市立図書館で借りてきた『田中正造全集第1巻』(岩波書店)をひもときながら、
『部落学序説』で田中正造をとりあげる方向性にまちがいがないことを確認した。

『田中正造全集』を全巻精読すれば、これまでの学者・研究者・教育者がなそうとしてなすことができなかった
田中正造の精神世界を解明することができる、歴史研究において、従来の一般説・通説を根底から覆すことの機会・・・、
というのはそれほど多くはない。
たとえ、「自己満足でしかない・・・」と笑われようと、その機会が筆者の手元にある・・・、というのは痛快極まりない。

とりあえず、徳山市立図書館で借りた『田中正造全集第1巻』(自伝)の中から、『回想断片』に収録されている
「断片23」の全文を転載する。
「田中正造穢多を愛す。7年出獄してより郷里に帰り農業に従事す。夏麦打雇人に穢多を用いたり。
時に炎熱の侯麦打の労甚し。雇人等に与うるに清水を桶に盛り来り、一碗その内に投じ置、雇人をして交る交る
自由に其水を飲ましむ。穢多も飮み正造も飲めり。正造此穢多と一碗交る交るにす。衆皆之を卑しとしたり。
当時村中の流俗穢多を卑しみて床上に登らせず、また湯に入れず。正造即ち穢多を湯に入れ座上に登す。
毎日毎日日課卒りてより夜に入り穢多の労を慰め酒を与う。正造又其の盃を交換す。
当村老弱男女神仏を祈るの徒は正造の行為を賤しみて隣伍親戚又来らず。
正造穢多の人類中に区別すべからざるを説けり。而して説けば説くほど衆皆眉をひそめ唾を吐き、
終に正造をも穢多の如く正造に湯茶を飲ますることを忌みて正造不便多かりき」。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/09/post_fbd0.html

292 :第4章 太政官布告批判:2009/08/28(金) 05:52:24 ID:/rxLPOk+P
A節「非常民」から「常民」へ、その精神的葛藤(続き)

1項田中正造の穢多理解
(旧:田中正造と明治維新 その5 続々々・「田中正造穢多を愛す」の真意)

田中正造の父・庄造は、(高家旗本)六角家2000石の割元(西日本では大庄屋ともいう)で、
六角家の財政再建に貢献したが、同家の筆頭用人・林三郎兵衛による「公共事業」に関する
不正を潰したため、「六角家騒動」が発生した。
この「六角家騒動」の際、田中正造は、3尺立方(縦横高さが各90センチ程度の)獄中にとらわれた。
「六角家騒動」の背景には、近世幕藩体制下の「武士」身分と「百姓」身分の葛藤があり、
「筆頭用人」と「割元」との抗争は、「支配」と「支配」の葛藤状態を意味する。
田中正造は、近世の司法・警察である「非常の民」(名主)として「非常の民」(武士)に対峙したと思われる。

釈放後、田中正造は、「陸中国在職中の殺人疑獄」の容疑者にされ、警察から厳しい取調と拷問を受け、
明治4年6月からほぼ3年間に亘って「江刺の獄」につながれてたが、無罪放免となって帰郷した。
このときの状況を、田中正造は、『回想断片』の21と23に記している。
「断片21」は、幕藩体制下の「武士」支配の頂点である「元領主」(六角雄太郎)に対する、
「断片23」は同じく幕藩体制下の「武士」支配の最下層である「元穢多」に対する、田中正造の真意が綴られている。
「武士」身分によって数々の辛酸をなめさせられた田中正造は、「旧武士」(軍人)に対して厳しく批判する一方、
「元名主」であった田中正造同様、「非常・民」として共に、六角家の領内の治安維持にあずかってきた
「旧穢多」(警察官)に対して限りない尊敬と愛着をもって接する。

それが、「断片23」の「田中正三穢多を愛す」の真意である。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/09/post_cc0f.html

293 :第4章 太政官布告批判:2009/08/29(土) 12:13:08 ID:s0JSv7CfP
A節 「非常民」から「常民」へ、その精神的葛藤(続き)

2項 「庄屋」の目から見た「武士」と「穢多」

六角家の領地における「村」単位の治安の維持は、他の幕府領内と同じく、近世幕藩体制下の
司法・警察である「非常民」としての「穢多」と「村役人」(庄屋・名主等)によってになわれ、
「穢多」はおもに司法警察、「村役人」はおもに行政警察的な仕事をしていたと思われる。
「庄屋」・「名主」は、「百姓」に属する点では「武士」支配を受ける側にたたされたが、「非常民」としては
「百姓」を支配する側に身を置き、「支配」・「被支配」の両方の側にたって、その職務が遂行されなければならなかった。

明治7年、田中正造が故郷に帰って数ヶ月後、旧六角家の当主・六角雄太郎が
「困窮の為め・・・旧領民の救いを乞」いに来た。
これに対し、田中正造は、「・・専ら士道を研究せらるる余地もありながら、いたづらに座して何等の学文をも為さず・・・」
「よくもおめおめ来たり・・・一文半と雖も公に呈するものなし」と、元領主を「痛罵」して空手で帰した。
この「憤怒」のできごとは、近世幕藩体制下の「武士」に対する田中正造の深い失望の思いを伝える。

元領主を「痛罵」して空手で帰した田中正造が、旧「穢多」に対して、麦打ちの仕事を提供し、
休憩時にはつめたい水をさしだし、一日の労をねぎらって風呂に入れ酒を馳走し床につかしめ、次の日は給金を渡す・・。
筆者からみると、近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」として、「庄屋」・「名主」と「穢多」は
同じ「支配」の側に身を置いていたがゆえの、親近感と相互理解が存在していたのではないかと思う。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/09/post_33f3.html

294 :第4章 太政官布告批判:2009/08/30(日) 13:43:04 ID:c8r/e/MUP
A節 「非常民」から「常民」へ、その精神的葛藤(続き)

3項 「被差別部落」の人々の怒りの琴線に触れる・・・

この文章は、筆者の極めて主観的な文章である。
「琴線」ということばについて、『広辞苑』では、次のような説明がなされている。
【きんせん【琴線】@・・・A感じやすい心情。心の奥に秘められた、感動し共鳴する微妙な心情。「−に触れる」】

筆者「独断と偏見」からあえていえば、部落解放運動に従事している被差別部落のひとびとの
「心の奥に秘められた・・・微妙な心情」として、自らが直面している差別を「絶対化」する傾向があるのではないか、
「部落差別」は、他の差別と根本的に異なる「特殊」な差別である・・・、と。
「特殊部落」ということばは、明治政府・内務省・警察の「棄民化」政策によってつくられた差別的な用語である。
言葉としては、差別語として認識される「特殊部落」は、意識レベルになると、被差別部落の側に相当
受け入れられていったのではないか、「心の奥に秘められた・・・微妙な心情」としては、
被差別部落の人々は、自らを「特殊」という言葉で、絶対化していったのではないか、
その「特殊視」に乗っかって戦前・戦後、水平社運動・部落解放運動が展開されてきたのではないかと思われる。
誤解を恐れずにいえば、この「特殊視」を根拠にして、部落解放運動が実践され、
同和対策事業・同和教育事業という、「特殊視」にみあう事業・教育が推進されていったのではないかと思われる。

『部落学序説』は、最初から、「差別」と「被差別」の両者の間の精神的葛藤を前提とし、
「心の奥に秘められた・・・微妙な心情」としての「特殊視」(賤民史観)を否定し、「一般視」(常民・非常民論)を提案する。
部落差別を完全解消に導くためには、「部落差別は差別者にのみ問題がある、
被差別者はいわれなき差別を受けてきた被害者に過ぎない・・・」という「虚妄」を払拭し、
被差別・差別の両者に存在する「特殊視」(賤民史観)を破壊しなければならない。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/09/post_2b0d.html

295 :第4章 太政官布告批判:2009/09/01(火) 06:25:01 ID:ltRzwjv6P
A節 「非常民」から「常民」へ、その精神的葛藤(続き)

4項 排除される「庄屋」の視点・・・

近親憎悪ということは、精神分析学の専門用語とのことで、『広辞苑』には見当たらない。
イタリアの社会学者・アルベローニの109の「人間性」パターンのうち、『他人をほめる人、けなす人』の
「他人を引きたてない人」について、「知的な高い才能を備えている」場合が多いが
「自分自身のこと、自分の成功、自分の声にしか関心がない。」と言われるものに、「近親憎悪」の持ち主はかなり類似性があると思う。

筆者からみると、部落解放の運動団体(同和会・部落解放同盟・全解連・全国連・・・)は、それぞれ、
「自分自身のこと、自分の成功、自分の声にしか関心がない。」ように見える。
「近親憎悪」とは、「近親」(部落解放のための運動団体、同和会・部落解放同盟・全解連・全国連・・・)が、
自分以外の「近親」との間に差別化を図り、自分の所属する運動団体の組織と方針のみを価値あるものとみなし、
それ以外の運動団体の組織と方針を、無価値なもの、否、害あるものとして、
「大仰な言葉を口にし、やたらに憤慨し、激しく批難する」ことによって、徹底的に叩き潰そうとする心情のことである・・。
部落差別問題・人権問題を標榜する運動団体の多くは、相互に、その組織の内外にむけ、「近親憎悪」的体質を持っている。
部落解放運動は、権力によって押し込められた「賤民史観」という、差別的思想の枠組みである「たる」の中で、
「近親憎悪」という「モンスター」に身をゆだね、お互いを暗くて深い、絶望の淵へ引きずり込んでいる。

近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」の中には、正規の武士階級「与力」も、準武士階級「同心」も、
警察・検察・司法の本体として組み込まれていた「穢多・非人」も、百姓身分の中には「庄屋・名主」という村方役人もいた。
部落差別問題・人権問題を、また、部落研究・部落問題研究・部落史研究を標榜する世界において、
旧「穢多・非人」の立場に身を置く現代の学者・研究者・教育者の多くは、旧「庄屋」の立場から「非常」を論じる
人々に対して、「近親憎悪」的批判を展開してきた。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/10/post_4ee2.html

296 :295訂正:2009/09/01(火) 06:30:44 ID:ltRzwjv6P
○旧「庄屋」の立場から「非常民」を論じる
×旧「庄屋」の立場から「非常」を論じる

297 :第4章 太政官布告批判:2009/09/02(水) 18:55:13 ID:vH2+1fbvP
A節 「非常民」から「常民」へ、その精神的葛藤(続き)

5項 「非常民」から「常民」へ、その精神的葛藤

「非常民」から「常民」へ、その精神的葛藤に関して、田中正造をとりあげる。
田中正造は、近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」の一翼を担った村方役人・「名主」
(西日本では庄屋)の「役務」に主体的にかかわり、「常民」・「非常民」の両方に身を置く希有な経験をしたひとである。

林竹二は『田中正造の生涯』において、田中正造にとって、谷中村に入ることと谷中村の人民になることとは
異なることであり、「正造は谷中に入ったが、人民の中に入っていなかった・・・、自分の中に、・・
『人類以外に立って、人のためになにかをしようとしている』愚人を認めざるをえなかった」という。
田中正造は「愚民論」に立って、谷中の百姓のために何事かをなしとげようとする自分の中に「愚人」を見た後、
「愚民論」を払拭して「愚人」であることをやめるため、64歳にして「回心」、生きかたを変え、
73歳にいたるまで谷中村人民「百姓」・「常民」としての生きざまをまっとうする。
田中正造の晩年は、「非常民」意識・自らの「非常民」性を棄てて、「常民」としての生きかたを、
谷中村のひとびとと共有する旅であった。
田中正造は、「非常民」意識の放棄とともに、国家の事業や援助は人民のためにならず、
人民を腐敗させるのみであるとこれを拒否し、「百姓」(常民)の公道に生きようとする谷中村人民と共死共生の道をたどる。

林は、田中正造の生きかたを「生ける一貫性」、「自己の全存在と行動とで、その思想に責任をもつ」ことであるという。
筆者の『部落学序説』も、田中正造の「その都度、何度でも、根底に帰って出直すことができる」
ラジカルさを身に呈するものでありたいと思う。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/10/post_ee92.html

298 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/04(金) 15:44:35 ID:wfvrmgJD0
たまには良スレをageます

299 :第4章 太政官布告批判:2009/09/05(土) 07:56:40 ID:aeZSzCkRP
A節 「非常民」から「常民」へ、その精神的葛藤(続き)

5項 続・「非常民」から「常民」へ、その精神的葛藤

田中正造は、明治23年第1回総選挙で衆議院議員に当選したが、
足尾鉱山鉱毒問題と渡良瀬川周辺で生活する人民(百姓・平民・常民)の被った
公害とその被害の悲惨さを知った後、議員を辞職し谷中村に入り、そこで戦う「共同体」に身を置くようになる。

田中正造は、谷中村に入っても、谷中村の人民(百姓・平民・常民)と共に戦うことができず、
それまでの「非常民」としての、名主・国会議員としての意識を捨て、谷中村の「常民」としての
人民(百姓)になりきらなければならなかった。
林竹二の「田中正造は、9年にわたる谷中の苦学に堪えて、谷中人民の一人になった。」ということばは、
田中正造が、その死をもって、やっと「谷中人民の一人になった。」ことを意味する。
「非常民」から「常民」へ、生きざまの転換は、想像を絶する精神的葛藤を田中正造にもたらしたのであろう。

明治4年「穢多非人ノ称廃止」太政官布告によって、近世幕藩体制下の司法・警察である
「非常民」の本体であった「穢多・非人」は、どのように「非常民」意識(特権意識・選民意識)を捨て
「常民」意識を獲得していったのか。
筆者の手元資料では、田中正造と同じ精神的葛藤と苦闘を経験したことを記録に残した「旧穢多」の
存在を確認することはできず、「旧穢多」の多くは「旧百姓」の精神を共有することなく今日にいたっている
・・・と推測せざるを得ない。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/10/post_d19a.html

300 :第4章 太政官布告批判:2009/09/05(土) 16:30:44 ID:aeZSzCkRP
B節 「旧穢多」の精神史的考察

1項 「旧穢多」の精神史的考察は可能か

筆者は、「旧穢多」が、どのように「非常民」意識を棄て「常民」意識を獲得していったのか
・・・大いに関心をもつ。
「精神史」については、『広辞苑』でこのように説明がなされる。
 【精神史】(Geistesgeschichte)歴史的事実の背後に歴史を動かす力として精神的な力が
働いていると考え、この見地から歴史をとらえ、芸術・学問・宗教などの文化形象を
精神の歴史として考察するもの。とくにドイツ的な考え方。

近代的部落差別成立(を解明)するためには、近代国家建設の過程で部落差別をシステムに
組み込んだ側の精神史(「差別の精神史」・「被差別の精神史」)だけでなく、
その差別制度・差別政策・差別思想を受容し自らを国家公認の被差別民・
「特殊部落民」たらしめていった被差別側の精神史考察は不可欠と思われる。
「差別」は、差別する側だけで成立せず、差別される側がその差別を受容し差別側の
差別的な視線で自分自身を認識するようになったとき、「差別」は制度的・社会的に存在するようになる。

しかし、従来の部落研究・部落問題研究・部落史研究は、「旧穢多」の精神史を解明することには
熱心でなく、部落解放運動の基本方針・闘争理論によって私的思想統制と検閲によって捨象された
「イデオロギー」(「賤民史観」)的理解のみが要求された。
多くの学者・研究者・教育者は、この差別的な「イデオロギー」を受け入れ、「学問」の本質、真実を
探求するという学者・研究者・教育者としてのいとなみを放棄し、
「旧穢多」の精神史を解明する研究はなされてこなかった。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/11/post_14c7.html

301 :第4章 太政官布告批判:2009/09/06(日) 12:57:13 ID:KEwuMqXkP
B節 「旧穢多」の精神史的考察(続き)

2項 「旧穢多の精神史」と「差別(あるいは被差別)の精神史」の違い

この節で取り上げるのは「旧穢多の精神史」であって、「差別の精神史」あるいは「被差別の精神史」ではない。
「旧穢多の精神史」は、その研究対象が「旧穢多」(穢多とその末裔)という具体的な存在である。

この対象は、時間系列上では、1 近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」として「穢多の類」
(穢多・非人、以下「穢多」とよぶ)として活躍していた時代、
2 幕末期から明治4年以前の間に、近世幕藩体制下の「穢多」身分から
近代中央集権国家の「士族」身分・「平民」身分に移籍された人々と、明治4年の太政官布告以降、
近代中央集権国家の「平民身分」にされたが、それに先立つ「平民」(「常民」としての百姓・町人)と区別されて
「新平民」と呼ばれた人々の生きた時代、に限定する。
空間的系列上では、T 明治4年の太政官布告公布以前に、近世幕藩体制下の「穢多」身分から
「武士」・「百姓」(町人)に移籍したり、明治以降、近代中央集権国家の「士族」・「平民」に移籍されたひとびと、
U 明治4年の太政官布告以後、上記のTをのぞく「旧穢多」で、「新平民」とよばれた圧倒的多数のひとびとをさす。

この節で、筆者が耳を傾けようとしているひとびとは、「旧穢多」あるいは「旧穢多の末裔」たちである。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/11/post_04e3.html

302 :第4章 太政官布告批判:2009/09/06(日) 20:00:30 ID:KEwuMqXkP
B節 「旧穢多」の精神史的考察(続き)

3項】ある「旧穢多」の群像(部落地名総鑑・人名総鑑の問題の中で・・・)

今回、『部落学序説』で、「「旧穢多」の精神史的考察」を考察する際に使用する史料には、
「旧穢多」の地名・人名に関するリストが含まれる。
当然、筆者としても、その史料に出てくる「旧穢多」の地名・人名の取り扱い方について、
過去、どのような取り扱いかたがされてきたのか・・・、調べる。

その結果、遭遇したのが、「毛利源兵衛・吉富新蔵・・・」と記すべきところを、あえて、
「M源兵衛・Y新蔵・・・」と表した部落史研究者(石瀧豊美)のインターネット・ページ上の表現である。
『部落学序説』でいう「旧穢多」は、近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」として、
その職務に忠実に生きたひとびとで、「毛利源兵衛・吉富新蔵・・・」もその「旧穢多」に数えられるべきひとである。
「毛利源兵衛・吉富新蔵・・・」は、小川順藏・古賀菊次・古賀斉基地・島津覚念・梅津和三郎・松田太平次・
村井元半七・本田茂次郎・沢田甚之十・川越新次郎・津本茂八郎・津本亦次郎・巌平次・巌金次・
樋口関蔵・小川為次郎・小川森次郎・古賀京太郎・松田松次・吉田和吉・金沢安兵衛の21名の
「旧穢多」と共に、「旧穢多」とは何であるか・・・、その答えを内蔵する文章を残し、そこには彼らの在所まで記されている。

地元福岡県の研究者によっても、実名記載されず「M源兵衛・Y新蔵・・・」と記号化・暗号化されてしか
紹介されない史料は、まともな評価がなされているのか。
筆者は、上記23名の「旧穢多」に対し、日本歴史学に内在の差別思想「賤民史観」的まなざしを向けることなく、
彼らを、近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」として、その「非常民」であるがゆえに
、国家・社会から受容・排除を経験せざるを得なかった、「旧穢多」の精神史・・・に光をあてることができ、
「部落差別」を根底から解体し「部落差別」の完全解消にむけた道程の上に、彼らを位置づけることができる。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/12/post_2738.html

303 :第4章 太政官布告批判:2009/09/07(月) 06:37:13 ID:4848yYAZP
B節 「旧穢多」の精神史的考察(続き)

4項 復権同盟結合規則に関する一考察

前項23名の「旧穢多」は、明治14年「復権同盟結合規則」発起人としてその名前が記され、
「部落上層あるいは部落指導者層」に属する人々であったといわれる(日本近代思想大系『差別の諸相』)。
「復権同盟結合規則」は、当時の福岡県令あて、明治13年「集会条例」(太政官布告第12号)に対し
上記23名が発起人として結成される「旧穢多」結社が合法的であるかいなかの打診をしたものであった。

「復権同盟結合規則」の「緒言」において、「如何ナル故ニヤ、未ダ濫觴ヲ審ニセズ」と
「どういう理由があってか、穢多が穢多であるのかその起源は不明である」・・という。
その背景には、明治4年から同14年の間、「旧穢多」が直面した歴史的経験・体験が存在しているように思われる。
「復権同盟結合規則」には、「世ニ人外視セラレテ而テ別ニ異界ヲナシ、
世ノ最モ穢ハシトスル所ノ業ニノミ従事スルヲ以テ我曹ノ当務トセシ事、年已ニ久矣。」と記されている。

従来の「復権同盟」に関する研究は、日本歴史学に内在の差別思想「賤民史観」に依拠して
解釈されてきた結果、「世ノ最モ穢ハシトスル所ノ業」ということばは正当な解釈を施されることなく、
「農民層の部落への差別感情」が強調されてきた。
「世ノ最モ穢ハシトスル所ノ業」とは何だったのか・・・。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/12/post_d20f.html

304 :第4章 太政官布告批判:2009/09/09(水) 06:52:05 ID:XQ/ZTyiXP
B節 「旧穢多」の精神史的考察(続き)

5項 「一般民衆の「視線」を気にしはじめた」旧穢多

ひろたまさきは、《日本近代社会の差別構造》において「復権同盟結合規則」について、
「部落民衆はまず一般民衆の「視線」を気にしはじめたのである。・・・『復権同盟』の趣意書は
『他ノ人民我曹ヲ蔑視凌辱スル事昔時ニ異ルナキハ、夫レ何ニ由リテ然ルカ。
・・・、依然トシテ汚穢ノ業ニ而已従事シ・・・』と、その『視線』は自己に向けている。
つまり一般民衆が部落民衆につきつける「視線」を自己のものにしている・・・」という。
「一般民衆」が「部落民衆」に「差別の視線」を向け、「部落民衆」はその内面において、
その「差別の視線」を受容し、その「差別の視線」でおのれを見るようになっている・・・。

ひろたまさきの解釈をそのまま受け入れていいのかどうか、筆者は大いに迷う。
その理由は、明治14年11月時点で、上記同盟発起人・「旧穢多」23名を「部落民衆」として
認識することは、時代錯誤的認識を内包するからで、近代的「部落」概念は、
法律用語として明治20年頃に使用されはじめ、明治14年時点で「部落民衆」概念は成立しない。
「復権同盟結合規則」の中に、どのような精神史の変革が含まれていったのか・・・、
筆者は、「旧穢多」が、近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」から、
近代中央集権国家の「常民」(平民)であることを強烈に意識して闘争しようとしていた・・・、
それを示す文書は、この節で取り上げようとしている「復権同盟結合規則」であると認識するようになった。

「復権同盟結合規則」は、ひろたまさきが指摘するような、「一般民衆が部落民衆につきつける
「視線」を自己のものにしている」ことを示す文書ではなく、まったく逆に、
「旧穢多」が、自分たちに向けられた、差別的な「視線」を跳ね返そうとした文章ではないのか・・・。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/12/post_4e65.html

305 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/09(水) 11:48:44 ID:PwxacJRW0
良すれ定期アゲ

306 :第4章 太政官布告批判:2009/09/11(金) 06:42:27 ID:mKI9Y7poP
B節 「旧穢多」の精神史的考察(続き)

6項 差別の「色眼鏡」をはずして「復権同盟結合規則」を見る・・・

「復権同盟結合規則」に関する研究は、明治以降の近代歴史学に対する天皇制・
近代中央集権国家の「囲い込み」という呪縛の中、戦後の民主主義の社会においても、
それから脱することなく、その枠組みの中ですすめられてきた。

『差別の視線 近代日本の意識構造』の著者・ひろたまさきは、
近代部落差別の根源にたどりつく可能性が秘めながら、近代身分制度を
「天皇・皇族・華族・士族・平民・新平民/アイヌ/沖縄人」として認識せざるを得ないのは、
明治以降の近代歴史学に対する天皇制・近代中央集権国家の「囲い込み」という呪縛の中に
身を置いているしるしであり、日本歴史学に内在の差別思想「賤民史観」に無自覚か、
是認することのあらわれである。
明治14年「復権同盟結合規則」に関する研究の中で、ひろたまさきの論述
(『差別の諸相』・『差別の視線』)は、筆者からすると、いくつかの論理的矛盾と破綻を内蔵している。
「復権同盟結合規則」については、ひろたまさきという「フィルター」を通してではなく、直接読んで、
テキストレベルで批判していく必要がある。

「復権同盟結合規則」は、明治13年集会条例などの明治政府の言論に対する過酷な弾圧・迫害下で、
九州北部「23名」の「旧穢多」が「復権同盟」を結成するにあたって、その真情をありのまま吐露したとは考えらず、
言論弾圧をかいくぐるために、ことばを慎重に選んで表現していったと推測される。
「復権同盟結合規則」の文書も、日本の差別思想「賤民史観」から解放されて、
歴史の事実・真実に根ざした解釈をもとめているといっても過言ではない。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/12/post_2afd.html

307 :306訂正:2009/09/11(金) 06:44:36 ID:mKI9Y7poP
○可能性を秘めながら
×可能性が秘めながら

308 :第4章 太政官布告批判:2009/09/12(土) 18:10:19 ID:riX2YRnwP
B節 「旧穢多」の精神史的考察(続き)

7項 「旧穢多ナル我曹モ亦、我皇国ノ人民ナリ。」

「復権同盟結合規則」の冒頭には、「旧穢多ナル我曹モ亦、我皇国ノ人民ナリ。」と記され、
これは明治10年の西南戦争という新政府に対する最後の武力抵抗のあとの時代が反映されたことばである。

「復権同盟結合規則」は、「御届」・「緒言」・「復権同盟結合規則」の3部構成からなり
(岩波近代思想大系『差別の諸相』)、最初の「御届」は明治13年布告「集会条例」に違背しているかどうかの
福岡県令への問い合わせで、福岡県は「・・・集会条例ニ抵触セザル以上ハ届出ニ及バズ、依テ却下ス。」
との「付箋」をつけて返送している。
筆者は、これにつき、「復権同盟」の組織・運営方針・活動内容が「集会条例」に違背しないだけではなく、
「旧穢多」そのものが明治政府によって排除された抵抗勢力としての「幕藩制時代の支配層」・
「旧武士層」・「農民などの一般国民」とは別様の存在、明治4年「穢多非人ノ称廃止」太政官布告後も
近代「警察」職務に関与し、支配する側の存在として認識されていたためではないかと思う。
「復権同盟結合規則」は、明治4年太政官布告にもかかわらず、
「いかんせん、旧染卑屈の陋習にわかに脱却するあたわず・・・」として、
「旧穢多」に対する社会的位置づけが旧態依然としているのは、「旧穢多」みずからの責任であるかのごとく論述する。
その原因について、「御届」においては「恒職」にあるとしている。

近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」としての「恒職」が、「旧来の汚業」・「世の最も穢はしとする所の業」
として、「他の人民の我らを蔑視・凌辱すること昔時に異なるなき・・・」と強烈に「旧穢多」に意識せしめたのは、
明治元年から明治4年の「旧来の汚業」と、明治4年太政官布告以降明治14年までの「穢多の醜称」を脱したあとの
「職」との間の同質性に由来したのではないか、と思われる。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/12/post_b6c6.html

309 :>>308訂正:2009/09/12(土) 18:14:33 ID:riX2YRnwP
○「復権同盟結合規則」の「緒言」の冒頭
×「復権同盟結合規則」の冒頭

310 :第4章 太政官布告批判:2009/09/13(日) 10:27:37 ID:Mzyz+9oyP
B節 「旧穢多」の精神史的考察(続き)

8項 「旧穢多」の「汚穢ノ業」とは何か
※(その1:本項は内容膨大により要約者が三分割させていただきます。)

明治14年の「復権同盟結合規則」の「御届」の中で「恒職」とよばれているものは、
次のことばで表現され、ここでは、「汚」と「穢」が混同、あるいは同義語として使用されている。
「四民ノ以テ穢ハシトシテ為スニ堪エザル所ノ事」・「世ノ最モ穢ハシトスル所ノ業」・
「穢多ノ汚界」・「汚穢ノ業」・「旧来ノ汚業」

筆者は、「けがれ」(「汚」と「穢」)を二重定義の概念として認識し、
「日常・非日常」の世界における「気枯れ」と「常・非常」の世界における「穢れ」を別様に理解してきた。
「気枯れ」を習俗的概念とすると、「穢れ」は法的概念として認識され
、本来、両者は、近世幕藩体制下において明確に区分されていたと思われるが、
明治4年以降の歴史的状況・政治的状況が反映し、「気枯れ」と「穢れ」が混同されるようになった。
筆者は、この混同について、『部落学序説』の解釈原理のひとつである
「常民・非常民論」のみで十分説明することができる。

「復権同盟結合規則」の「汚穢ノ業」は、近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」の
「職務」内容との関連で、十分説明しきることが可能である。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/12/post_3acd.html

311 :第4章 太政官布告批判:2009/09/13(日) 10:36:17 ID:Mzyz+9oyP
B節 「旧穢多」の精神史的考察(続き)

8項 「旧穢多」の「汚穢ノ業」とは何か
※(その2:本項は内容膨大により要約者が三分割させていただきます。)

近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」としての「穢多」は、明治4年の太政官布告以降、
近代警察から排除されたが、実際は、相当数の「穢多」が近代警察に再編成され組み込まれて、
さらに再雇傭されなかった「旧穢多」の一部は、近代「警察ノ手下」として、
「多少ノ給料」によって従来の業務に従事させられていったと思われる。

明治元年から明治4年までは「非常民」として「穢多」は、「旧来の・・業」に従事した。
九州において、「旧穢多」は明治10年「西南戦争」の後方支援・治安維持に動員され、
切り裂かれ、刺し抜かれ、砕かれ・・た戦死者の検死・埋葬、脱走兵・逃亡兵の探索・捕縛・処刑など、
この戦時職務内容こそ、「復権同盟結合規則」のいう「四民ノ以テ穢ハシトシテ為スニ堪エザル所ノ事」
・・・にあたると思われる。
さらに、西南戦争の中で発生したコレラが全国に拡散される状況において、
「警察ノ手下」として「旧穢多」は、道路警備、コレラによる行き倒れの保護・観察、死者検死・埋葬する
職務、「四民ノ以テ穢ハシトシテ為スニ堪エザル所ノ事」・・・に関与していったと思われる。

その職務に従事した「旧穢多」によって、彼らの在所にコレラが持ち込まれ、全国の「旧穢多村」に、コレラが発生した。
明治政府は、コレラは政府に対する西郷隆盛のたたり「西郷病」という国民の批判が増大するのをおそれ、
「西郷病」でなく「貧乏病」であると宣伝し、コレラが、「旧穢多村」を中心に発生するのは、「旧穢多村」の、
「貧困」「不潔」「不徳」等が原因しているとした。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/12/post_3acd.html

312 :第4章 太政官布告批判:2009/09/13(日) 10:44:49 ID:Mzyz+9oyP
B節 「旧穢多」の精神史的考察(続き)

8項 「旧穢多」の「汚穢ノ業」とは何か
※(その3:本項は内容膨大により要約者が三分割させていただきます。)

「復権同盟結合規則」に関する考察を通してみえる状況を、「部落学」の先達のことばを借用して表現すれば、
「部落問題は・・・日本の官僚たちの喉に刺さった魚の骨」であるといいきることができる
(川元祥一著『部落差別を克服する思想』)。

明治14年「復権同盟結合規則」は、明治4年「穢多非人ノ称廃止」太政官布告以降も、
「警察ノ手先」・「国家権力の手先」として生きることを余儀なくされた時代、明治4年から明治14年までの
10年間を回想して、「旧穢多」が置かれた政治的・歴史的状況を、
「名ハ既ニ穢多ノ汚界を脱シタリト雖ドモ、其実未ダ之ヲ去ル事能ハズ、依然トシテ汚穢ノ業ニ而已従事シ卑屈ニ」
安んじることであると表現したのではないかと思われる。

「復権同盟結合規則」は、「四民同等ノ権利ヲ復スルの自由」を当然の権利として認識し、
「非常民」から「常民」への生き方を変更することを宣言したもので、
明治に入って近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」が経験したことがなかったような事態
(残虐非道極まりない権力による弾圧と排除に、権力側に立って関与させられるという悲惨)に直面した
「旧穢多」たちが、それを可能ならしめた「旧染卑屈ノ陋習」をかなぐり棄てて、
「常民」として、「平民」として新しい時代の地平を切り拓こうとした「宣言」ではないか。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/12/post_3acd.html

313 :>>310 311 312 補足・吉田無学の2:2009/09/13(日) 12:16:02 ID:Mzyz+9oyP
第4章第B節第8項につきましては、内容が膨大で、かつ、
近世幕藩体制下における警察官・刑務官であった「旧?多」が
明治4年太政官布告後、そのうち近代警察に採用されなかった者及びその家族が
明治20〜30年代にかけて、社会の底辺に投げ込まれ、
「特殊部落」として差別を受けるようになった経緯・因果関係を解明する上で、
重大な箇所であるため、要約者がレス310・311・312に三分割させていただきました。

また、要約に盛り込みたかったが、分量の制約で、入れられなかった部分は次のとおりで、
311・312の間に入ります。

「四民ノ以テ穢ハシトシテ為スニ堪エザル所ノ事」に従事することがなかった「旧穢多村」の多くは、
コレラに感染することがなかったにもかかわらず、新聞紙上では、
「あたかも(すべての)部落がコレラ発生の温床であるかのように」報じられ、
「被差別部落では発生していないにもかかわらず、被差別部落に対しては絶えず、
最も患者発生の危険性を抱えた地域として警戒の目が注がれ」るようになります
(黒川みどり著『地域史の中の部落問題』)。

314 :第4章 太政官布告批判:2009/09/14(月) 00:21:58 ID:/Lv3HW/UP
B節 「旧穢多」の精神史的考察(続き)

9項 筆者の研究方法再認識(旧:部落学序説余話 その1)

筆者は、明治4年「穢多非人ノ称廃止」太政官布告が、近世幕藩体制下の
身分制度解体の意味しかないことを多角的に証明しようとしてきた。
この太政官布告は、一般説・通説では、「解放令」・「部落解放令」・・・などと言われるが、
「非常民の学としての部落学構築をめざす」『部落学序説』の筆者としては、
明治4年太政官布告を「解放令」・・とみなす解釈は的をはずし歴史の曲解であると思う。

筆者の、『部落学序説』執筆に際しての論の立てかたは単純で、
学者・研究者・教育者であるAの説と、Aと対極にあると思われる学者・研究者・教育者Bの説を、
「常民・非常民論」・「新けがれ論」など筆者固有の解釈原理から比較検証し、分析・総合を行い
、部落差別完全解消への新たな提言につなげる・・・という方針のもとに執筆している。
現在のところ、『部落学序説』の読者の方々からの内容批判と思われるものは、ほとんどない。

筆者に対する批判の中で一番多いのは、『部落学序説』の論文内容ではなく、その語り方、
特に、筆者が「無学歴・無資格」を標榜すること、また、それに関する個人的な文章を
本文中に織り込むことが『部落学序説』の品格をおとしめることになるとの指摘や、
社会的マイナス価値としてしか見られない「無学歴・無資格」を標榜することは
筆者の劣等感に根ざす「自己卑下」で「部落差別を論じる資格なし」との批判を展開される方々もいる。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/12/post_4739.html

315 :第4章 太政官布告批判:2009/09/14(月) 00:23:14 ID:/Lv3HW/UP
B節 「旧穢多」の精神史的考察(続き)

9項 聞き取り調査の基本姿勢(旧:部落学序説余話 その2)

『部落学序説』執筆のきっかけは、山口県北の寒村の、ある被差別部落の古老とのであい・
聞き取り調査であるが、その話を聞いたのは筆者の他に調査の主体である「研究者」で、
筆者は同行を頼まれただけであった。
訪ねる前に、その「研究者」は筆者に対し、「あなたのことを、高校の教師として紹介しますので、・・・」、
聞き取り調査をするには、学歴や学者・研究者・教育者という肩書が必要なのか・・・、と思わされた。

調査の前に、筆者は福岡安則ほか編著『被差別の文化・反差別の生きざま』(明石書店)に目を通した。
福岡は、この中で「被差別部落で生きてきた人びとの想い。怒り。喜び。悲しみ。願い。
解放運動のなかの輝き。こうした事実と出会うこと。そのなかで、研究者自身が自らを変え、
差別問題によりホンキで取り組んでいく。<主体性>確立のプロセス。これが、<原点>としての聞き取りのはずだ。
その場合、研究者、調査者というレッテルにしがみつく必要はない。調査者である以前に、
<ただのひと>としての自分がいるからだ・・・」という。
福岡のことばを読み返しながら、「東京大学大学院社会学研究科博士課程修了・・・」の学歴を身にまといつつ、
いつでも<ただのひと>に立ち戻ることができ、そこからものごとを発想することができる福岡を、
ほんとうの「学歴」のもちぬし、ほんとうの学者・研究者・教育者であると思わされた。
筆者は、最初から、「無学歴・無資格」の<ただのひと>、「自分自身の生きてきた生活世界の知識や実感を背景にしながら、
率直に問いかけて」いけばいいと、勇気付けられた。

そのころからか・・・、筆者が、「無学歴・無資格」を福岡がいう意味での<ただのひと>の
別名・愛称として使用するようになったのは・・・。

http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/12/post_b9bb.html

316 :第4章 太政官布告批判:2009/09/14(月) 00:29:09 ID:/Lv3HW/UP
B節 「旧穢多」の精神史的考察(続き)

9項 被差別者からの声「一般の人たちの差別意識・・・自分たちもしりたい」(旧:部落学序説余話 その3)

福岡安則は、「何を聞き取るのか、をあらかじめ固定してしまったら、聞き取りにならない。」、
「調査する側が、あらかじめ持っている枠組みを、語り手の生活世界へ押しつける・・・」とき、
その調査は、「知的頽廃」以外の何ものでもないと「自戒をこめて、そう思う。」と言う。

日本の社会学のなかにも「あらかじめもっている枠組み」のようなものはあるのか、
福岡ほか編著『被差別の文化・反差別の生きざま』の聞き取り調査方法、「小林部落」での聞き取り調査、
調査結果の批判・研究を読むと、社会学のなかにも「あらかじめもっている枠組み」のようなものがあると想定される。
福岡は、「差別意識把握への社会学的可能性」(1981)という論文において、「被差別部落での聞き取りを
続けるなかで、・・・いわゆる一般の人たちの差別意識の調査をやるべきではないか。
まわりの衆がなぜこうもわれわれを差別するのか、”自分たちも知りたい”との提起をうけた。」(これに対し)
「・・・どうせあらかじめ予想のつく程度のことを再確認するだけの調査であれば、やっても無駄
・・・差別意識の調査をするということは、時に潜在化した差別意識を顕在化・・・・・・
危険なことにもなりかねない調査はよしにしましょう、というのがぼくの言い分であった」という。

「無学歴・無資格」の筆者は、福岡安則氏のいわれる<ただのひと>であると同時に、
<どうせあらかじめ予想のつく程度・・・>の「差別(真)」の側からの、山口県北の寒村にある、
ある被差別部落の古老に対する聞き取り調査とその批判・検証、分析と総合の一試みを遂行しているに過ぎない。


http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/12/post_7c83.html

317 :吉田無学の2:2009/09/14(月) 00:32:54 ID:/Lv3HW/UP
先代さまから引き継いだ第4章の要約も、四苦八苦しながら、何とか終わりました。
レス173〜316の144レスのうち、要約レスは109で、その他は35でした。

この後の第5章は、今のところ草稿段階のため、要約には不適です。
よって、このスレの要約は、完了しました。
ご本家さまが、第5章以降を本格的に再開後に、また、別スレで要約させていただくかもしれません。

このスレも書き込みが途絶えると思われますので、要約部分入手希望の方は、
DAT落ち前にテキストを抜き出して保存してください。
ご本家さまの原文HPを読む前に、要約部分テキストを読めば理解が促進されます。
また、原文HPを読んだ後、要約部分テキストを読めば、さらに理解が深まります。

318 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/15(火) 11:59:58 ID:9hsPhKTli
いつまでばればれの自演を続けるんだよ
とっとと死ねよ

319 :吉田無学の2:2009/09/16(水) 06:49:23 ID:jsQb37T5P
私、吉田無学の2は、御本家様ではありません。

総まとめ『部落学序説』の主張

<被差別部落>の人々の先祖である<穢多・非人>は、
被差別の状態に置かれていた<賎民>などではない。
 嵯峨天皇の時代に、それまでの軍事・警察が渾然と一体化された状態から
軍事と警察が分離され、日本の社会・歴史の中に<司法・警察システム>が
創設されたことに端を発した、古代・中世・近世・近代に一貫して存在していた、
民衆・国民に対して<殺生与奪の権>を持つ<非常民>であった・・・。

明治以降、近代中央集権国家・明治天皇制国家は、それまでの<常民>・<非常民>
の区別を撤回、日本の近代化・国民国家化のため、それを再編成し、国民皆兵によって、
近世の<常民>・<非常民>の区別にかかわりなく、日本の国民を<非常民>に駆り立てて行った。
そして、<非常民>になれない国民(障害者・<癩病者>・<盲者>・病人・女性・子供・老人等
・・・)に対して人間的価値を低くみつもる、日本社会固有の差別状況を産み出して行った・・・。

その近代化のなかで、被差別部落の先祖である<穢多・非人>は、
近世幕藩体制下の司法・警察である<非常民>の本来の職務から排除され、
外交上の問題が複雑に絡む中、<半解半縛>の状態に置かれ、やがて、
日英軍事同盟下の日本社会の中で、基督教に対する弾圧・迫害が国策遂行上の障害に
なるに及んで、<半解半縛>状態の旧穢多・旧非人に対して、<特殊部落>という名の
<棄民>扱いをして排除・疎外、問題の本質を糊塗したのが、
現代の部落差別の根源である・・・。

320 :吉田無学の2:2009/09/17(木) 06:18:34 ID:eFNfWMhzP
要約が終了しましたので、自分の意見を述べさせていただきます。

吉田 向学 氏は、愚直そのもので、かつ、剛直で、尊敬します。
良い意味でも、悪い意味(人生での要領の悪さ)でも。
愚公山を移すの見本かと思われます。
「部落学序説」の試みが、部落差別完全解消につながりますように。

部落解放同盟中央本部や、「賤民史観」に立つ研究者も手が付けられないから放置でしょう。

※愚公山を移す(ぐこうやまをうつす)は、中国の戦国時代の典籍『列子』に載せられた伝説。
20世紀になって、毛沢東が演説の中で引用したため、有名になった。
もともとは『列子』の中の伝説で、次のような話である。
太行山・王屋山が、現在の位置にあるのは、愚公という老人が自宅近くのこの山を邪魔に思い、
家族総出で山を崩し始めたからだというのである。
愚公の行為を見ていた智叟(ちそう)という人物が、「山を人力で崩せるはずがない」と批判すると、
愚公は「山は増えないから、人間は子々孫々この事業を続ければ、いつかは山を移動できる」と
自信満々に答えた。それを聞いた天帝が山を動かした。

毛沢東は1945年6月にこの話を演説で引用し、二つの山を日本と中国国民党政権に、
愚公を中国共産党に例え、どんなに敵が強力に見えても、我々が山を崩し続ければ、
天帝にあたる中国人民は我々を支持してくれるのだと訴えた。

321 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/17(木) 13:43:19 ID:sjtcsU1Wi
>>319
>私、吉田無学の2は、御本家様ではありません。

白々しい嘘をついてんじゃねーよ馬鹿w
悪文家の癖と文体のリズム感が全く同じじゃねーかカス。
特に「 正規化 」が出来ずだらだなと長くなる癖を直せや。
てんで読む気にならねーぞ。

てかDISK容量無駄遣いのゴミなんざハナから読む気がしねーけどw

322 :吉田無学の2:2009/09/18(金) 01:45:23 ID:tC4E+aacP
御本家様のブログで褒めていただきました。光栄に存じます。
神の子たちに祝福あれ。感謝します。

「田舎牧師の日記(U)」2009年9月17日 (木)
●愚公山を移す・・・

筆者、原則として、インターネット上の他のサイトに書き込みをすることはありません。
特に、<2ちゃんねる>は、アナログ世代に帰属する筆者には、
その世界の住人となってコメントの応酬をすることにはためらいがあります。
しかし、ココログのアクセス解析のログを逆にたどって、<2ちゃんねる>における筆者の
『部落学序説』とその関連ブログ群の批判ないし論評にたどりつくことがあります。

そのひとつが、<【新説?】部落学序説 吉田向学【珍説?】>・・・。
筆者の『部落学序説』の既筆の章・節の文章をすべて読んでくださった方のコメントが
掲載されていましたので、ここに転載させていただくことにしました。
もちろん、筆者は、執筆者の方がどなたであるのか、まったく知りません。
最後の<愚公山を移す>の故事・・・、筆者はじめて耳にしました。
深くこころの奥にとめて、『部落学序説』の第5章以下の執筆を急ぎたいと思います。

こころのこもったコメント、ありがとうございました。

323 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/18(金) 05:57:05 ID:n3YFp3xni

>>322

きめえwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

タイミングといい結果といいここまでわざとらしくて恥ずかしい自演をしちゃうのは
もはやただの気ちがいだろwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww




324 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/19(土) 10:27:52 ID:X13TATali
>>322
>御本家様のブログで褒めていただきました。光栄に存じます。
>神の子たちに祝福あれ。感謝します。

糞サイトもこの書き込みも牧師wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

ここまで馬鹿丸出しな自演は気ちがいしかできませんwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

きめぇwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 

325 :吉田無学の2 改め 北山 愚公:2009/09/19(土) 13:47:20 ID:XRftyD/SP
>>324
日本基督教団の牧師は、「神の子たちに祝福あれ」とは書きません。
これは、ペンテコステ(精霊)派の日本ベテスダ教団 島本キリスト福音教会
(大阪府三島郡島本町)の名誉牧師 : 上田昌司 先生の受け売りです。

ペンテコステ派は、プロテスタント教会のうちメソジスト、ホーリネス教会のなかから
1900年頃にアメリカで始まった聖霊運動、つまりペンテコステ運動からうまれた教団、教派の総称。
簡単には、キリストの昇天によって聖徒に受けることが約束された聖霊の働き
(父・子・聖霊の三位一体の神の第三位格)を重んじる教会。
聖霊のバプテスマ(洗礼)を受け、聖霊の御力によりイエス様の弟子としての働きを担うことを目指す。
つまり、使徒行伝の時代において行われた力ある奇跡やリバイバルは、
その時代で終わってしまったのではなく、今でも起こりうるという立場を取る。
新約の時代は、すなわち 『聖霊の時代』す。

キリスト教会のことを詳しく調べてみなさい。
カトリック、聖公会、日本基督教団の古い教会が金持ち倶楽部的で、
ペンテコステ派には狂信的なマインドコントロールする教会もあり、正反対であることを。

326 :北山 愚公:2009/09/19(土) 13:50:40 ID:XRftyD/SP
>>324

何を言われようが、この板のDAT落ちは、眼に見えています。
要約が終了した以上、これ以上書き込むことは、不必要です。

放置しておけば、自然消滅するのに。

327 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/19(土) 17:04:41 ID:A5wrssoti
>>325
んな詳細なことパンピーは知る由もない。
知ってるのは牧師ら関係者だけだろバカ。
自演と偽証がホントうぜえええええええ
とっとと死ねよダニ

328 :北山 愚公:2009/09/19(土) 17:36:23 ID:XRftyD/SP
>>327
この板が、落ちるまで書き込みしてください。
がんばれ-。

私は、当初の目的を達成しましたので、退場します。
好きにしてください。

329 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/19(土) 18:41:49 ID:EpqlYEpQi
>>328
自演がばれて涙目で遁走wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

そもそもおまい以外は誰も寄らない超過疎スレだから
俺が来ようと来まいとすぐ落ちるだろバカ
とっとと死んて地獄へ落ちろよカス

330 :北山 愚公:2009/09/19(土) 19:01:18 ID:XRftyD/SP
最後の弁明です。
御本家様は、何を誤解されているのでしょう。

「筆者は、いいコメントだと思ったのですが、執筆者の方の意図は別なところにあったみたいで・・・。
インターネット上の<信じさせて裏切る>ことを楽しむ」

私、北山 愚公と、対立者ID:n3YFp3xni, ID:A5wrssoti, ID:EpqlYEpQiが、
同一人物という意味でしょうか。
非道い誤解です。
私、北山 愚公は、対立者ほど邪悪ではありません。
<信じさせて裏切る>ことを楽しむ、ことはありません。

「田舎牧師の日記(U)」2009年9月19日 (土)
●シルバーウイーク中に資料の整理・・・
・・・
9月17日の<愚公山を移す・・・>という文章は<非表示>にしました。
筆者は、いいコメントだと思ったのですが、執筆者の方の意図は別なところにあったみたいで・・・。
インターネット上の<信じさせて裏切る>ことを楽しむ手法・・・、
筆者にはなじむことのない世界のことがら・・・。
・・・

331 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/19(土) 19:18:26 ID:iN51imFUi
>>330
まだ間抜けな自演を続けるのかwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

きめぇwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

332 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/10(土) 13:36:04 ID:SXJoszBr0
れっつらごん

333 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/16(金) 07:59:26 ID:BlC7oypLi
ホぼくも地元で評判の子なのぉイ

334 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/28(水) 16:30:19 ID:7GCTuqHA0
【画像あり】「同級生の女の子に頼んでみた」中学生ハメ撮りAVが流出 ★14
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1256707678/



120452880859374

335 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/05(木) 02:00:02 ID:Tb8wIWJO0
本家サイト見たけど、少し本格的に部落関係のことを勉強した人なら、なんらかの
反応を必要とするな。
本人がやや被害妄想的なところが気になるが、出版して歴史家の批判にさらすだけの
価値はあるんじゃない?

336 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/26(土) 07:47:00 ID:VgulYHIA0
良スレage

337 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/12(水) 13:56:12 ID:oIAebXuD0
かっこええ

338 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/15(土) 18:49:31 ID:SVCiv59J0
a

339 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/10(土) 13:04:18 ID:WMo9RO4l0
終戦直後かよwww

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